ザ・ビーチ・ボーイズ『L.A.(ライト・アルバム)』

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【2024年7月27日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。7月はサマー・ブリージンと題して、夏の風を感じるレコードお送りしています。シリーズ最終回は、問答無用のサマー・サウンド、ザ・ビーチ・ボーイズの『L.A.(ライト・アルバム)』。

ポップ・ミュージックの革命児で、あのビートルズのライバルともいえるビーチ・ボーイズ。初期のヒット曲によって“夏だ!海だ!”といったイメージが強いのですが、彼らの音楽には深く複雑な面もあるのです。

1942年6月20日生まれのブライアン・ウィルソンと、44年12月4日生まれのデニス、46年12月21日生まれのカールの3兄弟。そこに41年3月15日生れの従兄弟マイク・ラヴと、友人のアル・ジャーディンでベンドルトンズを結成。61年にリリースされたレコード「サーフィン」には、本人たちも知らぬ間にザ・ビーチ・ボーイズとクレジットされていました。

改名は別としてこの曲はロスアンジェルスのチャートで2位、全米でもトップ100に入るヒットとなり、翌年キャピトルと契約、メジャー・デビュー曲「サーフィン・サファリ」を発売しました。デビューまではスムーズに運んだものの63年の「サーフィン・U.S.A.」は3位、初のセルフ・プロデュース作「サーファー・ガール」も7位と、なかなかトップを獲れません。この頃イギリスからビートルズが登場、64年の「抱きしめたい」で全米首位の座を射止めました。それでもデビューから11か月、「アイ・ゲット・アラウンド」でようやく全米1位を獲得。

しかしプロデューサーとしてまとめていたブライアンが、体調不良に陥りツアーから引退、制作側にまわったブライアンに替わってブルース・ジョンソンがバンドに加入しました。ビートルズが65年に意欲作『ラバー・ソウル』を発表すると、これに刺激を受けたブライアンは後に最高傑作と評価を受ける『ペット・サウンズ』の制作にとりかかります。腕利きミュージシャンの採用、多重録音による音響効果など、当時としては斬新な作品となりました。

ザ・ビーチ・ボーイズは66年に自主レーベル、ブラザー・レコードを立ち上げ、「グッド・ヴァイブレーション」をリリースすると全英でも1位を獲得。60年代後半はアメリカよりもイギリスで人気となり、ビートルズと肩を並べる存在となりました。しかし、そのプレッシャーからかブライアンの精神は病んでいき、次作の予定だった『スマイル』が頓挫してブライアンは活動休止。

しかしその後もバンドは活動を続け、76年にブライアンが復帰。久々のプロデュースで『偉大なる15年』、翌年には『ラヴ・ユー』をリリースしますが不作に終わり、79年にCBS傘下のカリブ・レコードに再び移籍して『L.A.(ライト・アルバム)』をリリース。88年には映画『カクテル』の主題歌「ココモ」が22年ぶりの全米No.1を獲得しました。ビーチ・ボーイズは、83年に次男のデニス、98年に三男カールを失いますが、現在もマイク・ラヴを中心に活動は継続。2024年春には初の公式自伝本が発売されました。

ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『L.A.(ライト・アルバム)』
SIDE A
「グッド・タイミン」
「レディ・リンダ」
「フル・セイル」
「エンジェル・カム・ホーム」
「ラヴ・サラウンズ・ミー」
「想い出のスマ浜」

SIDE B
「ヒア・カムズ・ザ・ナイト」
「ベイビー・ブルー」
「ゴーイン・サウス」
「ショートニン・ブレッド」

ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『L.A.(ライト・アルバム)』いかがでしょうか?ちなみに、66年発表されたンセプト・アルバム『ペット・サウンズ』は、ビートルズに刺激を与え『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が出来上がった話は有名です。

https://thebeachboys.com/
ビーチ・ボーイズ オフィシャルサイト

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