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1973年8月16日発売 ザ・ビートルズ1967年〜1970年 オープン・リール
タイトル:ザ・ビートルズ 1967年〜1970年 形態:オープン・リール レーベル:Apple 品番:EAXA-5098B 定価: ¥4,200 発売日:1973.08.16 通称「青盤」と呼ばれているベスト盤のオープン・リールです。 レコードの発売が 1973.05.20 ですから、約3ヶ月遅れの発売です。 「青」が出てるということは、当然「赤」もあると思いますが、 同じ月報には載っていません。 先行していたのかもしれません。 収録曲そのものはレコードと同じですが、表示通りの曲順なのだと すると、「レヴォルーション」と「バック・イン・ザ U.S.S.R」が 入れ替わっています。 ここはレコードだと1枚目と2枚目の分岐点になるところなので オープン・リールでは、そこが違っていることになります。 発売日等は判りませんが、赤・青は、もちろん8トラやカセットも 発売されていました。 #ミュージック・テープ資料 #オープンリール資料 #ビートルズ
ビートルズ 音楽 ザ・ビートルズ 1967年〜1970年 東芝音楽工業chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌別冊 ビートルズ来日特別記念号
「ミュージック・ライフ」別冊 ビートルズ来日特別記念号です。 来日を目前に控えた1966年6月1日に発行されました。 通常のML誌より大型で、A4を少し大きくしたサイズです。 画像1,2 表紙 中央の目の部分が丸くくり抜かれており、そこから画像が見える構造に なっています。表紙をめくると、画像全体を見ることができます。 画像3 リンゴとジョージ 画像4 ジョンとポール 画像5 ウィットに富んだ野次のとばし方 この特別記念号で最も面白いのが、公演に向けての準備や、当日の アドバイス等をまとめたページ。 野次は、タイミングと声の通りの良さが決め手ということで 「第一にでっかい(大きいではありません)ばかでっかい声を出す訓練を しておくことです。」と書かれています。 画像6 どうしたらサインをもらえるか? 秘伝は「ホテルのルームサービスになりすまし、ころあいを見はからい (中略)彼らの部屋に堂々と乗り込む事」 画像7 コンサート前日の注意 前夜の献立は「ビフテキそしてナットウなどを主体として動物性、植物性 たんぱく質を十分にとりたい」 「くれぐれも云っとくけど大変なんだよピートルズを見ることは、スタミナ とヘントウセンの力尽きるまでハッスルして」 ファン・クラブなどが「静かに鑑賞しましょう、行儀良くしましょう」 などと呼び掛けていたのとは好対照です。 画像8 公演チケットの見本 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥300 別冊 ビートルズ来日特別記念号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌別冊 ビートルズ写真集
「ミュージック・ライフ」別冊 ビートルズ写真集です。 発行は1965年11月1日です。 (全118ページ) 内容は、ほとんどが春の臨時増刊号の使い回しです。 映画「ヘルプ」の写真など、追加されているものもありますが、 両方買った人は、がっかりしたのではないかと…… 画像1 表紙 画像2 インタビュー 場所は判りませんが、マイクのテープ巻のやっつけ感がすごいですね。 画像3~7 映画「ヘルプ」のスナップ 画像6 覚えてます。毒ガスで倒れた近衛兵(?)に対して、リンゴが 「休憩かな?」 画像8 ロックウッド会長と バックには「His Master’s Voice」のニッパーの絵が。 EMIというのは、もともと「His Master’s Voice」と「British Columbia」 が統合した時に出来た会社です。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥280 別冊 ビートルズ写真集chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌別冊 '65春の臨時増刊号
