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MOYO.
ミニカーや雑貨「人はそれをガラクタと言う?」等をのんびり収集しております。
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入館者数
234602人
コレクション・ルーム数
11個
アイテム数
1297個
モノ日記
90個
ロードの歌詞がしみじみ分かりますね。何かあった場合。 まさかという事も多々あるものです。まさか地震で自分のコレクションが空飛んで墜落するとは思っていませんでした(何となく気にはしてましたが) お身体、ご自愛ください。
『健康な身体あってこそのホビーライフ』 肝に命じたいと思います。 何はともあれ23万人おめでとう御座います!
MOYO.館長、もう一年になるのですね。 ひどい後遺症等も無く何よりです。 『健康な身体あってこそのホビーライフ』 ボクも気に留めたいと思います。 今後ともよろしくお願いいたしまする。 2月3日の23万人、おめでとーございます!!
こんばんは。 そんな事がありましたのですね…😰 『健康な身体が有ってこそのホビーライフ』 この一言…頭の片隅に常に置いておきたいと思いました。 2/3に23万人とは凄い👏😆 おめでとうございます!
CSLは何時まで経ってもカッコイイ! ガキだったころ憧れの外車には手が届かずR100で俺のもキドニー付いてるんだぜとイキったものの、、、。相手にされず、後に待ちに待った初外車はやっとこ手に入れたE21でした、随分乗り回したもんだったなぁ、、、。
お疲れ様です。MUUSEOで一休みして下さい。
あなたも集めているコレクションで、モノ日記を書いてみませんか?
2021/2/3
2021年2月3日。「来館者数が230000人になりました。」と通知が入りました。 不定期にダラダラと展示品を掲載しているだけの当館へお越し下さいました皆様には、この場を借りて厚く御礼申し上げますm(__)m。 昨年の2月3日は、前日にモンキーで走行中に右折してきたミニバンに見落とされて衝突され、全身打撲と頚髄損傷で救急搬送され、市内の大学病院に入院しておりました。 幸い一年後の今は、左手の軽い痺れと左肩の運動痛が有るだけで麻痺も無く、進行性の首の難病の進行も検査画像では見られなかった為に、仕事も通常通りに行っております。 入院中に左手の酷い痺れと打撲による身体の痛みの最中、皆様から頂いた温かいメッセージの数々と、かみさんに病室に届けて貰ったミニカー達にどれだけ励まして頂いた事か。 健康な身体が有ってこそのホビーライフ。 これからも不定期では有りますが、MUUSEOの方にガラクタ?をボチボチと展示させて頂きますので、MUUSEOの名物館長の皆様方にはこれからもどうぞ宜しくお願い申し上げますm(__)m。 健康な身体と趣味を楽しめる事に感謝して。 2021年 2月3日 MOYO. #コレクションログ #2021年 #2020年 #思い出
akira.44mag
2021/1/22
日産スカイラインのケンメリGT-R。 言わずも知れた幻の名車。 ホントに今見ても惚れ惚れするカッコ良さ。 このクルマの魅力は、単に速さでは無い事だと思う。 速さだけなら先代のハコスカGT-Rの方が速いだろう。 150台にも満たない製造台数は、オイルショックと言う時代背景がそうさせたとは言え、更にケンメリGT-Rの伝説に拍車を掛けた。 後々までスカイラインのアイデンティティとなった丸目4灯のバックランプは、このケンメリスカイラインでそのイメージが定着した。 今やGT-Rでなく只のケンメリスカイラインでもクルマの値段として見て、まるで手の届く値段では無くなってしまった。 こんな時には憧れのケンメリのミニカーを眺めれば、古き良き時代に思いを馳せる事が出来る。 今のスカイラインにはこんな気持ちは到底持てやしない。 私にとってケンメリは永遠にスカイラインのイメージで有り、クルマが魅力に溢れていた時代の1つの伝説として、きっとこれからも私を魅了し続けて行く事だろう。 もう一度。たったの一度で良いから、こんな気持ちにさせてくれる国産車が世に出て欲しいと思う私でした。 #コレクションログ #日産スカイライン #ケンメリ #2021年 #思い出
