Lantia Ferrari D50 nr.20 J.M.Fangio/Eugenio Castelletti Monaco GP 4th 1956 Limited edition 500pcs GP REPLICAS

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Lantia Ferrari D50 nr.20 J.M.Fangio/Eugenio Castelletti Monaco GP 4th 1956 Limited edition 500pcs GP REPLICAS

なんとも長い商品名だが、このカーナンバーでドライブした2人のレーサーの名前を冠している。

予約販売時点で見つけていたが、他にも購入したいものがあったので断念。
今回、別のランチアを探している過程で再発見し購入した。
が、これが後悔のタネとなった。
予約販売終了品だった上、中古品とやらで安かった(と思った)が、なんと最安値の倍近い高値掴みをしていたのを後で知った。やはり買う前に再度のリサーチは必要だ。
ただし、強弁するわけではないが、このカーナンバーは見つからない。でも、悔しい…
残り◯個、◯人がカートに入れました、セール残り時間◯分、などなど、全て所謂ダークパターンなのでお気をつけ下さい、悔しい!

モデルは合皮のマウントにメタルのプレート(限定なのにシリアルナンバーは無い)が付き、アクリルのカバーが付いている。

可動部は無いが、エンジンフードが取り外せる。
エンジンの再現度は低いが、この車の特徴である前後中心線からのオフセットでの搭載がされている。ボディー底には、同様にオフセットされたオイルパンが見える。

実車は名前のとおり、ランチアのレーシングマシン。開発主任はヴィットリオ・ヤーノ。エンツォのアルファロメオ時代からの旧知で、のちにフェラーリに移籍する天才エンジニアだ。フェラーリ1号車の125Sを設計したジョアッキーノ・コロンボは、ヤーノのアルファロメオ時代の弟子だ。

前述のとおり、エンジンは15°オフセット搭載されている。理由は、ドライバーシートの横にドライブシャフトを通すことが可能になり、全高を下げ前面投影面積を小さくできるためだ。 
また、エンジンとシャシを接合し、ボディの一部にすることにより剛性を高めた。ストレスメンバー化というらしい。
さらに、両サイドのポンツーンは、燃料タンク兼エアロパーツとなっている。ヤーノ、天才!

それが、である。

フェラーリからランチアに移籍したエースドライバーのアルベルト・アスカリが事故死する。
それを切っ掛けに、ランチアはF1から撤退する。
フィアットを交えた交渉の結果、ランチアからフェラーリにD50と資材一式を譲り、ヤーノを含めた技術者も移籍することになった。

フェラーリ移籍後のこの車体は、ポンツーンはボディと一体になり、燃料タンクも通常の後部に移される。マシンの形の面白さでは、ランチア時代が私は好きだ。

ドライバー名が2人なのは、2人がドライブしたからだ。理由はこうだ。
モナコGP2周目でファンジオは藁束に接触し、あおりでチームメイトのルイジ・ムッソはリタイアする。
32周目で壁にホイールを接触させてピットインし、クラッチトラブルでリタイアしていたカステロッティにマシンを譲り#20は4位になる。
ファンジオは54周目でピットインしたピーター・コリンズから#26を譲られ、独走状態のマセラティのスターリング・モスを猛追するが6.1秒も開けられ2位となった。
コリンズが、ファンジオにマシンを譲ったのは、ドライバータイトルへの戦略だったのかは解らない。なお、コンストラクタータイトルは1958年から始まった。

長文読了、ありがとうございます

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