「ミュージック・ライフ」1965年春の臨時増刊号です。 別冊のビートルズ特集号ということで、ビートルズが中心ですが、 他のリバプール系のグループや、アメリカのビーチ・ボーイズ、 ベンチャーズなども掲載されています。 (全98ページ) 画像1 表紙 画像2 オン・ステージ1 ジョンとポールのこのアングルが、ギターの向きともども、 格好いいなと思ったものです。 画像3 オン・ステージ2 ジョンの右手の位置からして、何かの曲のエンディングでしょうか。 2人のギタリストのコードはG系のように見えます。加えて3人のコーラス で終わる曲というと「She Loves You」でしょうか? 画像4 こけし人形 東芝からプレゼントされたこけしを手にした1枚。 リンゴは会長のジョセフ・ロックウッドに花を持たせてあげたのかな? 画像5 マイアミ・ビーチ この辺りは、動画も残されていますね。(First US Visit) 確か、マイアミ・ビーチでのスナップだと思いますが、 この時のホテルが、数年前に老朽化のために解体された、 というニュースが報じられていました。 画像6 その他のグループ1 スウィンギング・ブルー・ジーンズ スキャニングした画像だと判りにくいかもしれませんが、ギタリストは ゲージのきつい弦を使っているように見えます。(3弦もワウンド) 画像7 その他のグループ2 ハーマンズ・ハーミッツ。 ジェリーとペースメーカーズ。 画像8 その他のグループ3 ホリーズ、P.J.プロビー、フレディとドリーマーズ P.J.プロビーは、当時聴いた記憶がありません。 フレディとドリーマーズは、オムニバス盤で知っていましたが、 YouTubeで動画が見られるようになって、こんなにコミカルな グループだったのかとびっくりしました。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥200 別冊 '65春の臨時増刊号 特集The BEATLESchirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1970年6月号
「ミュージック・ライフ」1970年06月号です。 (全188ページ) 1970年に入り、テキストが横書きに改められ、従来の右綴じから左綴じに 変更されています。 画像1 表紙 ポール・マッカートニー。 画像2 ボビー・シャーマン こういった健全な(!?)シンガーは、当時活動しにくかったように 思います。エレキ・ブームやビートルズ・ブームの頃は、 違ったタイプの音楽が排除されることはありませんでしたが、 アート・ロック全盛の時代は、少しでも判り易い音楽をやると 「too commercial」などと嫌われたものです。それを煽るような 評論家も含めて、スノッブがたくさんいました。 画像3 ジェフアーソン・エアプレイン サイケなイメージのバンドです。 画像4 クロスビー、スティルス、ナッシュ・アンド・ヤング ブラインド・フェイスやハンブル・パイなどもそうですが、別個の ユニットで活動していたミュージシャンが、垣根を越えて集い、 新たなグループを結成するというのは、よくあったと思います。 ジャム・セッションの延長のような新鮮さがあったのでしょうが、 恒常的なバンドにはなりにくかったようです。 画像5 ジミー・ペイジ 個人的には、あの様な低いギターのポジションで、 弾きにくくないのかなと思っていました。 画像6 ビートルズ解散 ポールのビートルズ脱退声明を受け、ポールへのインタビュー結果 も含め、イギリスのニュー・ミュージカル・エクスプレス誌の編集長 との国際電話の様子が伝えられています。最近のイギリスでの ジョンとヨーコの受け止めについて「全く気違い扱いです」という 実にストレートな回答!。 画像7 オーディオ用語解説 レコード芸術などでは主要な領域のひとつでしたが、ML誌としては、 従来あまり取り上げていなかったと思います。 画像8 新星堂の「ゲット・バック」予約広告 ビートルズ最後のLP(と断言しています)の予約広告です。 品番は AP-9009 で正式発売盤と同じですが、タイトルはまだ 「ゲット・バック」となっています。私の所にも、 山野楽器が日本楽器からDM葉書が来たことを覚えています。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥250 1970年6月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1969年12月号
