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右を向いている花王のロゴマーク
しかも顔がおじさんだし。 今の花王のロゴマークは線がスッキリしていて、公式サイトによれば子供の顔なのだそう。 右を向いていた顔が左を向くようになったのは同社サイトの「ロゴマークの変遷」によると昭和18年から。 向きが変わっても顔はおじさんのままで、それが戦後の昭和23年からは女の人になり、今の見慣れた顔になったのは昭和28年からだそうです。 これは戦前に送られた花王のダイレクトメール。 宛名面にある差出人は「花王石鹸株式会社長瀬商会」で、淀橋区内の顧客に送った(東京)市内郵便。 日本橋局の市内郵便スタンプが押されてますが、日付はありません。 「花王パート」という婦人用洗顔料の広告ですが、チューブに英語で「CLEANSING AND SHAVING CREAM」とあるので、洗顔以外に産毛などを剃る用途にも使えたようですね。 宛名面の下部には発売を告知する次のような宣伝文が記されています(表現は原文のママ): 「花王パートは汚れを落す後から皮膚榮養素が作用きお肌を血色よく滑らかに整へる最も進んだ洗顔料でございます(1字空き)特にお化粧前の御洗顔は不思議な位白粉ののりをよくし又素肌を艷やかに色白くする作用のために清楚第一の女學生方の洗顔美容料としても理想的でございます」 申し込めば試供品が送られることも併記されています。 化粧品関係の宣伝ハガキは当時からカラフルで、資生堂、レート、クラブ、ライオン、カガシなど、どれも多色刷りのものばかりです。 #広告ハガキ #花王石鹸 #戦前 #昭和レトロ
広告ハガキ 花王石鹸 花王パートshowa_express
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東急東横店もついに閉店か・・・
昭和10年11月に東京宝塚で行われた花組公演の宣伝ハガキ。 演目は1日から13日までが「夜鶴双子」「踊くらべ」「マリオネット」の3本、14日から26日までが「靈泉(れいせん)」「奴道成寺」「マリオネット」の3本と、なかなか豪華。 昭和10年の「夜鶴双子」は各種サイトでは「夜鶴双紙」と紹介されることもありますが、どちらが正しいのかは分かりません。 阪急の公式サイトにあるポスターでは昭和10年公演は「夜鶴双子」、昭和23年の公演では「夜鶴双紙」と印刷されています。 この葉書の下についている広告は東横百貨店。 宝塚を始めた阪急の小林一三と東急の五島慶太は「西の小林、東の五島」と称される鉄道王ですが、小林の経営・開発手法を五島が積極的に取り入れたり、五島が事業の相談にも乗ってもらっていたため、そんな縁から広告を出したのかもしれません。 偶然でしょうが、後に東急百貨店となった白木屋も宝塚に広告をよく出稿していました。 そういえば、東横百貨店にルーツを持つ渋谷の東急東横店が令和2年3月31日をもって閉店するというニュースが流れました。 この東横百貨店は阪急がやっていたような、自社の鉄道に直結するターミナルデパートとして昭和9年に開業したもので、この建物自体は後の東急東横店東館となり区画整理で平成25年に営業を終了していますから、東横百貨店の建物はすでに消滅しているわけです。 令和2年に閉館されるのは戦後に増築され現在も残っている西館と南館とはいえ、やっぱり寂しさがありますね。 東急百貨店に商号変更したのは昭和42年なので、昭和の半分以上は東横百貨店だったことになります。 2枚目のマッチラベルは東横百貨店のものです。 どうでもいいけど、ガキのころ目蒲線沿いに住んでいたおいらは、母親に連れられ渋谷東急の屋上でよく遊んでいたらしいです(笑) #宝塚少女歌劇 #花組 #広告ハガキ #マッチラベル #東横百貨店 #東急東横店
宝塚少女歌劇 広告ハガキ 東京showa_express
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ラ・ロマンス 雪組公演
昭和11年の「ラ・ロマンス」は東宝の場合。10月に雪組、11月には花組の公演が行われているようで、このハガキは記載の通り、雪組公演のもの。 この当時の雪組組長は初音麗子(のちに礼子)。 ハガキ下部の広告は「日米国際庭球大会」。 こちらも公演と同様、昭和11年10月の開催で、場所として記載されている「読売スタンド」は後の田園コロシアム。 「チルデン・ヴァインズ来る!」とありますが、チルデンはビル・チルデン、ヴァインズはエルスワース・バインズという当時の超有名男子テニスプレーヤーとのことで、どちらもウィンブルドン優勝経験者。 今ならジョコビッチやナダル、フェデラーがやってきたようなものでしょうか。 #広告ハガキ #宝塚
広告ハガキ 昭和11年showa_express
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軽騎兵と薔薇娘
大劇場で7月いっぱい公演された星組の「軽騎兵と薔薇娘」。 9月には東京宝塚でも公演が行われ、この葉書はその宣伝のもの。 下にはレートクリームの広告が入ってますね。 レートは日本橋馬喰町で創業した平尾賛平商店の化粧品ブランドで、レートはフランス語で「乳」を意味するLaitなんだそうです。 広告にあるレートクリームは女性が目にしそうなあらゆる媒体に広告を出しており、大阪のクラブ化粧品との競争で「東のレート、西のクラブ」と言われました。 しかしながらレートは戦後長くは続かず昭和29年に廃業しています(クラブは令和の現在も存続)。 #宝塚 #戦前 #レート化粧料 #広告ハガキ
広告ハガキ 東京/日比谷 戦前showa_express
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昭和11年の暑中見舞い
暑中見舞いを兼ねた公演の案内ハガキ。 演目は「モンテ・クリスト伯爵」で、大劇場では昭和11年6月に公演が行われているので、約1カ月遅れで東京宝塚で公開されたものと思われます。 主演は小夜福子(さよ・ふくこ)。 ウィキペディアにも項目があるので、詳しくはそちらで。 ハガキ下部にあるのは広告スペースで、当時の宝塚DMには必ずと言っていいほどスペースが設けられており、今回は「カガシベーラム」。 カガシベーラムは古い新聞広告によれば「最良のフケトリ香水」とのこと。 #宝塚 #戦前
広告ハガキ 昭和11年 東京宝塚劇場showa_express