2021/1/11
今日は成人の日。 私もお休みを頂きましたが、昨日よりかみさんが酷く腰痛が出たので、家事の一切合切を私が行い、今日も温泉に連れて行き十分に腰を温めて今は私の職場で腰の治療をしてあげている所です。 世の中は成人式も延期になったり中止になったりと、何だか寂しいニュースが多いですが、こうして日々暮らしが営めているだけでも有り難いお話なのかもしれません。 かみさんの腰の治療の間に当時物のアメリカンヨーヨーで遊びなから、自分が成人した頃にはまさかこんな風にかみさんの腰の治療をしたり、自分も腰痛持ちになるなんて思いもしなかったなぁ。と、ヨーヨーを回しながらしみじみ考えた成人の日の私でした。 #2021年 #成人の日 #コレクションログではない #思い出 #アメリカンヨーヨー
2021/1/9
先日からの大雪とコロナ自粛とやらで、まるで仕事になりません。 こちらは自営業。雪やコロナで休んでも居られません。 2021年。年明け早々先が思いやられる私でした。 #2021年 #大雪 #コロナ自粛 #ミニカー #コレクションログではない
2021/1/7
明けましておめでとうございます。 そして御無沙汰しております。 昨年は夏以降、諸事情御座いましてツイッターとインスタグラムにしか殆ど投稿しておりませんでした。 年が変わり、2021年になりようやく少し余裕が出てきた?ので、MUUSEOの方にもボチボチ復帰したいと思います。 それでは皆様今年もどうぞ宜しくお願い申し上げますm(__)m。 20121年 1月7日。 MOYO. #コレクションログ #2021年
2020/9/9
1980年代の国産車でとても好みな車種の、日産スカイライン2000 HT TURBO RS。 当時は刑事アクションドラマの西部警察に出て来る中期型のRSターボや、久々にサーキットにて華々しい活躍をしていたシルエットフォーミュラのスカイラインRSターボ。 マシンのスペックについてはモデル末期迄の間に何度も改良を受けてパワーアップし続けたRSなので、興味の有る方は各自ネットでググって下さい(笑)。 しかしこのスカイラインRSターボのカラーリングと来たら、この赤色と黒色のツートーンカラーのイメージがとても強い。 おまけに当時放送していた「西部警察」の影響力は途轍もない物で、劇中のマシンRSがゴールドメッシュのホイールを履かせて為に、RSターボはゴールドのホイールのイメージがとても強かった(笑)。 実際の後期型グリルレスのフェイスにインタークーラーを装備した、最強のRS-X「通称・鉄仮面」等は、 「上記画像左側のモデル。」純正のホイールの場合、ゴールドのメッシュホイール等は履いていなかった。 しかしイメージと言う物は恐ろしい物で、上記画像の右側のトミカプレミアムのサッシュグリルの中期型のRSターボ等は、まるで西部警察の劇中のマシンRSの様なゴールドメッシュホイールに、前後のスポイラーにフォグランプ迄装備した形でモデルアップされている(笑)。 故に私の脳内のスカイラインRSターボは、「赤・黒・金」のカラーリングとして刷り込まれてしまっている(笑)。 赤/黒のツートーンカラーのボディーに、足元はゴールドのホイールでキマリ。 おまけにルーフアンテナが角の様に雄々しくそびえ立つ姿は、少年期の私の「特別なスカイライン」なイメージとして今も一定の立ち位置に陣取っている。 しかしこのスカイラインRSターボのイメージカラーの様な赤・黒・ゴールドのカラーリングが、何故ここ迄男心をくすぐるのか? 長年脳裏に焼き付いて離れない、赤・黒・金のカラーリングに生理的に反応してしまう理由が遂に今日判明した。 それは、スカイラインRSターボよりも遥か以前にこのカラーリングの特別なクルマが存在していたからだったのだ。 シャーシNo.3781 ランボルギーニ・イオタSVR。 あの幻のオリジナルイオタをモチーフとして生み出されたイオタレプリカの中でも、ここ日本ではこの1976年に海の向こうから日本に渡って来て以来、イオタのイメージとして最も認知されたスーパーカーのイオタSVR。 