「ミュージック・ライフ」1969年12月号です。 (全188ページ) 画像1 表紙 エリック・クラプトン。 画像2 ジャニス・ジョプリン 既にビッグ・ブラザーからは離れていました。 「若い頃はフォーク・シンガーとして活躍」 という記事を見たことがありますが、YouTubeで1963年頃の音を聴くと、 フォークとは言ってもPP&Mやジョーン・バエズとは大違いで、 オデッタなどに似た泥臭いものです。むしろ、ブルースに近いです。 画像3 デヴィッド・ボウイ 既に、ビジュアル系に深化していきそうなオーラが発揮されています。 画像4 ジョニー・ウィンター どうしてもブロンド・ヘアーに目が行ってしまいます。 画像5 レッド・ツェッペリン ロック系アーティストの風貌やファッションは、 どんどん派手になって来ました。 「後期のヤードバーズは、ほとんどツェッペリンと地続き」 という話を聞いた時は、意外な気がしました。ヤードバーズは 「フォー・ユア・ラヴ」のバンドとしか認識しておらず、 その後のことをよく知らなかったためです。 画像6 森山良子,ショーケン ナッシュビル録音として話題を呼びました。 ショーケンの方は「テンプターズ・イン・メンフィス」として 発売されましたが、レコーディング・スナップを見ると、 全然テンプターズではないですね。 画像7 大阪三木楽器の広告 ビートルズのイギリス盤の広告が出ています。 この時代、アメリカ盤は大型店などにはありましたが、 イギリス盤は珍しかったと思います。 画像8 ニルソン 「うわさの男」のヒットにより、「ハリー・ニルソンの肖像」 (Vic SHP-6105)というアルバムも発売されていました。 (1970年5月5日発売) ジョン・レノンが大絶賛した「パンディモニアム・シャドウ・ショウ」も 1970年11月5日には国内発売されました。(Vic SHP-6153) #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1969年12月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1969年9月号
「ミュージック・ライフ」1969年9月号です。 (全188ページ) 画像1 表紙 スコット・ウォーカー(スコット・エンゲル) 画像2 ミック・ジャガー 「ホンキー・トンク・ウィメン」は完璧にロックしていてました。 画像3 ジョンとヨーコ この写真を初めて見た時、ヨーコさんは日本人なんだなと 改めて思ったものです。 画像4 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ ストリングスやブラスを加えるなど、ブルース系のバンドとは 違った方向性を目指していたように思います。 最初期にはアル・クーパーが中心的存在でしたので、彼の音楽性 を反映させていたものと思います。 もっとも、私が聞いたのは1970年頃までなので、その後はよく判らない のですが… 画像5 B.B.キング,ジョニー・ウィンター B.B.キングを目指したギタリストは、非常に多かったと思います。 ジョニー・ウィンターは「百万ドルのギタリスト」などと 呼ばれていました。 第一印象は、特異な容姿でした。 画像6 ブライアン・ジョーンズ 急逝したブライアン・ジョーンズ(ストーンズ)の写真集が 掲載されています。 画像7 T.レックス この時代は、ティラノサウルス・レックスがユニット名ですね。 国内のファースト・アルバムは、1969年5月15日に発売されていました。 (日グラモフォン SMP-1433) ここでは「タイラノサウルス」と書かれています。 クリームのようなタイトなバンドと比較すると、やや脂肪分が多い 感じで、グラム・ロックなどと呼ばれていました。 画像8 エイプリル・フール こういったグループも紹介されていました。 「日本のGS界に〜第一歩を踏み出そうと」というのがすごいですね。 ファンは音楽を理解出来てるのか、という問いに対する「わからないな。 でも理解してくれようと努力はしてくれているな。」という答えが 言い得て妙というところ。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1969年9月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1968年11月号
「ミュージック・ライフ」1968年11月号です。 (全194ページ) 画像1 表紙 ザ・ハード 画像2 ステッペン・ウルフ 「ワイルドでいこう!(Born To Be Wild)」が大ヒット。 「イージー・ライダー」や独特のバイク(チョッパー?)が 目に浮かびます。 画像3 イコールズ 「ベイビー・カム・バック」がヒットしました。 白人と黒人を混ぜて「イコールズ」というグループ名、 裏を返せば、まだまだ人種差別があった時代、 ということなのではないでしょうか? 画像4 ボビー・ヘブ 国内盤のオリジナル(SM-1022)は、1966年11月新譜として 発売されています。この時は、リバイバル・ヒットになるわけですね。 