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諏訪根自子さん ブロマイド(戦後'46)
以前掲載の、サイン入りブロマイドのサインなしのベーシックなものです。 セピアに灼けて往時を偲ばせます。。。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #ブロマイド
ブロマイド 日本:古書店さん 1946年nine_o_nine
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諏訪根自子さん自署入りプログラム(戦後'53)
実はこちらのプログラム、直筆サイン入りという事で古書店さんより購入させて頂いたのでありますが、 判別が難しい!! 普通、時計用のキズミ位の拡大鏡で一目瞭然、充分判別可なのでありますが一抹の印刷か?な微妙さもあり・・・ 筆圧は感じられず、然し端の印刷ドットは見出せず経年故の擦(かす)れインクの光沢欠落にも見える。本当に微妙! …多分6:4くらいで直筆かとは思うのですが、確信に至っておりません。 さて? ★★★★は希望的観測も込めまして^^; #諏訪根自子 #nejikosuwa #autograph #サイン
サイン 日本:古書店さん 1953年nine_o_nine
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音樂雑誌 シンフォニー 1948(昭和23)年 2月10日 發行 第四輯
東寶の機関誌の1948(昭和23)年 2月發刊の第四輯です。 表紙は近衛秀麿氏。 グラビアページに近衛氏とのサン・サーンス提琴コンチェルトの打ち合わせ風景、また「東寶藝術家の近影」ではセンターを飾っておられます。 その他、 前年'47年の「樂団總決算」では"寶響の躍進と光る諏訪根自子"として個人では歸還後はじめて舞䑓に立つた諏訪根自子の矢つぎばやの演奏活躍はかなり派手だつた…とある。 また同前年の事業記録として五月四/五日の帝国劇場での第三回演奏會も掲載されている。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/54?theme_id=39620 同十一月十九日の日比谷公會堂での「學生のための音楽會」が開催されたことも「楽界ニュース」国内版に掲載されている。 そういった華々しい記載とは別に、 「樂団總決算」の掲載された「樂団一年を顧みて - 一九四七年の總批判」では、村田武雄氏の「ソリストの群像」欄で… "問題となるのは諏訪根自子と巌本眞理である。諏訪は歸朝時の新鮮な心境をスポイルされて、技術的に纏つても精神的纏りが亂れてしまつた。しかも冷さが禍して表現に情熱がない。高い精神力と強い情熱を失つた藝術はいかに技術的に優秀でも冷い傀儡に過ぎないのである。・・・" と、内部機関誌にも関わらず かなり痛烈な批判が為されているのが印象的で興味深いです。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #東方
雑誌 東寶音樂協會 日本:古書店さんnine_o_nine
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セレナーデ・エスパニョール / ヴアルス・ブルエツト('35)
Columbia 28645 『ルーヨニパスエ・デーナレセ 』 曲作フノズラグ 曲編ーラスイラク 139989 1935年3月20日 録音 『トツエルブ・スルアヴ』 曲作ゴリド 2200121 1935年5月8日 録音 右→左表記です。 ピアノ伴奏:マダム・ロイヒテンブルグ 1935年12月発売 以下、投げ込み(歌詞カード)記載より・・・ 『セレナーデ・エスパニョール』 グラズノフは一八六五年 露西亞はペトログラードに生れた。彼の音樂教育は其の家が裕福であつた爲と 母親がバラキエフの弟子として洋琴に巧みであった爲、極めて惠まれたものであつた。 九歳の頃、洋琴の名手コンツキイに就き樂典、音樂史を研究しその後その才を認められて リムスキイ・コルサコフの門に入り專心作曲を修めるに至つた。この『セレナーデ・エスパニョール』は 輕い美しい小品である。玉を轉がす様なピアノのワルツ風の演奏は極めて効果が多い。 『ヴアルス・ブルエツト』 リヒアルト・ドリゴの名はこの『ヴアルス・ブルエツト』や『セレナーデ』によつて普く知れ亘つてゐる。 伊太利生れの作曲家で、ロシアの帝政時代にはペトログラードの宮廷付指揮者として三十四年間勤續した。 彼の最も得意とするのは舞踊音樂で、彼が『セレナーデ』や『ヴアルス・ブルエツト』以外に比較的世に 知られてゐないのは、宮廷深く埋もれて居た事と、彼の性質として賣名的行爲に出づる事をせず、 唯斯道にのみ專心してゐた事による。 '24 1/30 不本意だったレーベル画像差し替えました。 https://www.youtube.com/watch?v=GRvQN6EaVuc #諏訪根自子 #nejikosuwa #セレナーデエスパニョール #ヴァルスブルエット
