1975 4TH IXO HESKETH 308B J.HUNT 〖🏆1〗

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ハント・ザ・シャント(壊し屋ハント)
以前はそう呼ばれたJ・ハントも
レース好きの貴族
アレクサンダー・ヘスケス卿と出会い変わる

1975年はヘスケスの3年目
R8オランダGP ザンドフォールト
(2021年に16年ぶりに復活)

予選3位よりJ.ハントの初優勝
これはヘスケスのチーム唯一の勝利
年間順位も4位と小規模チームとは
思えない活躍もヘスケスは資金難に陥る 

次年度ハントはマクラーレンに移籍
一気にトップドライバーへと
駆け上がります

ハント初優勝のオランダGPには
日本人初のドライバ―
鮒子田寛がMAKIにて参戦しています
#F1-1975年
#F1

https://muuseo.com/FW12C/items/564

2021年のモナコGPでは
K.ライコネン(ロータス)が尊敬する
ハントのヘルメットで出走しました

https://muuseo.com/FW12C/items/557

1975 (51ST) REVE COLLECTION MAKI F101C H.FUSHIDA
1975年 日本人が初めてエントリーした車体 MAKIは1960年代のHONDAに次ぐ 日本の2番目のコンストラクター 自動車会社の援助がない日本チームが 海外のF1にエントリーしたのは 現在までMAKIが唯一のチーム CITIZENの援助(当時で約2000万程度)を受け 昨年の白→ブルーにカラーは変更され 鮒子田寛とT.トリマーで計5戦にエントリー 鮒子田はオランダとイギリスに参戦 オランダGP 予選PPから13秒遅れも 25位で通過したがエンジンが焼き付き スペアのエンジンがなかったのでDNS イギリスGP(モデル仕様)は PPから7秒遅れで予選落ち トリマーも予選突破ならず 画像7枚目右から覗く白いシャツは ロニー・ピータソン(ロータス) 画像8枚目エンジニアに支給の タイトなCITIZENロゴのシャツが とてもオシャレに感じます 当時(2012年)マキに対する知識も無く 単純にCITIZENのブルーに惹かれて購入 歴史的な1台であるのは後日知りました
https://muuseo.com/FW12C/items/564
2012 3RD SPARK LOTUS E20 K.RAIKKONEN 〖🏆1〗
2012年K.ライコネンは2年ぶりの復帰 チームはルノーから名称変更のLOTUS TMはR・グロージャン ブランクが心配されたが 初戦で7位入賞  2戦目でFLで5位 4戦目で2位表彰台 そしてR18のアブダビGPは セーフティーカー2度入る展開の中 20週目からトップに立ち カムバック後 初年度に優勝 このレースの途中 チームから無線で後続との差を伝えられるも 【Leave me alone. I know what I`m doing】 【ほっといてくれ!やるべきことはわかっている】 と答えたのは有名 その後そのセリフをTシャツにして チームスタッフに配っている モデルのR6モナコGP 予選8位→決勝9位 ライコネンは尊敬する J.ハントのヘルメットを着用 2012年は20戦全戦完走 表彰台7回 入賞19回 FL2回 年間順位3位の堂々たる復帰 #2021年ライコネン引退 #2012 #F1 #LOTUS
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