画像5 恒例の人気投票(中間発表) プレイヤー部門は、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンを 押しのけてジョージ・ハリスンとキース・リチャードが選ばれています。 何と言ってもバンドの人気が高かったということですね。 5位のレイ・マンザレクはドアーズのオルガン奏者です。 画像6 乞食の晩餐 ストーンズのアルバム「ベガーズ・バンケット」に関する記事です。 ジャケット・デザインで揉めていました。「魔王宮殿の旅」というのは 一作前の「サタニック・マジェスティーズ」のことです。 トイレのジャケットは結局デッカに拒否されましたが、アルバムとしては ストーンズがビートルズの影響から逃れ、自身のアイデンティティーを 取り戻した作品だったと思います。 画像7 ニュース・ア・ラ・カルト 日増しに高まるブルース熱が報じられています。 画像8 タイガー・ビート アメリカの音楽雑誌「タイガー・ビート」の翻訳記事が掲載されています。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1968年11月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1968年10月号
「ミュージック・ライフ」1968年10月号です。 (全198ページ) 画像1 表紙 ビートルズ(マジカル・ミステリー・ツアー)。 画像2 ピーター・フランプトン(ザ・ハード) この時代は、アイドル的な存在でしたね。 その後ハンブル・パイを経てソロとしてのキャリアを確立します。 画像3 メリー・ホプキン ツィッギーの紹介から、ポール・マッカートニーの庇護の下にアップルから デビューということで、さだまさし風に言えば「幸せの半分を手にした」 ようなスタートでした。ただし、本人の志向性とポールとの相性は 決して良くなかったように思います。 画像4 ビー・ジーズ ここに紹介されている「I’ve gotta get a message to you (獄中の手紙)」は日本では小ヒットに終わってしまいましたが、 個人的にはベスト・ソングのひとつと思っています。 次の「I started a joke(ジョーク)」ともども ロビン・ギブのヴォーカルは神の領域! 画像5 クリーム 活動期間の短かったグループです。ライブ盤のクラプトンのギター・ソロを 最初から最後まで完全コピーした、といったギター少年が少なからず いたようです。 画像6 ドアーズ 「ハートに火をつけて」「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」「タッチ・ミー」 などのシングル曲が有名です。ライブでは、何かとお騒がせなバンドでも あったようです。 画像7 オーティス・レディング オーティス・レディングの最期を伝える記事です。 画像8 ジャックス 感性豊かな友人がいたおかげで、1969年には聞いていました。 「からっぽの世界」は文化祭のライブでコピーしました。 「時計をとめて」,「遠い海へ旅に出た私の恋人」といったバラードや 「裏切りの季節」などの破滅的な作品が混在していました。 個人的には「われた鏡の中から」が好みでした。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1968年10月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1967年8月号
「ミュージック・ライフ」1967年8月号です。 (全190ページ) 画像1 表紙 スコット・エンゲル,ポール・マッカートニー ビートルズ対ウォーカーズ、ポール対スコット なんていうのがありましたっけ。 画像2 デイブ・ディー・グループ 正式名称は、なかなか覚えられませんでした。 「オーケイ!」,「キサナドゥーの伝説」が大ヒットし、 カーナビーツやジャガーズのカバー・バージョンも作られました。 いかにもサイケなファッションですね。 画像3 ツィッギー レコードを出したり、来日もしました。 それにしても、目が凄いことになっています。 画像4 ビー・ジーズ 日本でのデビュー曲「ラヴ・サムバディ」(DP-1545)が67年10月15日 発売ですから、まだレコードは出ていませんでした。 このグループの第一期の音楽性は、アート・ロック全盛の時代の中では 正当に評価されにくかったように思います。 画像5 ビートルズの宇宙中継 放映当日は、3時起きで家庭用のテープ・レコーダーをスタン・バイさせ、 今か今かと待ち構えていました。「愛こそはすべて」は理屈抜きに 「いい曲だな」と感じました。 ポールの「All together now!」「Everybody!」