SPレコード 日本コロンビア 日本:古書店さんnine_o_nine
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1953(昭和28)年 9月15日 日比谷 第三回 第一生命ホール音楽鑑賞会 プログラム
1953(昭和28)年 9月15日 日比谷 第三回 第一生命ホール音楽鑑賞会 ヴァイオリン・リサイタル プログラムです。 初見の神々しく美しいお写真が表紙一面にあしらわれておりデザイン性もとても素晴らしいものと相成っております。(額装して飾りたいくらい) プログラムは・・・ *モーツァルト:ヴァイオリン奏鳴曲 第15番 変ロ長調 K.454 *ラロー:スペイン交響曲 ニ短調 作品21 -休憩- *ドビュッシー:「牧神の午後」への前奏曲 *ドビュッシー: 亜麻色の髪の乙女 前奏曲集 第1巻 第8番 *ファリア:スパニッシュダンス"歌劇「果敢な生命」より" *パッツィーニ:妖精のロンド (記載のまま) ピアノ伴奏は田中立江さん。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
プログラム 日本:古書店さん 1953年nine_o_nine
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アサヒグラフ 1946(昭和21)年 1月 5日 第四十五巻 第一號
終戦の年、その暮れ12月6日。抑留先の米国よりジェネラル・ランデル(General George M. Randell)号(AP115)にて浦賀港に帰国。 その直後に記者が捉えた根自子さんのお写真が、翌'46年初1月5日号のアサヒグラフ誌に掲載されている。 欧州留学、その最後の何年かは正に熾烈な欧州戦線の戦火を掻い潜っての10年振りの祖国と相成られる・・・ 無下にも消毒殺虫墳の白い粉を頭部から噴霧されたのをスカーフで隠し、化粧っ気もなく…変わらずお美しいが頬は大きく痩け疲労の色は隠せない。 無遠慮な記者/カメラマンは容赦無く、質問を浴びせフラッシュを焚く…。 同誌には同じ船便で降り立ってそのまま巣鴨に連行となった大島元駐独大使の写真も、皮肉たっぷりの年初カルタとなって掲載されている。當然、自身が語っておられた通り「国をミスリードした」事実は紛れもないし、擁護する気もないがこのマスコミの掌を返した様なあからさまな扱い(根自子さんも後に別件で苦しめられる事となる‥)には、大島氏に限らず現代まで続きまったく・・・と思ってしまう。 まぁそのお写真(女性には酷な)をこうして掲載するのも同義だが・・・ 6日の日付に関せば、艦のwikiによれば「11月25日にシアトルを出港して12月10日に横浜港着」とあるので又改めましてその辺りも確認したいと思います・ #諏訪根自子 #nejikosuwa #帰国
雑誌 朝日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
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婦人公論 1935(昭和10)年 11月1日 第二百四十三號(十一月號)
『婦人公論』廿(20)周年記念十一月號 分厚い584㌻に及ぶ記念号は定価65銭也。 昭和九年の項に小さいですが根自子さんの美しいポートレイトが掲載されております。 (一枚目、高画質化しました) 天才少女・・・そして「親と子の問題」として世間の耳目を集めた、きっとそんな'年の顔'の女性 だったのでしょう。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 中央公論社 日本:古書店さんnine_o_nine
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セレナーデ・エスパニョール / ヴアルス・ブルエツト('35)
SP盤付属の解説カード(投げ込み)です。 自身「セレナード / ガヴォット」盤に続く嬉しいカード付属タイトルです^^ 同様に、盤が右→左表記で、カードの方は現代同様の左→右表記です。 ドリゴ『ヴアルス・ブルエツト』の方は同月29日が最後の録音となりますので、その1回前のセッション(8日)に『メヌエット』と共に録音されたものです。 細かい事、リズムや技巧云々よりも響いてくる音。この15歳の演奏は何故?こうも惹きつけられるのでしょう?『スペイン風のセレナーデ』…とてもチャーミングな曲、そして演奏。一度だけ訪れた彼の国は、真冬でした。きっと春の夕べとか似合うんだろうな♪ https://www.youtube.com/watch?v=oxCffOVebvs Columbia 28645 『ルーヨニパスエ・デーナレセ 』 曲作フノズラグ 曲編ーラスイラク 139989 1935年3月20日 録音 『トツエルブ・スルアヴ』 曲作ゴリド 2200121 1935年5月8日 録音 右→左表記です。 ピアノ伴奏:マダム・ロイヒテンブルグ 1935年12月発売 #諏訪根自子 #nejikosuwa #SP盤 #蓄音機
