菱マンガン鉱 (rhodochrosite) 八雲鉱山 #0147

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小ぶりな標本ですが菱マンガン鉱の結晶(爪状~菱型)が良く観察できます。

八雲鉱山は古くは遊楽部(ゆうらっぷ)鉛山として知られ、その歴史は1674年(延宝2年)まで遡り道内最古の鉱山ともいわれます。1859年(安政6年)には函館奉行所が鉛を採掘、1863年(文久3年)にはアメリカ人鉱山技師のブレイク・パンペリーが日本の鉱山の歴史上はじめて火薬による発破を試みました。明治期には大きな成果はありませんでしたが、1918年(大正7年)に大場鉱業所がマンガン鉱を採掘、名称も鉛川鉱山となり、1931年(昭和6年)に八雲鉱業株式会社に経営が移り、八雲鉱山と改称されました。1936年(昭和11年)には中外鉱業株式会社に合併され、翌1937年(昭和12年)からは日中戦争開始とともに需要が拡大、増産がすすめられました。
戦後は一時生産中断されるものの1946年(昭和21年)に再開、1947年(昭和22年)には八雲鉱山小学校に八雲中学校八雲鉱山分校が併置され(翌年八雲鉱山中学校として独立)、1955年(昭和30年)には小学生129名、中学生62名、鉱山従業員は300人超、鉱山周辺には簡易郵便局、診療所、クラブ、2つの温泉浴場などがあり、マンガン鉱山として全国10傑のなかに入っていたとのことです。しかし1961年(昭和36年)に鉱石の輸入が自由化されると経営が圧迫され、1962年(昭和37年)には生産を大幅に縮小、1969年(昭和44年)には採鉱を中止し、小中学校は廃校、その他の施設も閉鎖されました。

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