この伝説的スーパーカーのカラーリングが、赤色と黒色のツートーンカラーに、BBSのゴールド/シルバーのメッシュホイール。 それに激しくフレアしたリアフェンダーに合わせて極太のピレリP7を履いたイオタSVRのイメージが、正にスカイラインRSターボのそれに重なったのだ(笑)。 おまけにイオタSVRのルーフ上には、アンテナ迄そびえ立っているでは無いか!(笑)。 これは余談だが、この世界で一台のイオタレプリカの代名詞のイオタSVRの実車を保有していた高級輸入車ショールームの有る街で私は産まれ、3歳の時にその街の直ぐ隣町に引っ越した。 以来、20代前半迄イオタSVRはその高級輸入車ショールームの最上階に鎮座していた。 当時はまさかそのイオタSVRが世界でたった一台きりの、正真正銘のイオタSVRだとは思わず、クローンイオタのSVRを更に個人でコピーした物だとばかり思っていた(笑)。 幼い頃から大人になる迄の長年の間、その高級輸入車ショールームの前を通り過ぎる度に、イオタSVRを羨望の眼差しで見つめた物だった。 やがてそのイオタSVRはショールームの最上階から姿を消してしまった。 そんな思い出のイオタSVRのカラーリングをモチーフとした?スカイラインRSターボをこの私が好きにならない筈が無い(笑)。 「赤色・黒色・金色。」この鉄板のカラーリングは、高性能なクルマを更に特別な存在に押し上げる。 それはきっと幼き頃に身体に稲妻が走る様に感じる程の衝撃を受けた、「ランボルギーニ・イオタSVR」の原体験が今も尚、赤・黒・金の組み合わせは私に特別なクルマの為のカラーリングとして認知させ続けるのだ。 きっとこれからもずっと。 #コレクションログ #2020年 #秘密 #ミニカー #赤黒金 #スカイラインrsターボ #ランボルギーニイオタsvr #思い出
2020/9/7
台風10号は猛烈な強風を残して過ぎ去った。 9/7午前3時頃は、猛烈な風で家屋がミシミシと音を立てて軋む程だった。 家中の雨戸を全て閉めて台風の来襲に備えてはいた物の、真っ暗闇の中軋む家の中にて台風が通過していくのをただ待つだけと言うのは不安な物だ。 仄暗い豆電球からLED電球に交換したナム戦時代の米軍のL型フラッシュライトを片手に闇夜の中、壁に掛けた時計を照らして時刻を確認した。 午前3時半を回った所だった。 屋内の闇ですら不安感を覚えるのだから、これがベトナム戦争時にベトコンが掘った長大な長さのトンネルに潜り、仄暗い豆電球のL型フラッシュライトとコルトM1911A1を片手に真っ暗闇のトンネル内をパトロールした、「トンネルラット」と呼ばれる任務を遂行した米兵の心細さと恐怖感が如何程の物だったかは計り知れない物だ。 やがて少しだけ風の勢いが弱まって来たのを感じて浅い眠りに着いた。 朝になり無事に強烈な台風は通過していた。 幸い私の周りでは台風の被害は無かった。 台風の影響で敷地内に舞い込んだ葉っぱやゴミを片付けて、やっと日常生活が戻った。 台風一過のおかげ?で、今夜はやけに涼しくなった。 部屋の窓を開けて網戸にすると、外からは秋の虫が沢山鳴く声が聞こえて来た。 おかげで今夜はこの夏以降初めてノーエアコンで眠れそうだ。 2020年はコロナウイルス感染拡大の影響と、異常な暑さや台風続き等、自然災害や疫病等に世界中が翻弄されている。 気が付けばもう9月。 後3ヶ月で今年も終わる。 残りの3ヶ月は大きな厄災に悩まされる事が無い様に祈るばかりの私でした。 2020年9月7日 MOYO. #2020年 #台風10号 #コレクションログではない #思い出 #厄災 #ミニカー
2020/7/12
