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猿楽町のビリヤード場 マッチラベル

戦前の昭和ではビリヤード(撞球=どうきゅう)がかなりのブームでした。
都会から地方都市まであらゆるところにビリヤード場が開設され、2万軒以上あったとも言われています。
あまりのブームに、喫茶店は当然として、呉服店や精肉店、料理屋といった本来娯楽とはあまり縁のない業種が店の2階に場を設けたりして、表通りから路地裏まで至るところで見られたようです。
同じ娯楽系ということで、雀荘に併設されてた例も多いです。

客層は当然男性が多く、学生や社会人が連日たむろしていたそう。
純粋にゲームを楽しむ層もいたものの、ビリヤードガールと呼ばれる女店員目当ての向きもかなりいたらしい。
ビリヤードガールはゲームのスコアを付けてくれたり飲み物を出したり、あるいは話し相手になってくれたり、一人客のゲーム相手になってくれたりと、そりゃ男の客ばっかり集まるはずですわな。

「○○ガール」と名のつく女性の職業も多かった時代で、カフェーやレストランでタバコやマッチを売るタバコガールやマッチガール、今で言うネイリストのマニキュアガール、生身の女性が服を着てデパートとかでポーズを取るマネキンガールなんてのもいたらしい。
中には有名になったマネキンガールもいたようで、地方の百貨店に招かれると「○○嬢来(た)る」などと大きく宣伝されることもあったようです。

うちの死んだ爺様は支那事変で出征する前、兵隊に行ってる間、あるいは戦死したときに、かみさん(オレの婆様)や子供(オレの母親とそのきょうだい)が食うに困らぬようにと一晩考え、仕入れの必要がない商売をさせようと思いたち、自宅を雀荘か撞球場にする結論に達したそう。
ただ、ビリヤード台はでかくて入れる客が少なそうなので、同じスペースに雀卓なら2つ、3つ置けるし、必ず客が最低でも4人は集まるってんで雀荘に決めたんだそうです(笑)
出征前は車2台使ってタクシーやってたんですが2台とも売り飛ばし、空いたガレージ部分を雀荘に改造したんだそう。
使ってた雀牌は鯨の骨と竹でできたもので、今でも茶箱の中にしまってあります。

さて話は逸れましたがこのビリヤード場。
所在は神田表猿楽(さるがく)町とあります。
付近は大学や下宿も多いエリアだったので、学生目当ての店だったのでしょう。
今でも神田猿楽町という町名は残ってますが、表猿楽町の方は昭和8年から10年ごろ、関東大震災からの区画整理で神保町と西神田に編入されて消えてしまいました。

「神田表猿楽町」と書いてありますがこれは一体の町名ではなく、神田とあるのは神田区の意味で付けてあると思われます。

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