ホーム・ライフ 1940(昭和15)年 第六巻九號 9月号

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当時のグラフ誌、『ホーム・ライフ』1940(昭和15)年 9月號より。

欧州時代のお写真を拝見出来るのは本当に至福(眼福)。

根自子さん二十歳の肖像です。珍しい漢字名前のみサインの入ったポートレイトは日本の知人に宛てられたものと記載があります故、きっとお手紙に同封されたものなのでしょう…

パリでのお写真といえばあの綺麗な一連の寫眞館撮影のものがつとに有名ですが、あとデビューリサイタル時のカメンスキーご夫妻との一枚と遡った('37)ベルギー時代にパリ万博の日本主催夜会での原智恵子さんとのステージショット、散見出来るプライベートショットそれら以来でしたのもので大変新鮮に感じました。そしてこの一枚も背景・照明などから寫眞館撮影のものだと思われます。

'40年9月。この頃のパリは6月からのドイツ占領下で、大使館からは即時退避(帰国)勧告が出され、事実、当時フランス滞在中の邦人約200人の内、藤田嗣治氏や岡本太郎氏、また音楽家仲間・友人の原智恵子さんら含む大多数が相次いで帰国する中、根自子さんは連絡航路船便の途絶えし以降、大使館保護保証のできない日本人残留者60余名の中に最終的に残られる訳です。それがこの「パリに踏み止まった」表記なのですね。

生命の危険をおして迄のご決断。

この辺りの理由・心情はいろいろ推測出来ますが、先ず何よりも志半ばでのこの千載一遇の修行の機会を終えたくない一心(師カメンスキーの意向も併せ)、また同時に嫌な事続きだった日本には戻りたくないという意識もどこかあられたのではないか?と戦前の数多誌面の記事を読み進めるに従ってそう思った次第であります。

そしてこの決断も以降いろんな意味での運命の歯車に翻弄される事となるドイツとの関わりを導くことになるとすれば、実に大きなものだったと言わざるを得ません。よきにつけあしきにつけ・・・。

#諏訪根自子 #nejikosuwa #パリ

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