細川政元(細川宗家当主)や上原元秀(先祖一族)らが宿泊した教願寺(石川県津幡町竹橋;倶利伽羅峠)

初版 2019/03/03 00:07

改訂 2022/03/13 12:59

江戸幕府第十一代征夷大将軍・徳川家斉の二十一女・溶姫の加賀藩十三代藩主・前田斉泰への輿入れの際、また、明治天皇、岩倉具視、大隈重信、徳大寺則実(西園寺公望の実兄)が休憩した高祖母の実家・細川家にある教願寺(石川県津幡町竹橋)。




室町時代には、細川宗家十二代当主・細川政元と上原元秀(細川宗家重臣、当家先祖)が宿泊した記録があります『越後下向記』。


室町時代は、細川頼和(細川宗家の祖・細川頼春の従兄弟)が越中守護に赴任していた記録もあります。

倶利伽羅が、細川氏の拠点だったのでしょう。


倶利伽羅峠は、砺波山にありますが、砺波=利波で、大和朝廷・奈良大和国の皇子、利波臣が、この地域を納めていたことに由来します。元来、この地は、大和の皇族の荘園でした。倶利伽羅不動寺には、加賀藩前田家の祈祷所がありますが、元来は、足利将軍家の祈祷所だった様です。


倶利伽羅にあった高祖母の実家、細川家には、「孝」や「常」、「興」の字を名前に持つ人達が多くいました。肥後細川家や谷田部細川家の諱です。


■「教願寺」/ 石川県津幡町



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