イヴ・モンタン『モンタン、パリの心を歌う』

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【2024年1月27日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
1月は「新春フレンチ・カルナヴァル」と題してフランスの音楽を紹介しています。その最後は、シャンソンの代表曲「枯葉」でおなじみイヴ・モンタンのアルバム『モンタン、パリの心を歌う』です。

イヴ・モンタンことバース・ネーム、イヴォ・リヴィは、1921年10月13日イタリア、トスカーナ州の田舎町に生まれました。一家は貧しい農家で、ムッソリーニのファシスト政権から逃れ、1923年にフランスのマルセイユへ脱出。そこからアメリカ行きを予定するもかなわず、29年にはフランスに帰化してイヴ・リヴィとなりました。

フランス国籍となっても相変わらず生活は厳しく、父親のジョバンニは破産してしまい、子供たちも働くようになりました。姉のリディアは美容師に、リヴィはカフェの店員から工場作業員など、ありとあらゆる仕事をこなし、姉の美容室の手伝いもしました。そんな苦労が多いリヴィを救ってくれたのが映画でした。特にフレッド・アステアのタップダンスが好きで、彼のように踊りたいとさえ思ったそうです。

1938年17歳の年、人生に大きな変化が訪れます。この年初めてステージで歌い、イヴ・モンタンを名乗ります。第二次世界大戦が勃発すると一時中断しますが、41年には再びステージに立ち活動を続行。44年の夏、キャバレー「ムラン・ルージュ」でエディット・ピアフのオーディションを受け、彼女の後押しもあってスターの仲間入りを果たします。すぐに二人は恋に落ち、ドイツ占領下のパリで書かれた名曲「ばら色の人生」が誕生しました。

彼の大成功と裏腹にピアフとの間には溝が生まれ、やがて二人は破局。それでもイヴ・モンタン人気は衰えず45年には映画デビュー、46年『夜の門』の挿入歌「枯葉」が大ヒットして代表曲となりました。また53年のサスペンス映画『恐怖の報酬』に主演すると、カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞します。

56年にはモスクワはじめ、東側諸国をめぐるツアーを敢行。59年にはアメリカ進出を果たし、ハリウッド・デビューしてマリリン・モンローと共演。60年代以降も活動は留まることなく、アメリカ、ブラジル、日本などでの公演もこなしています。70年代80年代も、テレビに映画にステージにと大いに活躍してきましたが、1991年11月9日心臓発作を起こし、そのまま星となってしまいました。

イヴ・モンタンのアルバム『モンタン、パリの心を歌う』
SIDE A
「枯葉」
「詩人の魂」
「パリの空の下」
「パリ野郎」
「バラ色の人生」
「パリの騎士」

SIDE B
「セ・シ・ボン」
「パリ祭」
「パリで」
「青春」
「マリー・マリー」
「ぼくのメリー・ゴーランド」

イヴ・モンタンのアルバム『モンタン、パリの心を歌う』いかがでしょうか?
ちなみに、アーティスト名のイヴ・モンタンは、幼い頃、外で遊んでいるイヴォに母親が「イヴォ・モンタ!」
「イヴォ上がっておいで!」と呼びかけていたことに由来するのだそうです。

http://www.yves-montand-site-officiel.com/
イヴ・モンタン オフィシャル・サイト

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