預けたらヤバそうな銀行

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悪気があってつけた名前じゃないんだろうけど、銀行にこのネーミングはねえ。
「あかじ」じゃなく「あかぢ」だけれども。

なんで「あかぢ」なのか、長いですが説明を書きます。

もともとは明治10年にできた「第二十七国立銀行」というのがあり、大正9年に「東京渡辺銀行」と改称。
この銀行を経営していたのは渡辺治右衛門(わたなべ・ぢえもん)という人物で、東京・日本橋の豪商「明石屋」の御曹司だった。
なんで「明石屋」かというと、初代が兵庫の明石から上京して店を開いたかららしい。
で、「明」石から来た渡辺「治」右衛門ということで、この初代は「あかぢ」と呼ばれていたそうで、家を建てるために買った土地が現在の千代田線根津-千駄木間の東側の土地だったのだけれども、坂の上にあったので、その坂も「明治坂(あかぢざか)」と呼ばれていたんだとか。

それはさておき、この東京渡辺銀行が姉妹銀行として設立したのが零細預金者向けの「あかぢ貯蓄銀行」。
零細だから「赤字」ということでなく、純粋に自分らの呼び名の「明治(あかぢ)」から付けただけと思われます。
なんで漢字の「明治」を使わず平仮名の「あかぢ」にしたのかはナゾですが、やはり漢字では「めいじ」と読まれてしまうのと、同じ時代に読み方が「めいじ」である全く別の「明治銀行」というのが愛知県にあったからと思われます。そこらへんは資料がないので全くの類推ですけども。

なお、東京渡辺銀行は放漫経営だったところにもってきて、1927(昭和2)年の帝国議会で大蔵大臣が「渡辺銀行が破綻した」と失言し、この直後に東京渡辺銀行と、関連のある「あかぢ貯蓄銀行」は休業し、取り付け騒ぎへと発展しました。
これが昭和金融恐慌のきっかけと言われています。
しかしながら放漫経営でヤバかった東京渡辺銀行は「預金を払い戻さなくて済む」と、休業できたことをむしろ喜んでいたという話もあり、実際、取り付けが起きても預金者へはただの1銭も払い戻されなかったというから、実にエエ加減な銀行ですね。

てことで、やっぱり赤字になったじゃん!

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※明治坂について説明しているサイト:(ルビは「あかじ」になっている)
http://www.sakagakkai.org/profile/taito/akaji.html

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