の掛け声に、固かった ジョンの表情が和らいだところ、いいシーンでした。 画像6 ザ・フーとのインタビュー 日本グラモフォン側の人間がイギリスに出向き、 実現させた電話インタビューだったようです。グラモフォンにしてみれば、 何とかヒットが欲しかったでしょうし、ザ・フーとしても極東の地の 販促活動になるのならばと引き受けたのでしょうか。 バンドのメンバーの受け答えは、終始紳士的です。 ステージでの派手なアクションについても、真面目に答えています。 画像7 モンタレー・ポップ・フェスティヴアル この年に開催されたフェスティヴァルに関するレポートです。 ジミ・ヘンドリックスなども、この辺りから注目度が高まったと 思いますが、日本ではまだレコードも発売されていませんでした。 画像8 編集後記 1967年7月1日に東京九段会館での、ビートルズ来日一周年記念イベント のことが書かれています。個人的な話ですが、これには私も参加しました。 進行は星加ルミ子さんでした。最後に日本公演の録音を(映像はなし) 全曲聴かせるということでしたが、 途中で終わってしまった記憶があります。 余計な話ですが、日本公演をTV放送から録音した個人録音テープは、 ラストの「アイム・ダウン」の途中で途切れているものが多いと思います。 (私もそうでした) 1時間番組だったので、片道30分のオープン・テープを用意し、 前座が終わったところで裏にしてビートルズを録音したところ、 30分で収まらなかったのです。 (九段会館の途中終了は、別の事情でしょうが) #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1967年8月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1967年2月号
「ミュージック・ライフ」1967年2月号です。 (全184ページ) 画像1 表紙 シェール(ソニーとシェール)。 画像2 モンキーズ バンドと言うよりも、アイドルだったように思います。 本人達も、ギャップを感じていたようです。 画像3 ママス・アンド・パパス こちらは、優れたコーラスを聞かせてくれました。 画像4 バーズ サングラスをしていないと、別人のように見えます。 フォークとフォーク・ロックの違いは、エレキを使うか使わないか ということだと理解していました。 フォーク・ロックとロックの違いは、よく判りませんでした… 画像5 デイブ・ディー・グループ 正式名称はなかなか覚えられませんでした。 何と言っても「オーケイ!」と「キサナドゥーの伝説」でしょう。 日本でもカーナビーツやジャガーズがカバーしていました。 画像6 ポールの映画主題曲 ここに書かれているのは、ポールが単独で創った邦題「ふたりだけの窓」 の映画音楽のことです。 記事によると2種類のレコードが同時発売ということで、 国内の発売状況が気になって調べてみたところ、 両方とも発売されていました。 ・LONDON TOP-1177 サウンド・トラック盤(1967.8.1発売) ・United Artists LL-2128-UA ジョージ・マーティン楽団 (1968.3.1発売) なお、「ベートーベンと共演」というのは、同じ映画にベートーベンの 第5交響曲(運命)が使われている、というだけのこと。 画像7 サイモンとガーファンクル この頃から注目していた方は、いいセンスしていたなと思います。 画像8 人気投票の中間発表 男性歌手の中には、バンドのメンバーも含まれています。 女性歌手部門では、バーブラ・ストレイザンドなどの名前も見えます。 決して多いとは言えないものの、日本にもこういったシンガーに 注目している層があったということなんですね。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1967年2月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1966年12月号
「ミュージック・ライフ」1966年12月号です。 (全188ページ) 画像1 表紙 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス。 画像2 キンクス キンクスは、「サニー・アフタヌーン」で開眼しました。 最初に買ったLPはベスト盤(YS-2236-Y)で、そこで 「ウォータールー・サンセット」を知りました。 2012年のロンドン五輪で、レイ・デイヴィスが歌ってくれましたね。 自分にとっては、一番のハイライトでした。 画像3 ブルー・コメッツ 奥のジャッキー吉川さん、ちょっとなべおさみさんっぽい!?。 