75回目の日記 コメントの返答

初版 2022/12/01 02:08

改訂 2022/12/08 09:31

 映画『Shall we ダンス?』について触れた、とある館長様のDiaryに対してちょっとしたコメントをしたところ、さらなるコメントの御要求がありました。ということで作成してみたのですが、少し長文になってしまったので、その館長様には申し訳ないですが、私のミュージアムで回答させていただくことにしました。
 実は、とある事情により、この年内は新たな展示やモノ日記等の投稿はしないつもりだったのですが、今回だけは「特別」ということで。もっとも、これを機会に余裕があれば、さらなる投稿をするかも…。
 劇場公開後でしたからおそらく1996年2月のある土曜日の午後、TBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』に周防正行監督がゲスト出演しました。その中では、例えば、実はこの『土曜ワイドラジオTOKYO』に出演したのは初めてではない、以前、まだ下積み時代、ポルノ映画の撮影現場に入り込んだ番組の女性レポーターに「お給料っていくらぐらいですか。」と尋ねられ、回答できずに絶句していたら、司会の久米宏氏から「言えないくらい安いんだ。」と言われたことを懐かしそうに語っていたなどのエピソードもありましたが、最も興味深かったのは、草村礼子氏に関わる話でした。

 永氏は放送日の前日に映画を観たそうでしたが、その際に少し驚かされたのが草村礼子氏の出演だったそうです。というのも、草村氏自身はそれまでにテレビや映画への出演がなかったわけではないものの、舞台女優としての活動の殆どだったからであり、さらには、永氏自身が草村氏のファンで「彼女の一人舞台を何度観たことか。」という旨の発言もありました。
 当然、永氏は周防監督に草村氏をキャスティングした理由を尋ねたのですが、それに対する回答は「オーディションです。」というものでした。草村氏は若かりし頃にダンスの経験があり、それを拠り所に応募したそうで、オーディションのパフォーマンスが終了した後、少し話したい旨の申し出があり、監督の「どうぞ」という言葉に対し、「ダンスに関わるこの役を演じることでもう一度青春を取り戻したい」旨の発言をしたそうで、その一言がキャスティングの決め手となったかどうかはわかりませんが、以上のような経緯があったことを話していました。
 その後の草村氏ですが、テレビドラマや映画への出演頻度が飛躍的に伸びたのは、御承知だと思います。私見ですが、『Shall we ダンス?』出演時の草村氏は50歳代半ばであり、舞台中心の活動もそろそろきつい年代に差し掛かっていたわけで、この映画をきっかけにキャリア路線の変更ができたのは、彼女にとっても渡りに船だったような気がします。現に、この文章を作成している段階(2022年)でも、女優として活動していますしね。
#Shall_we_ダンス? #周防正行 #草村礼子 #永六輔 #土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界 #久米宏 #回答

 映画音楽とクラシック音楽をこよなく愛するwoodstein(ウッドスタイン)という者です。それ故、必然的にCD、レコードコレクターであり、他人にその保有数を告げると、殆どの場合、引かれてしまうという困り者です。自分でもコレクションを把握できていないという体たらくでして、この場を通じて、実情を解き明かしていこうと目論んでいます。

Default
  • File

    woodstein

    2022/12/01 - 編集済み

     この日記の投稿のきっかけとなったグリーン参る館長の記事は以下のURLを御覧下さい。
    https://muuseo.com/shinshin3/diaries/81

    返信する
    • File

      グリーン参る

      2022/12/08

      woodsteinさん、
      大変貴重なお話しをお聞かせ下さり、ありがとうございました。
      草村さんがオーディションで採用されたことは知りませんでした。彼女がオーディションの後、「ダンスに関わるこの役を演じることでもう一度青春を取り戻したい」と話されたことは、「自分を取り戻す」というテーマのこの映画にはピッタリだったかもしれませんね。
      改めて自分が「アラウンドたま子先生」の年齢になってこの映画を観ると、感慨深いものがあります。

      返信する