7/12~7/13迄、かみさんの実家の島に仕事で出張に来ています。 かみさんの実家の島は小さな田舎の島で、漁業と農業と酪農業が島民のほぼ全ての職業が占めております。 近年そんな島にもSNSの波が徐々に押し寄せており、釣り人がYoutube等で動画の配信をしていたりして、少しづつ島外からの来島者が増えつつ有ります。 そんな田舎の田畑と海と牛しかない島でも、来島者の為に公共の宿泊施設が出来たりして、私もこの島に出張して来た時には、この宿泊施設を利用しております。 宿泊施設建設の後押しとなったのは、宿泊施設の有る土地に温泉が湧き出た事が大きな原動力です。 今日も仕事を終えてから、宿泊施設の温泉に入りに行きました。 泉質はツルツルヌルヌルした変わった感じのお湯加減で、このお湯に入るとお肌がキュッキュッとした感じになり、まるでイルカの肌の様な手触りになります。 そんなお湯を楽しんだ後、男湯の外にはこんな懐かしい昭和の薫りタップリの物が鎮座しております。 昭和の銭湯によく置かれていた「マッサージ椅子」です(笑)。 こんな極上コンディションの年代物のマッサージ椅子は、ここ数年他で見た記憶が御座いません(笑)。 流石にこのマッサージ椅子に座った事はまだ御座いませんが、次回来島した際にはこの昭和レトロなマッサージ椅子を体感してみたいと思います(笑)。 宿泊施設のロビーにて、この宿泊施設の名物?のソフトクリームを頂き、身体もお口も満たされて、かみさんの実家に戻る事にして宿泊施設を後にしようと玄関を出ると、玄関の自動ドア外に、この田舎の島には不似合いな高級外車が鎮座しているでは有りませんか! それがこの若草色の「PORSCHE・911keroro」です(笑)。 全くこのボディーラインの曲線と言い、ヘッドライト「両目」の丸さと言い、名車の名に相応しい形状をしております(笑)。 まるでこの フエラムネのおまけのポルシェにそっくりな気がします(笑)。 こちらの911はタルガトップだから、むしろこれよりもフエラムネのおまけポルシェの方が似ている気がします(笑)。 そしてそんな田舎の島ののんびりした夜の時間がやってきました。 明日の昼にはフェラーリならぬ、フェリーに乗って田舎の島を後にします。 又長崎に戻ったら、MUUSEOに投稿したいと思います(笑)。 それまではな~んにも無い田舎の島の夜を満喫して眠りにつく事に致します。 2020年 7/12夜。MOYO. #コレクションログではない #昭和の匂い #田舎の島の日記 #2020年 #思い出 #コリス #フエラムネ #おまけ
2020/6/27
かつて男の子達の興味が「クルマ」に集約された時代が有った。 1975年。遂にその熱気が最高潮に達した時に、その熱気を帯びたブームの事を人はこう呼んだ。 「スーパーカーブーム」と。 少年達の熱気は、テレビのクイズ番組やスーパーカーショー等と言うイベント迄もが開催される事となり、間違い無くこの時代のクルマは「夢のスーパーカー」として、世の全てと言っても良い程の男の子達の関心の対象だった。 凄かったのは、レコードで色々な世界の名車のエンジンの始動音を順に流して行き、どのクルマのエンジン音かを当てる、クイズ形式のレコード迄発売されていた記憶が有る。 当時まだハナタレ坊主だった糞ガキの私が着ていた、兄からのお下がりのサテンのスカジャンのバックにはデカデカと「ランボルギーニ・ミウラ」の刺繍が施されており、それを喜んで着ていた記憶すら有る(笑)。 そんな熱い時代のスーパーカーの1つに「BMW3.0CSL」と言うのが有った。 「注:上記画像の物は、後期型のパワーアップバージョンの3.5CSLです。」 これがそのBMW3.0CSLのパワーアップバージョンの3.5CSLと言う、レーシングホモロゲーションマシーンだ。 このブタっ鼻!そしてこれでもかとデコレーションされたスポイラーやウイングの数々。 当時はこのクルマをBMW「ビーエムダブリュー」等とは誰一人呼ばなかった。 この強烈に主張するブタっ鼻のド派手なワークスマシーンこそ、スーパーカーブームの中でも少年達の間で人気の一台だった「ベンベー」と呼ばれた、ドイツの誇るポルシェ930ターボと双璧を為すスーパーカーなのだった。 ヨーロッパツーリングカー選手権の情報等知る由もない当時のハナタレ坊主の私にも、このベンベーから発散される強烈な個性にシビレた物だった。 このベンベー3.0「3.5」CSLには弟分のブタっ鼻のベンベーがおり、それが又強烈な顔付きで一度見たら忘れられない顔付きだったのだ。 「BMW2002ターボ。」 世界初の量産ターボ車両として、このクルマは世に残った名車の一台で有るのだが、当時のハナタレ坊主の私にはこのクルマの強烈な印象として、当時兄貴にこう訪ねた記憶が有る。 