灰重石 (scheelite) 喜和田鉱山 #0247

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灰重石は化学的にはタングステン酸カルシウムで、タングステンの主要な鉱石鉱物の一つです。この標本では照りのある薄い橙黄色の不定形の粒状の灰重石が集合しています。(1~2枚目は背景をソフトウエア処理しています。)

喜和田鉱山は1669年(寛文9年)に発見され、 古くは「ニ鹿(ふたしか)鉱山」と呼ばれ、1671年(寛文11年)以降、主に銅や鉛が小規模に採掘されていました。当時は灰重石はまだ有用鉱物として知られておらず、淡黄色の重い鉱石はほとんど谷に捨てられていたということです。しかし1909年(明治42年)に、粟村敏顕、渡辺渡らによりそれまで捨てられていた石(ズリ)の中から大量の灰重石が発見され、タングステンの一大産地として脚光を浴びることになりました。1911年(明治44年)以降、株式会社粟村工業所によりタングステン鉱山として稼行され、最盛期には、粗鉱換算で年間約7,000トンを出荷していました。
市況変動の激しいタングステンの鉱山は操業と休山とを繰り返すことが多く、この鉱山も例外ではありませんでしたが、タングステンの含有率が平均で8~10%、最大約50%にも達したとされる世界有数の高品位鉱体を有していたこともあり、1980年代以降中国製品の流入によるタングステン価格下落に伴って日本のタングステン鉱山の閉山が相次いだ中、本鉱山は1982年(昭和57年)に(株)喜和田鉱山として独立し、操業を継続しました。
喜和田鉱山には選鉱設備がなく、長らく京都府の大谷鉱山に処理を委託していましたが、同鉱山が1982年(昭和57年)に閉山したため、その後は近隣の玖珂鉱山に処理を委託していました。その後玖珂(くが)鉱山が観光坑道化して選鉱作業を停止したために操業継続が困難になり、1992年(平成4年)に操業を休止しました。その後も鉱山長が個人で坑道の維持・管理を行っていましたが、2005年(平成13年)に坑道が完全封鎖されました。

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