Beetle (Split Window) 1949

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グリーンライトから1949年型ビートルとして販売されました。
1938年型と同じ金型です。

戦後のビートル製造再開とドイツの時代背景

1945年5月 ドイツ無条件降伏、
1945年12月 英国軍管理下でビートルの量産が開始
1946年3月 月産 1000台を達成
1949年9月 VWの運営が英国軍からドイツ政府へ移る
1949年9月 西ドイツ 建国
1949年10月 東ドイツ 建国 
1961年8月13日 東西ベルリンが有刺鉄線で分断、後のベルリンの壁

    東ドイツでの、国民車 トラバント
      https://muuseo.com/Shirubu/items/2182

1978年 ヨーロッパでの生産終了
1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊
2003年 メキシコ工場での生産終了でビートルの生産終了 累計 2,152万台製造

Trabant P601 1962 - 1989
トラバント P601 1962-1989 東ドイツ国営企業のVEBザクセンリンク が製造していた大衆車 モデルチェンジは行わず、東独崩壊まで製造されていました。 VEBザクセンリンク : 戦前のアウトウニオン(現アウディ)の東ドイツ領内の工場が前身 【エンジン】   1957-1960 500 cc 2気筒 P50,  1960-1962 500 cc 2気筒 P600, ☆1962-1989 600 cc/23HP 2気筒 P601,  1989-1991 1,000 cc 4気筒 (VW POLOのエンジン)  【サイズ】 3,360 mm x 1,500 mm (軽自動車は 3,400 x 1,480 mm ) 【価格】 7,850マルク (1962年~1986年 値上げなし)    1960年時点で月給10.8か月分、 1980年時点で5.7か月分 【生産台数】 1958年~1991年で、370万台(東独製の大衆車は他にありません。) 【納車】注文から数年~10年ぐらい 
https://muuseo.com/Shirubu/items/2182

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    realminiature

    2017/06/29 - 編集済み

    今では考えられないほど製造期間が長い車だったんですね!長いとは思っていましたがここまでとは!

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