SPレコード 日本コロンビア 日本:古書店さんnine_o_nine
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音樂雑誌 シンフォニー 1947(昭和22)年11月30日 發行 第三輯
東寶音樂協會編輯による機関誌。昭和22年11月30日 發行の第三輯。 今号でなにより目を引きますのは、表紙を飾られている事も勿論ですが 根自子さんご出演のオムニバス映画「幸運の椅子」(東寶/日映)の広告ページとスチールが掲載されている事でしょう。重要な演奏シーン(=貴重なニュース映像以外での動く根自子さん!)もあるので是非!ソフト化して頂きたいものです。 「諏訪根自子さんを訪ねて」と題された1ページ半のインタビュー記事も掲載されていて、ご自身のお言葉と緒崎勝一郎さんによる音楽ばかりでなく趣味や生活迄踏み込んだ素顔を紹介されたなかなか興味深いもの。"京王千鳥烏山の越さ(購入さ)れたばかりのご自宅"の事とか時代ですね^^; 根自子さんの書棚にはボードレールの「惡の華」。いい。 また、11月29日、浦和での演奏會の事に触れられている。(印刷/発行の日付からこれはどうか?と思うのだが・・・)第8軍エデュケーショナル・センター主催。これは、恩地孝四郎さんが観られたアレと同一系列の催しですね? 遡って… 11月19日 學生に贈る諏訪根自子 演奏會。日比谷公会堂にて・・・。「シャコンヌ」「クロイツェル・ソナタ」商品「G線上のアリア」「ロンド」「ハバネラ」「鐘」。 11月28日 久々のラジヲ出演。なんと30分!(21:30〜放送)「悪魔のトリル」「蜜蜂」「メロディー」「華麗なるボロネーズ第一番」・・・録音残ってないのでしょうか!? "東寶藝術家"として実にラッシュなご活躍ぶりです♪ #諏訪根自子 #nejikosuwa #東宝
雑誌 東寶音樂協會 日本:古書店さんnine_o_nine
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ホーム・ライフ 1940(昭和15)年 第六巻九號 9月号
当時のグラフ誌、『ホーム・ライフ』1940(昭和15)年 9月號より。 欧州時代のお写真を拝見出来るのは本当に至福(眼福)。 根自子さん二十歳の肖像です。珍しい漢字名前のみサインの入ったポートレイトは日本の知人に宛てられたものと記載があります故、きっとお手紙に同封されたものなのでしょう… パリでのお写真といえばあの綺麗な一連の寫眞館撮影のものがつとに有名ですが、あとデビューリサイタル時のカメンスキーご夫妻との一枚と遡った('37)ベルギー時代にパリ万博の日本主催夜会での原智恵子さんとのステージショット、散見出来るプライベートショットそれら以来でしたのもので大変新鮮に感じました。そしてこの一枚も背景・照明などから寫眞館撮影のものだと思われます。 '40年9月。この頃のパリは6月からのドイツ占領下で、大使館からは即時退避(帰国)勧告が出され、事実、当時フランス滞在中の邦人約200人の内、藤田嗣治氏や岡本太郎氏、また音楽家仲間・友人の原智恵子さんら含む大多数が相次いで帰国する中、根自子さんは連絡航路船便の途絶えし以降、大使館保護保証のできない日本人残留者60余名の中に最終的に残られる訳です。それがこの「パリに踏み止まった」表記なのですね。 生命の危険をおして迄のご決断。 この辺りの理由・心情はいろいろ推測出来ますが、先ず何よりも志半ばでのこの千載一遇の修行の機会を終えたくない一心(師カメンスキーの意向も併せ)、また同時に嫌な事続きだった日本には戻りたくないという意識もどこかあられたのではないか?と戦前の数多誌面の記事を読み進めるに従ってそう思った次第であります。 そしてこの決断も以降いろんな意味での運命の歯車に翻弄される事となるドイツとの関わりを導くことになるとすれば、実に大きなものだったと言わざるを得ません。よきにつけあしきにつけ・・・。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #パリ
雑誌 大阪毎日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
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薔薇は生きている 1935年 9月12日 発行