「兄ちゃん!何なん? この研ナオコみたいな顔のクルマ(笑)。」 「研ナオコさんのファンの皆様大変失礼致しましたm(__)m。」 全く酷い話だ(笑)。 この研ナオコ顔のクルマが、ベンベーの代名詞の3.0CSLの弟分で、当時の最新技術の機構の「ターボチャージャー」を搭載した、スーパーカーだと知るのには、その後大して時間もかからなかった。 マイスター・イエーガーのオレンジ色のワークスカラーリングに、兄貴分の3.0CSL譲りのワークスフェンダーに巨大な前後のスポイラーとウイングを装備した、ワークスレーシングカーに変身したマルニターボは、もう間違い無く「研ナオコのスーパーカー。」として、私の頭に刷り込まれて行った。 あぁ、往年のベンベー。夢のスーパーカーだったベンベー。 その後ベンベーの代名詞のブタっ鼻グリルは、キザったらしく「キドニーグリル」等と呼ばれる様になり、ベンベーは当時の輸入代理店だったヤナセの刷り込みにより、「ビーエムダブリュー」等と呼ばる様になっていった。 このBMW635CSIの時代迄が、BMWがベンベーだった時代だと個人的に解釈している。 熱い時代は既に遠くなりけり。 しかし、ベンベーが熱かった時代は永遠に忘れない。 「ベンベーの時代」。 それは決して本物のスーパーカーには乗る事の叶わない年齢の子供達が、一生懸命夢のクルマのスペックを覚えたり、首から下げたカメラで街を走り抜けるスーパーカーをカメラに収め様と躍起になったり、コスモスの20円ガチャガチャのスーパーカー消しゴムをBOXYのボールペンのケツのノックで「カー消し落とし」に熱狂した時代のお話しだ。 もうあんな熱かった時代は二度と帰っては来ないだろう。 ベンベーの時代を思い出すと、とても懐かしく熱い物が込み上げてくる。 それは自分自身が歳を取ったからに他ならないだろう。 でも、私はきっと今でもベンベーのスーパーカー消しゴムとBOXYのボールペンを手にしたら、周りの同年代の「元」男の子達とカー消し落としに熱狂するに違いない。 自分自身が歳を取りやがて少年だった時代の熱気は冷めても、ベンベーの時代の熱気は永遠に冷めはしないのだ。 全てのスーパーカーよ永遠なれ。 そして全ての熱かった「元」男の子達も永遠なれ。 スーパーカーは永遠の名車として、きっとこれからも未来永劫語り継がれて行く事だろう(笑)。 #2020年 #思い出 #コレクションログではない #ベンベー #スーパーカー #熱気 #1970年代
2020/6/11
今日の午後、市内のショッピングモールにてガチャの物色をしていた所、あるガチャに出会った。 stastoと言う会社の、スカイラインGT-R「ハコスカもR32」の1/72スケールのガチャの組み立て式プラモデルだ。 このstastoの同シリーズのR34のスカイラインGT-Rを以前ガチャで回して購入したが、商品説明書に有る様な「上級者向け組み立てキットです。」と言う程の、組み立て難易度ではなかった記憶が有る。 今回のガチャキットは、2ドアHTのハコスカのGT-Rと復活の第二世代GT-RのR32のGT-Rだ。 散々ハコスカもR32もミニカーは持っているのに、これはどちらもちょっと心惹かれる物が有る。 だが1/72スケールの組み立てキットとなると、この所の私の目下一番の問題でも有る「老眼」の進行による視力の衰えが心配では有った物の、誘惑に負けて一度だけ?回してみる事にした。 コイン投入口に300円を投入して、ハンドルを回した。 出てきたカプセルを見ても、説明書が回って同封されており、中の車種が分からない。 カプセルをひっくり返して下を覗いたら、ハコスカの白色だった事を確認出来た。 この後暫く買い物をして、帰宅後に早速ハコスカのキットを組み立ててみた。 カプセルから取り出した内容物。 テールランプや前後のバンパー。 それにフロントグリルも細かいパーツで別体式パーツとして再現されている。 極めつけは、フロントフェンダー上に付けるフェンダーミラーの細かい事だ。 お世辞抜きで、ノミよりも小さくゴミと見分けが付かないレベルで小さいのだ(^_^;)。 