ジョン・クーガー・メレンキャンプ『スケアクロウ』

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【2024年11月9日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
11月は、普段あまり放送されないような渋めのラインナップでお送りします。題して“渋ロック”、今回は、3つの名前を持つ男ジョン・クーガーが1985年ジョン・クーガー・メレンキャンプとしてリリースしたアルバム『スケアクロウ』です。

3度名前が変わっているアーティスト、本名ジョン・メレンキャンプは、1951年10月7日アメリカ中西部インディアナ州シーモア生まれ。小学生にして既にバンドを結成、14歳から地元のバンドに加入して小遣い稼ぎをしていました。大学時代はグラム・ロック・バンドなどで活動。卒業後は地元電話会社に一旦就職しますが、やがて音楽の道を目指しニューヨークへ。

以前声をかけてきたデヴィッド・ボウイのマネージャーを頼って、事務所と契約。1976年、MCAよりデビュー・アルバム『チェストナット・ストリート・インシデント』がリリースされますが、アーティスト表記は“ジョニー・クーガー”、マネージャーが勝手につけた芸名でした。

78年名前をジョン・クーガーに改め、ロッド・スチュワートのマネージャーが興したイギリスのRiva Recordsからアルバム『バイオグラフィー』を発表。このアルバムから「アイ・ニード・ラヴァ―」が初のヒットとなりました。79年には3rdアルバム『ジョン・クーガー』が本国でリリースされると、アメリカでも「アイ・ニード・ラヴァ―」がTOP40ヒットとなりました。

80年にはMG’sのギタリスト、スティーヴ・クロッパーのプロデュースでアルバム『夜を見つめて』をリリースすると、シングル「夜が泣いている」が全米17位のヒット。1982年にリリースしたアルバム『アメリカン・フール』でとうとう初の全米1位を獲得します。「青春の傷あと」「ジャック&ダイアン」のシングル・ヒットで大ブレイク、グラミー賞にも輝きました。

83年には、ジョン・クーガー・メレンキャンプ名義でのアルバム『天使か悪魔か』をリリース。85年の『スケアクロウ』は過去最高のセールスで、アメリカだけで500万枚を売り上げました。またこの年には、ウィリー・ネルソン、ニール・ヤングらとファーム・エイドを開催。アメリカ農民救済のためのチャリティ・ライヴは、以後11回連続で続けました。

1991年から本名のジョン・メレンキャンプ名で活動を始め、90年代も2000年代も絶えることなく作品を発表、大きなワールド・ツアーもこなしています。22年には親友ブルース・スプリングスティーンが参加したアルバム『ストリクトリー・ア・ワン・アイド・ジャック』で話題になりました。

また、音楽的にはダンス・ミュージックとのコラボレーションなど意外な一面を見せ、映画やミュージカル、そして絵画など活動の幅を大きく広げています。今でも地元のインディアナ州ブルーミントンに暮らし、先日地元にあるインディアナ大学のキャンパス内に銅像が設置されたそうです。

ジョン・クーガー・メレンキャンプのアルバム『スケアクロウ』
SIDE A
「スケアクロウ」
「祖母のテーマ」
「スモール・タウン」
「ミニッツ・トゥ・メモリーズ」
「ロンリー・オル・ナイト」
「フェイス・オブ・ザネイション」

SIDE B
「正義と独立 '85」
「ラーフ・アンド・ティア」
「ランブル・シート」
「スタンド・フォー・サムシン」
「ロック・イン・ザ・U.S.A.」

ジョン・クーガー・メレンキャンプのアルバム『スケアクロウ』いかがでしょうか?ちなみに、ブルー・カラーのヒーロー、ジョン・メレンキャンプですが、観客からヤジを飛ばされ、ブチ切れてステージを降りたことが何度かあるそうです。

https://www.mellencamp.com/
ジョン・メレンキャンプ オフィシャルサイト

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