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1978 13TH PMA McLAREN FORD M26 J.HUNT
ハント最後のマクラーレン 北米シリーズ限定カラー McLAREN M26 1978年J・ハントはマクラーレン3年目 前年度後半3勝をあげたMcLAREN M26で シーズンを戦うもグランドエフェクトカーの ライバル車に遅れをとり一転不振に 開幕戦アルゼンチンGPでは4位入賞も その後は5戦連続のリタイア R9フランスGPの3位がこの年唯一の表彰台 結果これがハント生涯最後の 23回目の表彰台 35回目の入賞となった モデルは終盤2戦のアメリカ・カナダGP フィリップモリス傘下のミラー社が 販売するビールブランド レーベンブロイがスポットスポンサー マシンカラーがライトブルーとなりそれに合わせ ハントのレーシングスーツも水色になっている ハントはこの年でマクラーレンを離脱 翌1979年はウルフに移籍 最後のシーズンを迎える #F1-1978年
230126 J.HUNT 1978 2.448FW12C
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1976【WORLD CHAMPION】PMA McLAERN FORD M23 J.HUNT 〖🏆6〗
1976 WORLD CHAMPION McLAERN FORD M23 J.HUNT #F1-1976年 #Worldcampion #F1
J.HUNT 1976 2回 11FW12C
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1973 8TH SPARK MARCH 731 J.HUNT
J・ハントのデビューマシン イギリスのレース好きの青年貴族、 アレクサンダー・ヘスケス卿が設立の ヘスケスでの参戦 この年シャーシはMARCH 731 R6モナコGPより出走 予選18位→決勝9位 マーチのワークスが苦戦の中 ヘスケスはハーベイ・ポスルスウェイトを 引き抜きヘスケスのマーチ731を モディファイして戦闘力が上がる R8フランス6位 R9イギリス4位 R10オランダ3位 3戦連続入賞 最終戦アメリカで2位を獲得 途中参戦ながら年間順位は8位 ヘスケスはスポンサー無しを美徳として 自らの私財を投入しながら 初年度より表彰台の結果を残し 何と言ってもハントの好走が光った #F1-1973年 #F1
J.HUNT 1973 2回 27FW12C
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1975 4TH IXO HESKETH 308B J.HUNT 〖🏆1〗
ハント・ザ・シャント(壊し屋ハント) 以前はそう呼ばれたJ・ハントも レース好きの貴族 アレクサンダー・ヘスケス卿と出会い変わる 1975年はヘスケスの3年目 R8オランダGP ザンドフォールト (2021年に16年ぶりに復活) 予選3位よりJ.ハントの初優勝 これはヘスケスのチーム唯一の勝利 年間順位も4位と小規模チームとは 思えない活躍もヘスケスは資金難に陥る 次年度ハントはマクラーレンに移籍 一気にトップドライバーへと 駆け上がります ハント初優勝のオランダGPには 日本人初のドライバ― 鮒子田寛がMAKIにて参戦しています #F1-1975年 #F1 https://muuseo.com/FW12C/items/564 2021年のモナコGPでは K.ライコネン(ロータス)が尊敬する ハントのヘルメットで出走しました https://muuseo.com/FW12C/items/557
J.HUNT F1マシンコレクション 1975 24FW12C