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東急東横店もついに閉店か・・・
昭和10年11月に東京宝塚で行われた花組公演の宣伝ハガキ。
演目は1日から13日までが「夜鶴双子」「踊くらべ」「マリオネット」の3本、14日から26日までが「靈泉(れいせん)」「奴道成寺」「マリオネット」の3本と、なかなか豪華。
昭和10年の「夜鶴双子」は各種サイトでは「夜鶴双紙」と紹介されることもありますが、どちらが正しいのかは分かりません。
阪急の公式サイトにあるポスターでは昭和10年公演は「夜鶴双子」、昭和23年の公演では「夜鶴双紙」と印刷されています。
この葉書の下についている広告は東横百貨店。
宝塚を始めた阪急の小林一三と東急の五島慶太は「西の小林、東の五島」と称される鉄道王ですが、小林の経営・開発手法を五島が積極的に取り入れたり、五島が事業の相談にも乗ってもらっていたため、そんな縁から広告を出したのかもしれません。
偶然でしょうが、後に東急百貨店となった白木屋も宝塚に広告をよく出稿していました。
そういえば、東横百貨店にルーツを持つ渋谷の東急東横店が令和2年3月31日をもって閉店するというニュースが流れました。
この東横百貨店は阪急がやっていたような、自社の鉄道に直結するターミナルデパートとして昭和9年に開業したもので、この建物自体は後の東急東横店東館となり区画整理で平成25年に営業を終了していますから、東横百貨店の建物はすでに消滅しているわけです。
令和2年に閉館されるのは戦後に増築され現在も残っている西館と南館とはいえ、やっぱり寂しさがありますね。
東急百貨店に商号変更したのは昭和42年なので、昭和の半分以上は東横百貨店だったことになります。
2枚目のマッチラベルは東横百貨店のものです。
どうでもいいけど、ガキのころ目蒲線沿いに住んでいたおいらは、母親に連れられ渋谷東急の屋上でよく遊んでいたらしいです(笑)
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who-me-A
2019/07/23お世話になります(笑)紳士服売り場は敷居が高いし、婦人服売り場は居心地悪い!。日用品はつまんねえから、玩具売り場へ直行だぜ!デパート(死語?)っていいですよね!。デパートへ行くときは正装です。
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showa_express
2019/07/23デパートは正装!
昔は新幹線や特急乗るときも、めかし込んだそうですね。
おばあさんが草履を脱いで座席の上に正座したってエピソードもあるぐらいだし。
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