バーンスタイン/マーラー交響曲大地の歌

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第6楽章「告別」の模範的演奏

1966年録音の「大地の歌」
ジェームズ・キング、フィッシャー=ディースカウ
ウィーンフィル
バーンスタイン
プロデューサー:ジョン・カルショー
歌詞対訳:渡辺護
UCCD - 4407

これは、カルショーのプロデュースなので、LPレコードで聴くと良いだろう・・・つまり、デジタルリマスタリングでは、アナログの音がどのぐらい伝わるか?

演奏は、ディースカウが良い。第4楽章「美について」の早口(速いテンポ)で歌われるところは、ドイツ人でないと歌えないだろう。

第6楽章「告別」のディースカウとバースタインの解釈は模範的演奏だろう。それは、アルト歌手が歌ったものを含めて、かつて、発売された第6楽章「告別」の模範だと私は思う。勿論、このアルバムの前にも後にも名演奏があると思う。しかし、このアルバムは、好みを超えた「模範」だと思う。

ディースカウの歌唱は、リスナーをして、詩の意味に「こだわりたく」させる。
「友が馬を降りて、別れの杯を差し出す」
さりげないけど良い。友は馬上から酒を渡すのではない・・・。情景が目に浮かぶ。

第6楽章「告別」最後の節「遠き果てまで、いずこにも、とこしえに青き光!」とは何だろう? 辞書を引くと「blauen」は自動詞で「(空が)青くなる。青い」。「Alluberall und ewig blauen licht die Fernen」の blauen が三人称複数なので、主語は、「die Fernen(遠方)」。だとすると「どこも、いつまでも、遠くは(遠くまで)明るく青い」。「licht」は副詞「明るく」。(要するに「青空がどこまでも続く」)

さて、同じ綴りの「blauen」が、第6楽章冒頭では「形容詞」として使われている。「Der Mond am blauen Himmel herauf.(小舟のような月が青い(形容詞)空に浮かんでいる)」と・・・。

同じ「blauen」でも両者は(文法も)意味も違う。つまり、両者の違い。ニュアンスの違いは、冒頭の青は「暗」、最後の青は「碧」だろう。しかし、私は、この2つの「青」を重ね合わせてしまった。
春が来ても、月は暗くて青い空に浮かぶ。
逆に、春が来なくても、一年中、晴天の空は青い。晴天が暮れると青い月夜になる。
この歌の主人公は死に場所を求めているのだから「青」は不吉に思えてしまった。

ディースカウの歌唱はテンポが遅いし、勿論、ドイツ語がきれいだし、表現力も抜群である。彼の歌唱にしつこさを感じるリスナーもあるかも知れないが、私は彼とバーンスタインの「告別」を超えるものはないと思っている。

Die liebe Erde alluberall bluht auf im Lenz und grunt
Aufs neu! Alluberall und ewig blauen licht die Fernen!
Ewig... ewig...

いとしきこの大地に春来たりていずこもにも花咲き、
緑新たなり! 遠き果てまで、いずこにも、とこしえに青き光!
とこしえに…とこしえに…
(渡辺護訳)

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