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日本三名城 大阪城
織田信長の死後、その意思を継いだ豊臣秀吉は天正11年(1583年)石山本願寺跡に大阪築城の工を起こします。普請奉行には浅野長政、増田長盛がこれにあたり、関西30余藩に工事が割り当てられ同年9月に起工されました。人夫の数は3万人にも及び昼夜通して工事は進められ工事の進行に伴い人夫は増強され、最終的に10万人にも及んだといわれています。その年の11月には天守閣が完成し、全城郭が完成したのでは天正14年のことでした。天守閣の内部は金箔で飾られ軒瓦も全て金が使われ、金城、錦城の別名を持っています。秀吉没後、関ヶ原の戦いを経て天下の実権を握った徳川家康は、大阪冬の陣にて家康は大阪城の全堀を埋めたせさせます。続く大阪夏の陣にて、防御を失っていた大阪城は陥落、建造物の大半を失いました。その後家康は10年をかけて天守閣を再建しました。しかしそれも1665年に落雷の為焼失します。以後、昭和6年まで再建されず、現在の天守閣は秀吉創建当時の天守台を再現したものです。
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