方解石 (calcite) 細倉鉱山 #0487

0

脈石として産出した方解石の葉片状結晶の集合体です。1~2枚目はソフトウエアで背景処理しています。

細倉鉱山の鉱床は東西約5km、南北約3km、地表に露頭となっている部分から約500mの深さまで分布し、網の目が複雑に絡み合ったような構造をしていました。鉱脈の主要鉱物は方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱で、銀、銅、ビスマス、カドミウムなども産出しました。
細倉鉱山の発見は9世紀とも言われますが根拠ははっきりせず、文献からは16世紀の後半に発見、採掘が開始されたと考えられています。当初は銀山でしたが、17世紀後半から鉛の産出が始まり、やがて仙台伊達藩一の鉛の鉱山となりました。当時鉛の需要は銅の精錬家庭で粗銅から金銀を取り出すための灰吹法(南蛮吹き)に用いるため大きな需要がありましたが、江戸時代末には細倉鉱山で産出された鉛から、細倉当百という鉱山で使用するための地方貨幣が発行されたことでも有名です。
明治以降は水害や火災、そして鉛や銀の市況の低迷により発展が妨げられていましたが、1934年(昭和9年)に三菱鉱業が細倉鉱山の経営権を獲得して本格的開発を行い、1960年代の最盛期には岐阜県の神岡鉱山に次ぐ規模の日本を代表する鉛、亜鉛の鉱山となりました。1970年代以降、円高による競争力の低下やオイルショックなどによる不況の影響で経営が困難となり、1987年(昭和62年)2月に閉山しました。現在細倉鉱山跡地では細倉マインパークという鉱山を舞台としたテーマパークが運営されており、宮城県栗原市立の細倉鉱山資料館も併設されています。

Default