セルジオ・メンデス『愛をもう一度』

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【2024年2024年7月13日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。7月はサマー・ブリージンと題して、夏の風を感じるレコードお送りしています。今回は、ブラジルからの風、セルジオ・メンデスのアルバム『愛をもう一度』です。

ブラジル生まれのボサノヴァを、広く世界に伝えたセルジオ・メンデスは、1941年2月11日、リオ・デ・ジャネイロ近郊のニテロイに生まれました。子供のころからクラシック・ピアノを学びますが、ボサノヴァの誕生を目の当たりにしてジャズやボサノヴァに興味は移ります。

60年代には、地元の飲食店でピアノを演奏するようになり、トリオで活動。62年にはカーネギー・ホールで行われたボサノヴァを紹介するイヴェントにも出演、アメリカでも、その名を知られるようになります。その後キャノンボール・アダレイ、ハービー・マンなど大物ジャズメンとの共演で、アメリカのボサノヴァ・ブームを支える存在となりました。

64年ロスアンジェルスに居を構え、アメリカ進出を果たしたセルジオに大きな出会いが訪れます。ティファナ・ブラスというバンドを率いていたトランぺッターのハーブ・アルパート。アメリカで新しいブラジリアン・ポップを目指したセルジオ・メンデスは、女性ボーカルをフィーチャーした新バンドを結成。それがハーブ・アルパートの耳にとまり、彼が設立したA&Mレコードと契約しました。

『セルジオ・メンデス&ブラジル‘66』をリリースすると、シングル「マシュ・ケ・ナダ」が大ヒット。アルバムは全米チャートに126週ランクインという快挙を成し遂げました。ロックやポップスもボサノヴァ風にアレンジした斬新なスタイルで、ブラジル‘66は世界中で大ヒット。その後も、ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」や「デイ・トリッパー」のカヴァーなど、ヒットを生み出していきます。1970年には大阪万国博覧会のステージで公演を行い、ブラジル‘66としては初のライヴ・アルバムをリリースしました。

71年に、ブラジル‘66からブラジル‘77とグループ名が変わり、その後‘88まで続きます。80年代に入るとソロ・アルバムをリリースするようになり、83年の『愛をもう一度』からのタイトル・チューンが全米4位と久々のヒットとなりました。その後もコンスタントに新作をリリースしていきますが、96年の『オセアーノ』以降はコンサート活動が中心となり、新作の発表はありませんでした。

2006年、久しぶりにリリースされたアルバム『タイムレス』は、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムをプロデューサーに迎えた意欲作でした。スティーヴィー・ワンダーはじめ豪華アーティストと共演して、特にウィルと共演した「マシュ・ケ・ナダ」のセルフ・カヴァーが話題となりました。

セルジオ・メンデスのアルバム『愛をもう一度』
SIDE A
「ブードゥー」
「愛をもう一度」
「マイ・サマー・ラヴ」
「恋のカーニバル」

SIDE B
「虹を求めて」
「ラヴ・イズ・ウェイティング」
「ドリーム・ハンター」
「ライフ・イン・ザ・ムーヴィーズ」
「シー・セニョール」

セルジオ・メンデスのアルバム『愛をもう一度』いかがでしょうか?ちなみに、1972年にリリースしたアルバム『プライマル・ルーツ』を録音した自宅スタジオは、当時大工をしていたあのハリソン・フォードが建てたのだそうです。

https://www.sergiomendesmusic.com/
セルジオ・メンデス オフィシャルサイト

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