はっぴいえんど『はっぴいえんど』

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【2024年2月24日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
2月は「日本のロックの夜明け」をテーマにお送りしています。その最後は、はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』です。

かつて日本には「ロックは英語で歌うものか?日本語で歌うのか?」という“日本語ロック論争”があり、その中心に居たのが、はっぴいえんどでした。1969年、小坂忠らと細野晴臣、松本隆が組んでいたバンド、エイプリル・フールが解散。細野・松本は親交のあった大瀧詠一を誘って新しいバンド、バレンタイン・ブルーを結成します。彼らはアメリカのバッファロー・スプリングフィールドのような音楽を目指し、ギタリストを探します。そこでまだ高校生だった鈴木茂が呼び出され、即興で「12月の雨の日」のイントロを弾くと、即メンバーに加入。

その頃バレンタイン・ブルーは様々なライヴに出演して、関係者との交流を深めていきます。その一人が、当時URCレコードのディレクターだった小倉栄司(小倉エージ)でした。彼らを気に入っていた小倉が、レコードを作りたいと思っているところへチャンスが訪れます。その頃ボブ・ディランに影響を受け、ロックへシフトしようとしていたフォークのカリスマ岡林信康。小倉はバレンタイン・ブルーをバック・バンドに、という作戦でURCレコードと契約。バンド名はすでに「はっぴいえんど」に替わっていました。

晴れてプロとしての契約が取れた、はっぴいえんど。メンバーは1947年7月9日生まれの細野晴臣、1948年7月28日生まれの大滝詠一、1949年7月16日生まれの松本隆、そして1951年12月20日生まれの鈴木茂。岩手出身の大滝以外は全員東京出身者でした。早速レコーディングが進められ、初めはまごつきますが、結果4日で完了。1970年8月5日に1stアルバム『はっぴいえんど』がリリースされると、松本隆が書いた、それまで類を見ないセンスの歌詞によって、新しい日本語ロックが誕生しました。

はっぴいえんどは71年の2ndアルバム『風街ろまん』で、さらに進化。東京オリンピックで失われた東京の原風景を描くというコンセプト・アルバムは、松本の文学的歌詞と、スタジオ・テクノロジーの発展によるサウンドの深みも加わり、日本ロック界に残る名盤となりました。

『風街ろまん』でやり切ってしまったバンドは、ほぼ解散状態で大滝はソロ・アルバムをリリース。72年秋にロサンジェルスへわたりレコーディングに入りますが、アメリカへの憧れは崩れ去り「さよならアメリカ、さよならニッポン」という曲が生まれました。結局その年末に、はっぴいえんどは解散、明けて73年2月25日ラスト・アルバム『HAPPY END』がりりースされました。

解散後、松本隆は作詞家として大活躍、細野晴臣はイエロー・マジック・オーケストラで世界制覇。大瀧詠一はナイアガラレーベルを立ち上げ、名作『A LONG VACATION』を残し2013年惜しくも他界、鈴木茂はソロとして、セッションギタリスト、作曲家として活躍中です。

はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』
SIDE A
「春よ来い」
「かくれんぼ」
「しんしんしん」
「飛べない空」
「敵タナトスを想起せよ!」

SIDE B
「あやか市の動物園」
「12月の雨の日」
「いらいら」
「朝」
「はっぴいえんど」
「続はっぴーいいえーんど」

はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』いかがでしょうか?
ちなみ通称“ゆでめん”と言われるこのアルバム、日本語詞にもかかわらず今や全世界で愛されているのが面白いですね。

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山野楽器 はっぴいえんど特集ページ

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