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フランク 交響曲ニ短調
フランク:交響曲ニ短調 ジャン・マルティノン フランス国立放送管弦楽団 1968年
Franck: Symphony in D Minor, FWV 48
Jean Martinon Orchestre national de l’ORTF
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1楽章
フランクの交響曲は難しい。というか、とっつきづらい。マルティノン盤の録音状態はまずまず。ちょっと古いので、音痩せしているように思える。この曲、素朴で繊細、3楽章になると爽やかな風が吹いてくる。でも、そこに行き着くまでが大変なのだ。テンポは遅く、地面を這ってくるような重い空気感が漂い、ただ事ではないような雰囲気を醸し出す。暗雲垂れ込め、いかにも悲劇が始まる幕開けの序奏部分のようだ。マルティノン盤は、すっきり端正な演奏ではあるが、幾分、ピッチが高いような腰高な音というか、声が裏返っているかのような、ちょっと高音域の音がヒスっているような気がする。
じめっとした暗黒の重々しい、じっとりした空気感ではないし、どこか乾いているので、まだ聴きやすほうなのだが。単純というか、たった3つの音「みぃれ~ そぉ そぉ~ふぁしぃ~」が、連綿と繋がっているという変化のなさ。循環形式って呼ぶが、地面から這いつくばりつつも、付点のリズムが生まれてくると、パワーが出てくるのだ。その点が、怪物が蠢き、動きかけてるという感じで、不気味。
2楽章
ハープが、つま弾いてくる。 「そふぁ ふぁ ふぁ そふぁ ふぁ ふぁ しれっ しそっ ららっ ふぁっふぁっ」そこに、コーラングレ(イングリッシュホルン)が、鼻にかかった音で「そぉふぁ~らしそ そふぁ~ れどしそ そぉ~ふぁ しらそ」落ち着いてはいるが、どことなく沈静化した心持ちで、影が落ちている。コーラングレって言えば、なんとも甘い声で、うっとりするフレーズを聴かせてくれる楽器なのだが、ここでは、はぁ~暗い。ワタシにとっては思索を通り越して、悲痛な感じがするのだが、穏やかに悩みつつある感じだろうか。痛々しい感じこそしないが、遠い目をした人だなあ~っ そっと しておこう~という感じに。で、旋律を繰り返すうちに、弦の跳ね回る感じと共に、音をおいていくようなフレーズが交錯し、また、木管が穏やかな旋律を奏でていく。地面から立ち上がったところで、燕が草原を飛び交うような、さらっとした空気が生まれてくる。まあ、そこまで行きつくまでが大変で~ シツコイくらいに、おなじフレーズを奏でつつ、ころころと転調していく。
3楽章
ようやくチェロとヴァイオリンが、主旋律を優美に歌い出す楽章に入ってくる。マルティノン盤は、繊細な音を出しており、もう少し低音のフレーズが入っていると、構築性が出てくるのだろうが、やっぱりどことなく腰が高い。優美で繊細だが、シンプルなフレーズが、壮大に格調高く、そびえ立つ~というほどの威厳がない。どことなく田舎の教会の素朴さがある。だけど・・・ どっちが楽想にあっているのだろう。横の流れというか推進力は十分に感じられるし、爽やかな風が吹いてきた雰囲気があって、肌をなでるような弦のさらっとした感覚、木管の音色の高さ、細さが、特に、レースのように透けている。バックの弦も重くなく、さらっと弾いている。で、音を重く置かない。音がすっと立つように放たれている。
マルティノン盤は、縦の厚みが少し~ う~ん。薄いかもしれないけれど、これは軽やかさ、流れを重視しているのだと思う。だって、他盤だと相当重みを増して厳めしく上段に振りかぶってくるからねぇ。しかし、フランクの交響曲は、う~ん。何度聞いてもよくわからないというか、ワタシが、単に共感していないのかもしれないが、解りづらい。縦にも横にも、そして立体的に、そこそこの重量を持ちながら、流れるようにフレーズを歌い、どうやったら色彩的にもカラフルに見えて、優美さも醸し出せるのか、すごく難しそうな楽曲だなと思う。
この3つの音の構成だけだから、身軽だからかもしれないが、短時間に、めまぐるしく雰囲気が変わるのだ。短すぎる。そんなに、ころころ雰囲気を変わらなくても~ そこそこ長い主題でなければ、言いたいことが、相手に伝わらないのではないのか~どうして、こんな短いフレーズで組み合わせて、交響曲を創ろうとしたのか、う~ん わからないデスね。マルティノン盤で聴いていると、3つの音が組み合わさった、3つの音で明確に区切られているような気がする。どことなく、さらっと、数学している感じがする。カップリング:サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」、フランク交響曲ニ短調