🔴【閲覧No4 1460人以上】Vol.2 加賀藩の空白地帯に織田家の証~加賀に生きる細川家一族の末裔が明かします

初版 2019/03/13 00:34

改訂 2023/02/09 20:16

 以前の「モノ日記」の加賀藩の空白地帯に、織田家の痕。「清和源氏の家紋」、「織田木瓜」の金具のある寺院の他にも、その痕跡を確認できます。まず、下の地図は、織田信長の築いた「安土城」と明智光秀・細川典厩家らが城主となった「坂本城」の位置関係を示しています。【青龍山】がポイントです。

そして、前回、前々回と述べてきた江戸時代の加賀藩の古地図の空白地帯、加賀藩前田家の庇護を受けて、織田一族が潜んでいたと思われる加賀藩2代藩主・前田利長の正室・玉泉院(織田信長の4女・永姫)の土地・大衆免です。2年前に、金沢市立玉川図書館で、古い文献に手描きの地図を見つけました。

大衆免は、室町時代~安土桃山時代は、公家・二条家の荘園だったとされています。ここを大和国から延びる北國街道が通ります。以前に、倶利伽羅峠について述べた際に、公家の冷泉為広が記録を取った【越後下向記】で、細川政元(細川家宗家当主)や上原元秀(当家先祖一族、細川宗家重臣)のことについて述べましたが、彼らも京から、この北國街道を下向してきました。冷泉家は、藤原北家の二条家の庶流です。何か関係していたのかもしれません。藤原北家は、後の世に、西園寺家や明治天皇の系譜に繋がります。細川内膳家の系譜にもあたります。ゆえに、高祖母の実家に、明治天皇、徳大寺実則(西園寺公望の兄)、溶姫の輿入れの際に徳川家の大名行列が立ち寄ったのでしょう。つまりは、先祖一族は、室町時代から、藤原北家とも繋がっている系譜だったという事です。

 さて、この地区には、今も、神宮寺町という町名があり、神宮寺があったと思われる場所に、下の石碑が残っています。

石碑は、【青龍山・泉龍寺】。上の地図を見てください。安土城の近くに、青龍山があります。この【青龍山・泉龍寺】が、地図上の神宮寺で、近くの小坂神社(春日大社の末社)の別当寺院です。下の様な「七堂加羅」の大きな神宮寺だったと図書館の文献に記載されていました。

 この神宮寺には、大和国の興福寺に縁の【僧兵】が住んでいたと言われ、大衆免は、この興福寺に縁の僧兵たちの免田だったということです。興福寺の一条院に門跡に入ったのは、室町幕府第15代将軍(最後の将軍)・足利義昭でした。また、藤原氏の寺院です。

 足利義昭は、織田信長に降参しています。今も青龍山にあった別の寺院も、織田信長に攻められた歴史がある様で、もしかすると、織田家や織田信長の軍に吸収された足利一族が僧兵となり、この玉泉院の土地で、特別な扱いを受けて、潜伏していたのかもしれません。いや、その可能性が強いのです。

 この大衆免に隣接する町は、山の上町(鎌倉時代からの町名)と春日町(二条家の荘園「小坂荘」跡の一部)で、神宮寺は、加賀藩三代藩主・前田利常の建立した小坂神社(山の上町)の別当寺院でした。

 また、小坂神社の近くの寺院「光覚寺」に、奈良の興福寺の僧・古市胤栄の子供、赤井弥七郎の墓が、古市家の墓に交じってあります。近衛稙家の娘・渓光院が、赤井直正(丹波の赤鬼)と別離した後、古市胤栄に再嫁し、赤井弥七郎を産んだためです。浪花のロッキーこと、俳優の赤井英和さんの先祖が、丹波の赤鬼と称された赤井直正(丹波国の守護代)です。

【興福寺の僧「古市氏」の墓碑群・光覚寺(金沢市山の上町)】

 【古市氏の墓碑群の赤井弥七郎(赤井直正の子孫)の墓(光覚寺)】

 渓光院の姉妹が、朝倉義景の継室や足利義昭の兄・室町幕府第13代将軍・足利義輝の正室でした。

細川幽斉は、足利義晴のご落胤、つまりは、義輝、義昭の義兄弟と言われます。

 当家の先祖、足利、細川、近衛、朝倉、前田の流れです。

 この【青龍山・龍泉寺】は、明治時代はじめまで存在していたそうです。これまで述べてきたブログと併せて考えても、この江戸時代の加賀藩の地図の空白地帯には、源氏の足利一門や織田一族が、前田家の庇護を受けて、徳川家の目を避けてて、潜んでいたのでしょう。

【五本線の敷塀は、最高位で、朝廷の許可性。皇族がいた証。】

織田信長、信忠、細川ガラシャは、屋敷が爆破され、炎に包まれて、史伝では、遺体が見つかっていないとされています。火薬を使うのは、当時の日本のサムライの方法でなく、西洋の方法です。火薬を扱えたのは、織田一族、および、信長を支配下においたイエズス会です。

 本能寺、ガラシャの自害の爆薬は、キリシタンの仕業、そして、カトリックとすると、織田信長、信忠、細川ガラシャは、高山右近らキリシタン・サムライの手引きで、前田利家の下に、死をフェイクと見せかけて、逃げてきても不思議ではないのです。

【この大衆免(森山)と織田家、細川ガラシャの関わり】

◎前田利家(加賀藩初代藩主で織田信長の赤母衣衆のリーダー、後継者候補)

◎前田利長(利家の長男・加賀藩2代藩主、正室は、織田信長の4女・玉泉院(永姫))

◎細川ガラシャ(織田信長の養女・玉泉院(永姫)と異母姉妹、前田利家の7女・千世の義母)

◎足利夫人(織田信長の養女・玉泉院と姉妹、第15代将軍・足利義昭の側室)

◎森山局(細川宗家・細川昭元と織田信長の妹・お犬の娘、加賀藩3代藩主・前田利常の正室で江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の2女・珠姫の侍女)

◎彦三町(不破彦三の屋敷跡、不破彦三の義兄は、織田信長の2男・織田信雄(北畠具豊))

◎国宝・瑞龍寺(加賀藩2代藩主・前田利長の菩提寺、利長・玉泉院(永姫)、および、織田信長・信忠親子の墓碑がある)

【当家先祖・細川家が倶利伽羅で管理していた前田秀継の菩提寺】

◎前田秀継(加賀藩初代藩主・前田利家の弟、正室は、織田信長の3男・信孝の娘)

 以上のことからも、織田信長、織田信忠、細川ガラシャは、加賀藩で、隠密に生きていても不思議ではありません。

私は、清和源氏、足利一門、細川京兆家重臣(細川六天王、室町幕府奉公衆)、および、肥後細川家熊本藩主一門細川内膳家の庶流家の末裔です。細川一族・前田一族・旧皇族・公家(藤原北家)の系譜の庶流家にもあたります。

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  • 面白い仮説ですねぇ興味深い事この上有りません!

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      Makoto Panteleimon

      2019/08/07

      お褒めの言葉をありがとうございます。また、調査して、ぼちぼちと、続編を、記します。😉

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