これは制作中に万が一床にでも落とそう物ならば、老眼の入っていないかみさんに探して貰わないと、私の目ではほぼ発掘不可能だろうレベルのゴミパーツな小さなパーツ「失礼」なのだ。 この細かいパーツ類の数々をランナーから切り出す。 ニッパーの扱いに細心の注意を払う。 フロントグリルやミラー等のパーツを折ったり切ったりしない様に慎重に切り出すも、やはり?と言うか、案の定と言うか結局フェンダーミラーの1つを床に落としてしまった(^_^;)。 私の弱り切った視力で床の上のフェンダーミラーを探す物の、やはり見付かる筈も無くカプセル怪獣「カミサン」に捜索活動を依頼した。 カミサンは暫く床の上を手で撫でたり、じっくり目で探したりしていた。 数分後にようやくカミサンはフェンダーミラーを探し出して見付けてくれた!(笑)。 カミサンに厚く御礼を言って、もう一度作業に復帰する前に「今度はもう落とさないぞ!」と心に誓い、慎重に慎重を重ねてフェンダーミラーを組み付けて接着した。 因みにボンネットフードは開閉可能で、エンジンルーム内部にはS20DOHCエンジンが再現されているのだが、このエンジンパーツの造形がショボい(苦笑)。 おまけにそのエンジンパーツがエンジンルーム内部に付いた状態では、ボンネットフードがキチンと閉まらないショボさ(^_^;)。 マトモにエンジンパーツ等に目も通さぬ内に、エンジンルームより取り外して、完全クローズド状態へとした。 シャーシパーツにシートや内装を取り付けた。 ここ迄辿り着けば、後はシャーシとボディーを接合するだけとなった。 タイヤは純正の鉄チンホイールと、カスタムのワタナベ8スポークホイールのどちらかを選択出来る様になっている。 ここは純正タイプのイケてない黒色の鉄チンホイール&カミソリタイヤはパスして、ワタナベホイールを選択した。 シャーシとボディーを圧着して、フロント&リアバンパーをランナーより切り出した箇所のシルバーのペイントの剥れた部分と、ゴミ程の大きさのフェンダーミラーのミラー部分をシルバーのプラカラーでペイントしてやった。 完成! 私はハコスカのRは白色の物が好みなので、完成図が良い感じとなり嬉しい物だ。 テールランプも本当に小さなエンブレム等のプリントもちゃんと再現されており、そこに関しては中々やるなと言った仕上がりだと思う。 私のハコスカのGT-Rのミニカーの中で一番のお気に入りの、アイアイアドカンパニーの1/43スケールの物と並べてみた。 1970年代初期の日産スカイラインのホワイトカラーの色味は、少しアイボリー掛かったアイアイアドカンパニーのモデルの方の色味に近い。 当時の白色の塗料は、今の物の様に真っ白とはいかなかった。 微妙に青白っぽい物や、わずかに黄色味掛かった様な白色の塗料が多かった気がする。 上記画像は上から1/43スケール。真ん中が1/64スケール。 これ等のスケールの同車種と並べると、1/72スケールのモデルの小ささが良くお分かりになるかと思う。 このStastoの1/72スケールのハコスカGT-Rのスタイルは均整が取れており、かなり良い線行ってると思う。 300円ガチャのプラモデルとしては、そのスタイルに関して満足感の高いモデルだと思う。 そんな訳で、今回はStastoの1/72スケールの日産・スカイライン2000GT-R「KPGC-10」のプラモデルミニカーの制作日記となりました(笑)。 長文御読み頂きまして、真に有難う御座います。 #コレクションログ #入手 #ガチャ #プラモデル #ミニカー #思い出 #制作日記 #老眼 #ミニカー #日産自動車 #スカイライン #GT-R
2020/5/31
