金屋橋 箱場印

初版 2025/02/08 13:25

改訂 2025/02/08 13:25

2025年2月に開催された某オークションにて念願が叶った落札品の一つが、この「○金」=「金屋橋」箱場印です。

明治八年二月二十三日に差立られた脇なし一銭二つ折葉書に押された使用例です。

箱場印は丸枠に「金」一文字で、直径は約16mmと、大坂の箱場印の中では最大級の堂々とした印影です。

日付印と重なっているので、画像処理ソフトGimpを使ってお化粧を施して綺麗にしてみました。

この金屋橋箱場印ですが、『摂河泉の郵便印』では希少度は「R」一つとなっていて、さほど珍しいものではないように思えるのですが、これまで現物を確認できたものはこの使用例を入れてわずか三点。しかも、その全てが明治八年の使用です。

明治八年は大坂の箱場印の終焉期で、明治七年十二月ごろから使われ始めた大坂の郵便仮役所印と支局印との関係を詳しく調べる必要があるのですが、明治八年四月の終わりには箱場印は使用されなくなっていることがわかってきています。

その中で、少なくとも明治七年の終わり頃になってようやく登場した金屋橋箱場印なので、現時点のデータに基づくと、使用期間は最長でも6ヶ月あまり、もしかしたら数ヶ月かも知れないということが言えるのです。

さて、この使用例、楕円枠の大きな「金屋橋 運送商社 出張」黒印と、四角枠の「積附」朱印が押印されています。

この「運送商社金屋橋出張(所)」については残念ながら詳しい情報がわかっていないのですが、私のコレクションにある明治十四年五月の小判1銭葉書に押印されている「内国通運会社分社 金屋橋運送所」、明治十六年五月の小判1銭葉書に押印されている「大阪金屋橋東詰運送所」の前身、すなわち「陸運元会社」の出張所であると考えています。また、これらの小判葉書に押印されている社印から、「運送商社金屋橋出張(所)」は金屋橋の東詰にあったものとほぼ断言していいのではないか、と推測しています。そして、金屋橋箱場はこの運送所に(ごく短期間のみ)設置された箱場であると考えています。

さらに、これらの使用例に共通する点として、「積附」朱印が押印されていますが、各々の文面から判断すると運送所からの「送り状」であることがわかります。すなわち、これらの使用例は、普通の書簡ではなく、明治の初期に、郵便物の配達という仕事を政府に奪われた飛脚問屋が集まって創業された陸運元会社と、その後進である内国通運会社が荷物を送る際に使用した送り状なのです。

運送所があった金屋橋は、大坂市街でいうと南のほう、道頓堀と西横堀とが交わる地点にある、西横堀に架かる橋です。当時の道頓堀は船による物流が盛んであったところで、運送会社の事務所が置かれていたことも納得できます。

明治五年「大阪市中地區甼名改正繪圖」より金屋橋周辺図(国際日本文化研究センター所蔵地図データベースより)

市内を縦横に走っていた堀が埋め立てられた大阪では、多くの橋がなくなってしまったのですが、金屋橋は今でも西横堀の上を通る阪神高速環状線の下をくぐる形で現役の橋として残っています。金屋橋東詰はミナミの繁華街の西の外れ、いわゆるアメ村の南の端。そばには私の行きつけの洋食屋さんもあって、学生の頃から馴染みのあるところでした。

金屋橋を見に行くという口実にして、久しぶりにセイロンライス・カツ乗せを食べに行きたくなってきました(笑)

[Googleマップより]

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unechan

子供の頃から細々と続けてきた切手収集。長年のブランクを経て10年ほど前から再開し、日本切手クラシカル、ドイツインフラなどを収集。併せて手彫証券印紙の収集を始め、現在はこちらがコレクションのメインになっています。郵趣に加えて音楽(ジャズ)、釣り、鉱石収集、昆虫採集(蛾類)など趣味多数にて家族には迷惑をかけております…

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