少しは私に愛を下さい雨の中の青春小椋佳

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1970年代初頭の「青春」を写しとったアルバム
2013年11月4日に日本でレビュー済み
小椋佳が作詞・作曲したアルバムの1作目の『青春〜砂漠の少年〜(1971.1.15発売)』と2作目の『雨(1971.11.1発売)』を再編集して構成したのが、本CD(帯には初CD化と書かれていました)になります。
 
オリジナルの『青春〜砂漠の少年〜』は、しおさいの詩、雨だれの唄、六月の雨、街角へ来ると、木戸をあけて、あいつが死んだ、砂漠の少年、さらば青春、の8曲が収録されていました。同様に『雨』には、お前が行く朝、白い浜辺に 、雨が降り時が流れて、少しは私に愛を下さい 、春の雨はやさしいはずなのに、屋根のない車 、雨が降ると… 、小さなハツカネズミは私です、白い雨が降る街、この空の青さは、の10曲が収録してありましたので、本アルバムの曲目と照らし合わすと何が省かれているかが分かるでしょう。

ナレーションと曲によって一つの物語が構成してあります。1970年代前半の特徴として、FM番組でも、このように曲とナレーションの組み合わせた番組が流行りました。その時代にラジオを愛聴していた者にとって、この手法は大変懐かしく感じられるものです。

本作では、名ディレクターの誉れが高い多賀英典氏の思いが詰まっているのを感じました。蒸気機関車の近づく音やポンポン船の収録、雨の音などの自然の音も上手く使用され、臨場感が伝わってくることでしょう。ライヴ音の使用は当時の流行でもありました。それだけ音響機器が発達し、録音技術が向上した時代でもありました。1枚のアルバム作りにかける当時の関係者の熱い思いが感じられる趣向です。
リーフレットには、構成・脚本として多賀英典、小椋佳、たいらあき、の名前がクレジットしてあります。

リーフレットに書いてありますが、オリジナルは岡田裕介さんと森和世さんが演じてくれたようです。再編集にあたって、小倉一郎さんと秋谷陽子さんの協力を得たとあり、ナレーションもこの2人のものが使用してありました。
それと関連して2人の若き日の写真が掲載してあります。なお、リーフレットには歌詞カードはありますが、ナレーションのセリフは省略してあります。少し気恥ずかしくなるような青臭いセリフもまた70年代の特徴だったのかもしれません。「青春の素直さと恥ずかしさ」が同居しているように受け取りました。
発売当初から40年以上経過したわけですが、そのような受け取りも仕方がありません。

当時の小椋佳の爽やかな声を聴くと、その時代の様々な思い出が走馬灯のように蘇ってきました。「シンガー・ソング・ライター」という言葉がまだなかった頃です。本職の銀行勤めの傍らに素晴らしい作品を世にだし、当時の若者に支持された功績は「日曜シンガー・ソング・ライター」の鏡と言えましょう。

作詞作曲能力の高さもさることながら、温かさを含んだ魅力的な声質は今聴いても実に素敵でした。小野崎孝輔氏のアレンジは、70年代前半のポップスの作りを彷彿とするもので、歌謡曲の路線とは違う音楽の創出という意気込みが伝わってきました。

「あいつが死んだ」を久しぶりに聴きました。この重い歌詞と曲想は、後の小椋佳のスタイルとは一線を画しますが、その虚無的な主人公に対する寂寥感は切々と伝わってきます。幅広い音楽づくりへの意気込みが感じられました。

「この空の青さは」での爽やかなメッセージと巧みな曲作りは、小椋佳の特徴と良さがストレートに伝わってきます。今から見るとシンプルな曲の構成ですが、味わい深い歌詞に「シンガー・ソングライター小椋佳」の萌芽をみます。ソフトで暖かく落ち着いたヴォーカル、歌作りの達人・小椋佳の才能の素晴らしさを感じる楽曲です。今聴いてもその魅力は伝わることでしょう。

その意味で、ラストの「さらば青春」も格別の思いで聴いています。伸びやかな歌唱と、爽やかな歌詞は、永遠の青春ソングの代名詞と言えるでしょう。
青春なんて、その時代を過ぎ去った者が振り返って使う言葉かもしれません。当事者達の若者は、日常に追われて、一生懸命で、そんな実感なんて無いでしょう。未来は見えていなくて、自分に何ができるか不安で、そして人間関係も未熟で傷つけあってばかりいる頃ですから。
小椋佳の原点とでもいうべき作品を振り返りました。

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