二月頭にモンキーの運転中に車にはねられて入院し、退院後はコロナショックで営業自粛で映画館が閉館しており、遂にスクリーンでは観られなかった映画を昨夜にやっと観た。 キャロル・シェルビー&ケン・マイルズ。 1960年代に生きた二人の熱い男の物語。 映画「フォードVSフェラーリ」。 細かい所は史実とは異なる所も多少は有るが、これは久々の名画だった。 シェルビーがレースに掛けた情熱と、遅咲きの天才カーレーサーのケン・マイルズ。 中々長い映画だったのに、全く飽きさせないまま見通せた。 本物のケン・マイルズは、作品の中で描かれた様な粗暴で扱いにくい人間では無く、とても紳士的な英国人らしい硬派な人間だったと言う。 どちらかと言えば、キャロル・シェルビーの方が作中のケン・マイルズみたいに荒っぽい所が有った様だ。 まあ、そんな事を事実を事実のまま描いても、映画として楽しくなければ仕方の無い話なので、そこは映画なりに脚色されても仕方の無い事だろう。 それにしても劇中で出てくる、シェルビー・コブラやフォード・GT40のカッコ良さったら、堪らない。 残念ながらこのフォード・GT40はケン・マイルズの乗ったカーNo.1では無く、因縁の1966年のル・マンの優勝車のブルース・マクラーレンの乗ったカーNo.2の方のフォード・GT40だが、どちらにせよカッコ良い事には変わりはない。 このフォードの7000ccV8エンジンのパワーは、キャロル・シェルビーのお墨付きの物だった。 あのランボルギーニ・ミウラを設計した、「ジャン・パオロ・ダラーラ」もミウラ設計時に大いに影響を受けた、フォードGT。 映画を観て劇中に出て来たそのクルマが更に好きになる事は多々有る。 間違い無く「フォードVSフェラーリ」は、フォード・GT40とキャロル・シェルビーを引き立たせる為に、芸術的作品で有るマシンのフェラーリが使われた希少な映画だと思う。 少なくとも私個人はこの映画を観て、シェルビー・アメリカンが更に好きになったし、フォード・GT40と言うクルマが「特別なクルマ」に昇格になった。 そしてシェルビー・コブラがこんなにもカッコ良く感じた事は今迄無かった。 「フォードVSフェラーリ」。 こうしてすっかりクルマ好きなオッサンホイホイに乗せられた私でしたが、この映画はクルマに興味が有ろうが無かろうが、そんな事は抜きにしても、まだ未見の方には是非オススメの映画でした(笑)。 #2020年 #フォードVSフェラーリ #シェルビーアメリカン #ケンマイルズ #フォードgt40 #映画 #名作 #1960年代 #思い出 #コレクションログではない
2020/5/18
先日この様な物をネットで拝見致しました。 え?チャールズ・ブロンソン? 随分前に亡くなったよね?と。 よ~く役者さんの名前を見てみると、「ロバート・ブロンジー」とある(笑)。 何だよ!そっくりさんの映画か!(笑)。 それにしてもこうもよく似ている役者さんをよく見付けて来た物だ(笑)。 しかも、吹き替えには「大塚明夫」さんが。 故チャールズ・ブロンソンのオリジナル吹き替えを長年担当されていた故「大塚周夫」さんの御子息を起用する拘り様(笑)。 映画デス・ウィッシュ「邦題・狼よさらば」のポール・カージー役のチャールズ・ブロンソン氏が亡くなってから、早16年。 闇夜にキラリと輝くコルト・ポジティブ 32口径リボルバーが、ニューヨークの闇夜に暗躍する吹き溜まりの悪を撃つ。 このショットのブロンソン氏なんて、遠目には予告編のそっくりさんと見分けが付かない位に似ていた(笑)。 この帰ってきた狼。「ロバート・ブロンジー」なる役者さんが演ずる「幻の狩人」も、オマージュ作品として観てみたいと思った私でした(笑)。 #2020年 #狼よさらば #コレクションログではない #思い出 #デスウィッシュ
2020/5/17
日頃より私のガラクタミュージアムにお越し頂いております皆様。 来館者様方へのお目汚しにしかならない、私のコレクションにお付き合い頂き誠に有難う御座いますm(__)m。 そんな拙い私のミュージアムの来館者数が遂に170000人にもなったとの事です。 慎んで御礼申し上げますm(__)m。 気の向くまま陳列しただけで、決して美しいコンディションの物やレアアイテムと呼べる様な物も展示してはおりませんが、皆様方にはこれからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。 沢山の御来館有難う御座いますm(__)m。 「バンザイ!」 2020年 5月17日 MOYO. #コレクションログ #記念日 #思い出 #2020年
2020/5/13
