【閲覧800人】明智光秀の影響?偏諱「光」の謎

初版 2019/06/23 12:53

改訂 2019/06/23 17:44

コレクションルームの加賀藩3代藩主・前田利常の書。

印の上の名は、利常でなくて、利光。実は、利常の初名が、利光である。利常の正室は、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の姫、珠姫。第3代将軍・徳川家光の姉である。


利常と珠姫の嫡男は、加賀藩4代藩主・前田光高。家光が誕生しなければ、光高が、江戸幕府3代将軍になっていた。


さて、「光」の文字。徳川家光の名は、徳川家の黒衣の宰相、天海上人が名付けた。天海は、明智光秀と言われている。家光の乳母(実母)は、春日局で、明智一族である。


また、加賀藩3代藩主・前田利常は、家光が誕生したことで、利光から、利常に名を改めた。光高は、まもなく、江戸で酒盛り中に早逝。徳川家の毒殺と言われる。


さて、利常の生母は、越前国・朝倉家の人間。明智光秀の元の主君。天海は、加賀藩前田家にも何かと口を出して来ていた。そう考えると、利光、光高の名前も、天海、すなわち、明智光秀の偏諱「光」の可能性が高い。


当家先祖も、細川宗家、肥後細川家の系譜で、前田利常の側近として、4代藩主・前田光高の教育係だった。前田家の直前は、室町幕府の奉公衆(幕府の役人)として、朝倉義景の重臣だった。つまり、明智一族である。


光の字には、明智光秀の存在が、見え隠れする。

ハートマークは、戸籍に残る当家の先祖一族で、江戸時代が終わり、明治初頭に、加賀藩に残らず、婚姻先なった地域。京都府舞鶴市、福井県小浜市、福井県高浜市など。いずれも、明智光秀と盟友の細川幽斎(当家先祖)の領土。倶梨伽羅峠は、幕末、細川家、酒井家、松井家の子孫が地区の重役を勤めた。小浜城主も酒井家である。当家は、細川宗家と肥後細川家、前田家、明智家の流れの系譜だが、元来は、丹波国で、室町幕府管領、細川宗家の重臣中の重臣が出自である。


明智憲三郎さん(明智光秀の子孫)の調べでは、明智一族は、本能寺の変のあと、丹波

、丹後、小浜などから、海路で、全国に散らばり、今も、ひっそりと、連絡を取り合っているそうです。









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