1994 (40TH) PMA JORDAN 194 HART A.SUZUKI

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1994年のR2パシフィックGPは
日本のTIサーキット英田で開催された
(現 岡山国際サーキット)
TIはオーナー会社の
タナカインターナショナルの略

ジョーダンは出場停止のアーバインの
代役にこの年F1のシートの失った
鈴木亜久里にオファー

当初はスポット参戦を拒んでいたが
初開催のパシフィックGPを
盛り上げる為 了承し出場

予選20位→決勝44週でリタイア
TMのバリチェロは予選8位→決勝3位

こちらの亜久里モデルは量産化未発売
ジョーダンセットのジョーダン194を
亜久里のドライバ―フィギュアと
カーナンバー・マルボロデカールを加工

ウイング・サイドディフレクター等
細かい仕様は違いますが
雰囲気を感じるだけで満足です

亜久里は結局1994年
パシフィックGPのみの参戦で終了

レース後の有名なインタビュー
インタビュー津川哲夫さん
  『次頑張ってください』
亜久里さん
  『 次ないんだ・・・』

#F1-1994年
 

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