船津橋 箱場印
初版 2025/02/07 22:03
改訂 2025/02/07 22:03
最後のLabログアップロードから随分と月日が経ってしまいましたが、このたびようやく大坂の箱場印を追加することができました!
これまで入手できていたものはそのほとんどが『摂河泉の郵便印』でいうところの普通品、もしくは希少度で「R」一つのものでして、残っているものは全てがレアアイテム。希少度で「RR」「RRR」といった難敵がずらりと並んでいます。
したがってこの1年以上は新しい箱場印を手に入れることができず、既集のものでコンディションがいいものや、使用時期の異なるものをポツポツと拾い集めて、来るべき日(?)に備えていた次第。(手彫証券印紙の調査研究に忙しかったこともありますが)
そのような入手しにくい箱場印が押された、こちらも入手が難しい「脇付き二つ折葉書」が、先日開催された某オークションで勢揃い!
しかも大坂のみならず、こちらも難敵の多い西京の箱場印が勢揃い!
まさに千載一遇のチャンスで、全て欲しいところでしたが、そんなことしたらえらいことになりますので、どうしても入手したかったものを大坂で2点、西京で6点、頑張って落札いたしました。
それらの中から、まずは大坂の美しい朱色の「○船」こと船津橋箱場印をご紹介いたします。
『摂河泉の郵便印』では堂々の「RR」ランクです。
ご紹介するものは、明治七年七月二十八日付の消印(二重丸型日付印、大阪N1B1型)が押された、神戸宛の脇付き二つ折葉書に押されたものです。

箱場印は鮮やかな朱色の丸枠付き「舩」一文字です。

この箱場印、これまで諸先輩方の所蔵品で実物を目にしたことがあるだけの稀印でしたが、いずれも実に鮮やかな朱色と綺麗な印影が印象的で、個人的には大阪の箱場印の中でも一、二を争う美しさを誇るのではないかと思っておりました。
この度、無事にコレクションに加えることができて実に嬉しい限りです。
さて、『摂河泉の郵便印』ではこの「○舩」は「舩町橋」箱場とされていますが、1989年に、大西二郎氏が『関西郵趣』に発表した研究報告では「船津橋」となっています。この研究報告では、明治四年四月三十日付の大坂府布令にて布告された増設箱場25箇所の設置場所と、当時の大阪市街図とを突き合わせて、これまで知られている箱場(箱場印)の名称と一致する、もしくは位置的に整合するものを分析しており、1961年の『摂河泉の郵便印』以来の画期的な知見が得られています。25箇所の箱場のほとんどについて設置場所・管理者名との対応がついているというこの研究報告の存在を知ったのは恥ずかしながら比較的最近でして、これからこのLabジャーナルの説明をアップデートしていく必要があります。
さて、大西氏により「下福島村 多田屋久兵衛」とある箱場が「○舩」=「船津橋(北詰)」と推定された理由は、当時の大坂市街地図を見れば一目瞭然でしょう。
下福島村は、安治川の北側(右岸)にあった村で、現在の福島区玉川から野田あたりに相当します。中之島の西端と、対岸の下福島村を結ぶ重要な橋が「船津橋」(舩津橋)であること、大坂の箱場は橋のたもと、もしくはその近くに設置されていることが多いことから、下福島村に設置された箱場は「○舩」=「船津橋」であり、設置場所は船津橋の北詰である、という推理ができるわけです。

『大坂明細全図』(明治12年)より (出典:国際日本文化研究センター 所蔵地図データベース)
なお、船津橋は現在も大阪市内と大阪中央市場を結ぶ重要なルートとして活躍していて、大阪の食文化=「食い倒れ」を支えています。

