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戦前の自動車専用道路
現在の国道2号線(1926年12月開通)を走っていた阪国バス。
正式名称は阪神国道自動車で、1928年設立。梅田から野田阪神を経由して東神戸まで運転していたらしい。
この国道を通るバスは実に37社から路線免許の出願があったものの、同じ国道上に路面電車を通す予定だった阪神国道電軌が取りました。
この路面電車は1927年に開通したが、翌年阪神に買収され阪神国道線(1975年廃止)となりました。
阪国バス自体も1932年には阪神系列となったため、阪国バスは現在の阪神バスの母体ということになります。
梅田から東神戸だけでなく、このマッチラベルにあるように尼崎から省線宝塚駅前までの路線もあり、結構繁盛していたらしい。
宝塚までの路線は阪神系列の宝塚尼崎電気鉄道が鉄道用に整備したものが始まり。
しかしいろんな理由で鉄道の計画は頓挫し、線路用地を舗装して自動車専用道路として整備することとなり、この路線を走ったのが、阪国バスの「省線宝塚駅マデ乗入開通」の区間ということになります。
「東洋一自動車専用道路」とあるとおり、当時としては珍しい自動車専用道路で料金所もあったそうですが、資料によっては「バス専用道路」としているものもあって、どっちが正解なのかは不明です。
この道路はその後、戦時中に兵庫県の県道となり、現在の兵庫県道42号尼崎宝塚線となっています。
なお、有料道路としては日本初なのか関西初なのかは分かりません。
有料の橋などは明治以前からあり、これを有料道の一種とすると日本中に「我こそが日本初」というのが、あまりにも多いらしく、断定ができないからだそうです。
阪国バスのマッチラベルは当時のバス会社の中では比較的多く残っている部類に入り、回数券の案内や行楽など図柄も多様です。
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