画像4 ホリーズを聞こう 「リヴァプールの若者達 Vol.2」(OR-7193)というLPを中古で買い、 そこに入っていた「アイム・アライヴ」で初めて聞いたバンドです。 その後、「ゴー・ゴー・フラバルー」(日本でも放映されていたアメリカ の音楽TV番組)で「Look Through Any Window(恋は窓から)」 を聞きレコードが欲しくなったのですが、 日本ではシングル盤が出ていませんでした。 「バス・ストップ」は、出るべくして出たヒット曲だと思いました。 画像5 クラウス・ヴーアマン(マンフレッド・マン) 「リボルバー」のジャケットを描いたことは、知られていましたが、 ハンブルグ時代のビートルズとの関わりなど、 当時は全く知りませんでした。 画像6 トロッグス 邦題「ボクは危機一髪」という曲のことですが、 友人が面白がって聞いてました。 レコードを借りたのですが、 your slacks are low and your hips are showing なんていう歌詞には「なんじゃ、こりゃ」と思ったものです。 この記事では、タイトルの「I Can’t Control Myself」が 問題になっていたということなのですが、 これは何とも思いませんが…… (時代が変わったということなのでしょうか) これがダメなら、山本リンダさんの「どうにもとまらない」も ダメですよね。 画像7 モンキーズ 「恋の終列車」が発売された時、「ビートルズそっくり」と言う友人がいて 「全然似てないじゃん」と思ったものです。 その後「デイドリーム」が出た時、 やはりビートルズ的とは思いませんでしたが、 作品そのものは極上のポップ・ソングで感心しました。 その後出たタイマーズ(忌野清志郎)のカバー・バージョンも秀逸。 画像8 森山良子 デビュー前の記事です。ここで紹介されている「一番星」という曲は、 デビュー・シングル「この広い野原いっぱい」のB面に収録された 「一番星の歌」のことだと思います。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1966年12月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1966年1月号
「ミュージック・ライフ」1966年1月号です。 (全210ページ) 画像1 表紙 ビーチ・ボーイズ。 新年号ということで、ビートルズのカレンダー(カラー)が折込で 組み込まれていたり、多数のアーティストからのグリーティング カードが紹介されています。 画像2 ジョン・レノン ビートルズ・カレンダーの5月のページです。 ジョンがストラト(Fender)を弾いています。 ブリッジにはカバーが取り付けられているようです。 画像3 フランス・ギャル フランス・ギャルからのグリーティング・カードです。 メッセージは英語で書かれていますね。 画像4 ヤードバーズ ヤードバーズからのグリーティング・カードです。 「フォー・ユア・ラヴ」は、 今でこそクラプトン脱退のきっかけとなったダメ曲のように 言われていますが、当時は普通に聞いていました。 シングル盤を買おうとは思いませんでしたが。 それにしても、ジェフ・ベックの顔が怖いですね。 画像5,6 ベンチャーズ グリーティング・カードと当時のサイン会の様子。 1965年夏の来日時のものと思われます。 当時、ファン・クラブに入りたいと思ったのは、ビートルズではなく ベンチャーズでした。案内も取り寄せましたが、 年会費 ¥1,500 というのはどうにもならない金額と感じました。 画像7 映画「ヘルプ」 ビートルズの映画「ヘルプ」の記事です。 レコードはとっくに発売されていましたが、映画の公開は 1965年12月でした。 右上のコメントは、配給元のユナイト映画の水野和夫さんによるものです。 「大人達が、エレキ追放とか、〜間違っているのではないか」 といった発言が見られます。 画像8 東京のレコード販売チャート ボビー・ウッドの「悲しきパラダイス」が12位に入っています。 リアルタイムでレコードは買わなかったのですが、 気になっていた曲でした。 数十年後に急に欲しくなり、中古レコード店で探しましたが、 意外に見つからなくて、苦労したものです。 やっと見つけて聞いてみると、「渚のボードウォーク」(ドリフターズ)を 下敷きにして作られているように感じました。当時はそういうことは 判りませんでしたが。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥250 1966年1月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1965年12月号
