ジノ・ヴァネリ『ナイトウォーカー』

0

【2024年10月19日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。10月も“秋のAORまつり”を継続開催中です。
AORにもいろいろありますが、今回はその枠に収まり切らない熱唱系、異色のシンガー・ソングライター、ジノ・ヴァネリのアルバム『ナイトウォーカー』をご紹介します。

イタリア系カナダ人のジノ・ヴァネリは、1952年6月16日モントリオールに生まれました。シンガーの父と耳の越えた母に育てられ、小学生ごろからジャズを聴いていました。特にドラムに興味を持ち、音楽理論と共に5年間学んだそうです。バディ・リッチやエルヴィン・ジョーンズのようなジャズ・ドラマーにあこがれを抱いていましたが、ひょんなことから参加した、地元バンドのオーディションで初めてヴェンチャーズを演奏しました。

10代の頃には兄ジョーと一緒に、モータウン・スタイルのバンドを組んで活動。初めてヴォーカルをとったのは14才、バンドのシンガーがうまく歌えなかった曲がきっかけでした。バンド時代はピアノとギターのレッスンも受け、作詞・作曲も手掛けるようになります。あわせてジノはクラシック音楽にも興味を持ち、地元のオーケストラの定期公演を鑑賞。ジャズ、ポップ、ロック、ソウルに加えてクラシックまで引き出しを持つようになりました。

そんな天才少年を放っておくはずがありません。
15歳の若さでカナダのRCAと契約、ファミリー・ネームの“ヴァネリ”をもじったヴァン・エリ名義でレコードを何枚かリリースしました。しかしジノは更なる高みを目指し、ニューヨークへ通っては音楽出版社やレコード会社を訪ねてまわりました。

ある日の朝、ハリウッドのA&Mレコードの前で、トランペット奏者で経営者でもあるハーブ・アルパートの出社を待ちセキュリティに追いかけられながらも、何とかオーディションのチャンスを勝ち取ります。結果1973年、ハーブ・アルパートのプロデュースによるアルバム『クレイジー・ライフ』でメジャー・デビューすることが出来ました。

兄ジョー・ヴァネリと共同プロデュースした74年の2ndアルバム『パワフル・ピープル』から「ピープル・ガッタ・ムーヴ」が初の全米TOP40ヒットとなり名声を獲得しました。75年の『夜明けの嵐』から『ジスト・オブ・ジェミニ』『ア・ポーパー・イン・パラダイス』と毎年アルバムをリリース。ポップ・ミュージックの枠にとらわれない壮大な作品を発表してきました。

そして78年の『ブラザー・トゥ・ブラザー』から、弟ロス・ヴァネリ作のシングル「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」が全米4位(カナダ1位)の大ヒットとなり彼の代表作となりました。81年アリスタに移籍して発表した『ナイトウォーカー』からのシングル「リビング・インサイド・マイセルフ」が再び全米6位のヒットとなりました。

しかしこの後はあまり目立った活動もなくなりますが、いくつかのレーベルからアルバムを出し続け、91年に初来日公演が実現、その後も何度か来日して、現在もツアーを続ける現役ミュージシャンです。

ジノ・ヴァネリのアルバム『ナイトウォーカー』
SIDE A
「ナイトウォーカー」
「シーク・アンド・ファインド」
「ウェイト・オン・マイ・ショルダーズ」
「アイ・ビリーブ」

SIDE B
「サンタ・ローザ」
「リビング・インサイド・マイセルフ」
「ステイ・ウィズ・ミー」
「サリー」

ジノ・ヴァネリのアルバム『ナイトウォーカー』いかがでしょうか?
ちなみに、ジノ・ヴァネリのダイナミックなサウンドを支える兄のジョー・ヴァネリ。シンセサイザーに対するこだわりは並々ならず、初期の作品ではシンセサイザーの音を幾重にも重ねて壮大なサウンドを作っていました。

https://ginov.com/
ジノ・ヴァネリ オフィシャルサイト

Default