Deus Arrakis

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2022年残念ながら逝去したKlaus Schulzeの新作と同時に遺作となってしまったDeus Arrakisについて、自分なりに思うところを書いてみようと思う。楽曲とタイトルにもなっているエジプト神話、そしてSF小説Dune等をやや強引に結び付けてみた。

タイトルが示す通り、彼の敬愛するFrank Herbertの小説Duneをモチーフにした作品。1979年にはアルバム「Dune」、前年の1978年にはアルバム「X」において「Frank Herbert」という曲を発表する程の傾倒ぶりで、近年「Dune/砂の惑星」のタイトルでDenis Villeneuve監督により映画化された際、この「Frank Herbert」という曲がHans Zimmerによりアレンジされサウンドトラックに採用されている。

ヨーロッパ人にとって砂漠というと一番にイメージされるのはエジプトなのかも知れない。それはオベリスクが何故世界中にあるのかを考えれば、その関心の高さは自ずと見えて来る。そしてこのアルバムではDune/砂の惑星をエジプトに置き換えエジプト神話に於いて重要視されている「死後の世界」に関わる神々の名前がタイトルに使用されている。
アルバムには3曲が収録され、1曲目は4つのパートから成る18分余りの曲Osiris。リズムの無いノイズにも似た電子音がひたすらに流れ続ける。それは無機質でありながらも徐々に有機的な音色を帯び、惑星アラキスの荒涼とした砂漠において生命が創造される際のサウンドトラックのようだ。
古代エジプト創世神話ではオシリス神は冥界神であり豊穣神であると同時に復活神としての性格もある。この復活神としての意味合いはアルバム全編を通して聴くと理解できる。
2曲目はSeth。7パートから成る32分弱の曲。神話ではセト神はオシリス神の弟であり戦争神とされている。気性の荒い性格で兄のオシリスを殺してしまうが、オシリスの息子ホルス神と戦って敗れる。
冒頭アラキスの砂嵐を連想させる荒々しいサウンドエフェクトが聴く者の不安感を掻き立てたかと思うと間も無くシーケンサーの強いリズムが現れ、粗暴な戦争神を表現しているようだが、メランジを求めてやって来た余所者を容赦無く排除するサンドウァームの存在をも連想させる。次いでWolfgang Tiepold の奏でるチェロがアルバムDuneのリプライズの如く響き渡る。このチェロ音源は1979年のDune録音の際の未発表テイクを使用したそうで、当然と言えば当然だがまるでそのDuneの続編のような荘厳さが懐かしい。
3曲目はDer Hauch does Lebens。訳すと「生命の息吹き」と言った感じか。5つのパートから成る27分余りの曲。低いベーストーンに弾けるような高音のトーンが煌めき、果てし無く続く砂の惑星アラキスの空気中に漂うメランジの存在を象徴しているかのようだ。中盤以降はリズムの無いシンセによるアンビエントなハーモニーが静謐な音空間を拡張させ、正に香料メランジの持つ、摂取者の意識を拡張させ超能力的な感覚を高める効能そのものを表現しているようにも思える。そしてこのハーモニーは1曲目のOsirisに引き継がれているかの様に類似しており、このアルバムが永遠に繰り返す生命の死と再生を暗示しているかのような構成になっている。
古代エジプト人は夜明け頃に山犬の星シリウスが輝くようになるとナイル川が氾濫し耕地が水浸しになることを知っており、それが新しい年の始まりだった。そして4ヶ月の後、水が引くと土地は塩分が洗い流され上流から運ばれた肥沃な土で覆われているので、種を蒔くだけで豊かな実りが得られるのである。この毎年繰り返される洪水とその後に見られる豊穣のサイクルに再生復活の思想を見出したという。これが古代エジプトにおける死生観の源であると言われている。同様にこのアルバムでは、1曲目に復活神で2曲目に戦争神、そして最後に生命の息吹が起こって再び1曲目の復活神に戻る。こうして永遠の再生復活を表現しているのだろう。

とにかくこの作品を聴いて感じられたのは、生前最後の作品にDuneの物語を選んだのは決して偶然では無く、おそらくクラウスは自らの命の限界を悟っていたに違いない。通常はまず作品を作り上げてからタイトルを決定しているのだろうが、今回に限ってはタイトル先行ではないか。この作品は彼の遺言と言っても過言では無く、その想いをしっかりと受け止めたい。そして願わくはメランジによる拡張意識の世界に浸って彼の最後のトリップを体験してみたいものだ。

エジプト神話の部分は
ピラミッド文明:ナイルの旅 吉村作治著
ウィーン美術史美術館所蔵古代エジプト展図録
ドイツヒルデスハイム博物館所蔵古代エジプト展図録
を参照。

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