「ミュージック・ライフ」1965年12月号です。 (全158ページ) 画像1 表紙 フランス・ギャル。 画像2 ピーターとゴードン,ジェーン・アッシャー グラビアがカラーになっています。 女優としてとかではなく、専らポールの彼女として知られていた ジェーン・アッシャーも、こんな風に登場してました。 画像3 ビートルズ エド・サリバン・ショウのリハーサルとのことで、思い思いの服装です。 画像4 アニマルズ キーボードのアラン・プライスが抜け、新メンバーが加わっています。 中腰赤シャツの男、ベースのチャス・チャンドラーですが、 後にジミ・ヘンドリックスのマネージャーになります。 画像5 アルフレッド・レノン 「ジョン、私は金なんか欲しくない!」と題した、アルフレッド・レノン (もちろん、ジョン・レノンの実父) の手記が「本誌独占取材」として 掲載されています。65年11月号に前篇が掲載され、これが後篇です。 どういう経緯だったのかが判りませんが、当時のML誌としては、 大変珍しい記事でした。 ただ、ハンター・デイヴィスの著書もまだ出版されていない時代に、 「ジュリアが…」とか言われても、MLの読者にはどれだけ伝わった のでしょうか…… 画像6 フォーク・ロックとは一体なんのこと? 生粋のフォーク・ソング・ファンの中には、電気楽器を使うということに 抵抗を感じる人たちもいました。 画像7 9500万人のポピュラー・リクエスト チャート ビートルズの「イエスタデイ」ですが、この頃ラジオで聴くバージョンは、 1回目のサビにエコーがかかるのを不思議に思っていました。 今では誰でも知っている、アメリカ・キャピトル盤の特徴ですが、 当時の国内盤はLPしか発売されていなかったため、先行していた 米キャピトルのシングル盤をかけていたのではないかと思います。 新曲なども、リクエストに応じて国内盤の発売前に放送されることも あったので、海外盤が入っていたことは、間違いないでしょう。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥200 1965年12月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1965年4月号
「ミュージック・ライフ」1965年4月号です。 (全146ページ) 編集者が星加ルミ子さんになっています。 画像1 表紙 アニマルズ。 画像2 ジョニー・ティロットソン リヴァプール系が台頭とは言っても、こういったソロ・シンガーも しっかり活躍していました。 ジョニー・ティロットソンは、もう少し前の「ポエトリー」が好みでした。 これがリチャード・アランのカバーだということは、随分後になってから 知りました。(君に首ったけ!) ていねいに作られたポップ・ソングで、オリジナルにはない 「ウォウ・ウォウ~」もいい感じでした。 画像3 クリフ・リチャード クリフとシャドウズというチームによる音作りは、リヴァプール系の バンドとは明らかに違っており、「これがプロの仕事なんだな」と 感心させられたものです。特にアレンジが行き届いており、ソロ以外での リード・ギターの役割など随分勉強になりました。 画像4 ペトゥラ・クラーク 「恋のダウン・タウン」は、欲しいいレコード・リストに入れてましたが、 他にも買いたいものがあって、結局買いそびれてしまいました。 画像5 ボビー・ヴィントン 「ミスター・ロンリー」は、予定通りに買いました。 「のっぽのサリー」に大騒ぎしながら、こういう曲も、 しっかりと刺さっていたわけですね。 ところでこの曲、1962年に一度発売されていますので(NS-79:B面曲)、 1965年盤(LL-701-E)は再発ということになります。 ここで広く知られる曲になりました。 画像6 奥村チヨさんのインタビュー 和製バルタンなどと言われていましたが、歌声は弘田三枝子さんに近いもの がありました。 当時のテレビCM(リキホルモ)を聴いた多くの人は、 そう思ったんじゃないでしようか。 まだ高校在学中だったんですね。 お姉さんもビクターの歌手だったようです。 画像7 東京で1番売れているレコード 当時を体験した方ならば、ベンチャーズ〜ミーナ〜ビートルズ〜 シルヴィ・バルタンと続けて聴いても、何の違和感もないでしょう。 「アイドルを探せ」ですが、イントロは、3拍目の裏から入ります。 当時これを1拍目の頭からスタートと勘違いしたため、 「何というタイミングで歌が始まるのか」と思ってました。 正しいリズムが判ってから、聴き方を矯正するのに苦労しました。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥200 1965年4月号chirolin_band