前例の無いコロナウイルス感染拡大予防の為の自粛休暇のGWも終わり、又通常の日々が戻って来た。 いや、ここは戻って来た「筈」だった。の表現が正しいのかもしれない。 若者や働き盛りの世代の人達にとっては、コロナウイルス対策だからといって、休業要請が出ている職種でも無い限りは、何時までも自粛休暇で休んではいられないのが現状なのだ。 私の職種も休業要請対象とはなっておらず、なお且つ県や市の休業に対する保証の対象ともなってはいない。 だが、コロナ前の世界とコロナ後の世界では、全く別の物となった。 人の流れや集まりも全く別物の様に変わった。 何処の店でもビニールのカーテン越しに接客され、店員さんの声がよく聞こえなかったり、トレイにお釣り銭をポンと置かれたりすると、感染拡大予防の為なのでこれは仕方が無いのだろうが、何だか人と人との繋がりも薄情になったもんだな。とつい感じてしまう。 こんな殺伐としてガサついた風潮の時代の今も、後になって振り返れば「あんな時代も有ったなぁ。」と、笑って思い出せる様になって欲しい。 「やがて朝陽は昇るだろう。」 今はそんな気持ちで日々を過ごしている私でした。 #2020年 #コレクションログではない #思い出 #コロナ
2020/5/4
GW初日の昨日、長崎は終日激しい雨が降っており、食料品の買い物に出かけるのも難儀な程だった。 GW二日目の今日は、やっと激しい雨も収まったので、少しだけ裏山の様子を見に行った。 激しい雨が山にも降ったので、山道は沢になっており、至る所で水が流れていた。 山道の途中に出会ったサワガニ君も、この所乾燥していたので、昨日の雨が命の水の様に嬉しかったのか、活発に歩き回っていた。 人間にとっては厄介極まりない新型コロナウィルス感染も、野生動物や生き物には関係ないどころか、人間がやたらと出回らないので活動しやすくて、彼等にはむしろ有り難い位だろう(笑)。 これはマグネットのフィギュアだが、アカハライモリも長崎では少し山に入れば小川で普通に見掛ける。 このダイヤリーを書いている今も、外ではアマガエルがケロケロとずっと鳴いている(笑)。 夜になれば、自宅の窓にはデカいヤモリがへばり付いていたりもする。 ここは自然の豊かな街なのだ(笑)。 夏になれば網戸にクワガタがブンブン飛んでくるし、しょっちゅうカブトムシが街路灯の明かりの下に落ちていたり?する。 今は不要不急の外出を避け、あちこちに出掛けられないとか、自然の中で遊べないのは人間だけなのだ。 「コラ!!休みだからって外に出たらダメって言ったでしょ!もうお家に帰るよ。」 人間はお家でおとなしくしていないといけないのが、退屈だけど仕方が無いなと改めて思い知らされているGWの私でした。 #2020年 #思い出 #コレクションログではない #自粛連休
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ロードの歌詞がしみじみ分かりますね。何かあった場合。 まさかという事も多々あるものです。まさか地震で自分のコレクションが空飛んで墜落するとは思っていませんでした(何となく気にはしてましたが) お身体、ご自愛ください。
2021/2/4『健康な身体あってこそのホビーライフ』 肝に命じたいと思います。 何はともあれ23万人おめでとう御座います!
2021/2/4MOYO.館長、もう一年になるのですね。 ひどい後遺症等も無く何よりです。 『健康な身体あってこそのホビーライフ』 ボクも気に留めたいと思います。 今後ともよろしくお願いいたしまする。 2月3日の23万人、おめでとーございます!!
2021/2/4こんばんは。 そんな事がありましたのですね…😰 『健康な身体が有ってこそのホビーライフ』 この一言…頭の片隅に常に置いておきたいと思いました。 2/3に23万人とは凄い👏😆 おめでとうございます!
2021/2/4CSLは何時まで経ってもカッコイイ! ガキだったころ憧れの外車には手が届かずR100で俺のもキドニー付いてるんだぜとイキったものの、、、。相手にされず、後に待ちに待った初外車はやっとこ手に入れたE21でした、随分乗り回したもんだったなぁ、、、。
2021/1/10お疲れ様です。MUUSEOで一休みして下さい。
2021/1/9