1933年3月に15歳で早逝された山川弥千枝(山川彌千枝)さんの遺稿集。 初出は1933年6月に『火の鳥』全編にて発表されたもの。川端康成氏はじめ有名文士さん方より大絶賛され反響を巻き起こしたその後、翌々年の1935年の9月に一冊の単行本(豪華函入り)に纏められ沙羅書店より発売されました。(故にこの発行日を選択しました) 更にその4年後の1939年に甲鳥書林からも一圓(円)五十銭で発売され、同書林版だけでも確認出来るだけでも60刷以上に及び(*因みに所有品は1941(昭和16)年版の第58刷!)大ベストセラー化。以後戦後間もない頃に発行されたヒマワリ社版は中原淳一氏の装画でたいへん美しく希少であり人気が高いみたいです。近年は2008年 創英社より刊行されていてこちらは中村佑介氏表紙イラスト、川上未映子さん解説文、帯文 緒川たまきさんと時代を映します…。 …と偉そうに書きましたが、知ったのはごく最近です^^; この本は山川彌千枝さんの遺稿…8歳から15歳時の日記/作文/短歌/手紙/絵で構成されています。 少女文学の瑞々しい類稀なる才は凡人には筆舌に尽くし難く、また末尾を結ばれるその初出『火の鳥』に所属しておられた母である歌人 山川柳子さんによる日記の最後に記された「生れて初めて化粧したる顔、花嫁の如し。」は涙を禁じ得ない。 この日記の1932(昭和7)年5月18日。根自子さんの處女放送(NHK)⬇︎を聞かれた日のことが記されています。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/65?theme_id=39653 評論家や大人の感想は今でも目にする事が出来ますが、一般同世代のインプレは貴重な証言と言えましょう。 しかしその同世代の天才少女の演奏に触れての余りに素っ気ない記述、母さまの批評は額面通り?それとも?・・・この機微も含め、全編まさに「琥珀に封ぜられし昆虫の如く、準古典の位置に列せられて、永久に愛読者を絶たないであろう。」(木村毅)そんな一冊であります。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #山川彌千枝 #薔薇は生きている
書籍 甲鳥書林 日本:古書店さんnine_o_nine
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1962(昭和37)年 1月18日 神田 共立講堂 公演プログラム
一般的にはN響との昭和36(1961)年3月2日の演奏が、ご活動休止前最後のパブリック・アピアランスと言われておりました。 しかしこのパンフレットの日付けは翌、昭和37(1962)年初頭1月18日となっており、これが現時点で私的に確認出来る公演活動(一旦)休止前最後のものと相成ります大変珍しいものと位置付けられましょう。 ご来場/アクセス 35,000 感謝の記念展示とさせて頂きます。ありがとうございます! 最初、このピアノ:豊増昇さんと言う表記を見て「珍しいなぁはじめての組み合わせ…やはり活動最後期故の単発コンビ?」とか勝手に思ってましたが、よくよく読み進めますと、3部構成のうち最初の2部が根自子さんの演奏で、ピアノ伴奏は田中園子さん。第3部が豊増昇さんの演奏という内容であった様です。 第一部:ベートーベン 春 第二部:アンダンテ / フォーレ サルタレロ / ウィニアフスキー(ティポー編) スペイン舞曲 / ファリァ 序奏とロンド・カプリチォーソ / サン・サーンス '60年代、これが聴衆に向けた最後のプログラムだったのでしょうか?この数年前に来日直前に飛行機事故に遭われたJ・ティポー氏、編曲にお名前を見る事が出来るウィニアフスキーは、これがエチュード・サルタレーロなら(すみません知識乏しく)この弾む様な演奏も一入です。 いずれにせよこの頃を境に「長い休眠期間」に入られる事となります。…もしかしたらこの公演もそうですが他にも知られざるステージがあったのかも知れませんね? 主催は日本産業人芸文協会 #諏訪根自子 #nejikosuwa #活動休止 #藝文協会
プログラム 日本:古書店さん 1962年nine_o_nine
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週刊新潮 1960(昭和35)年 3月28日 通巻 二百十五号(五巻 第十二号)
"さよならアンナさん -ソビエトに帰る老バイオリニスト"…と題された巻頭5ページの特集。 ご来日が大正7年。在日42年、教え子は千人をはるかに越えるそう・・・その代表格が巌本真理さんであり諏訪根自子さん(*その確固たる絆は戦前/渡欧前、紆余曲折あっても戦後も続いた。帰朝第一回公演時の終演前迄の楽屋に立ち入る事を許されたのは、母を除けばアンナ先生のみだった事もその信頼は揺るぎない事の証)。日本のヴァイオリン教育の母と称しても過言では無いでしょう?その功績は計り知れません・・・。 ロシア革命から時代に翻弄されたその人生。離婚されていたとは言え、その後も小野家との関係は続いていたが少し遡る嘗ての夫であった俊一氏の逝去も一つの区切りであり、且つ姉ワルワーラさんも病身であられた事もあり、かくして64歳のアンナ先生は北コーカサスのスフミ市に移られた。 ここを後年、尋ねられた日本の教え子(早稲田のロシア語講師として活躍されたその姉のワルワーラ=ブブノワ先生の)さんの手記が大変興味深いです。 https://core.ac.uk/download/pdf/144469047.pdf またこちらも大変興味深い事に小野洋子さんも、'07年 ビエンナーレでモスクワを訪れた際に脚を伸ばし叔母の足跡を辿られている。 https://russkiymir.ru/en/publications/303677/ 撮影:松崎国俊さん #諏訪根自子 #nejikosuwa #小野アンナ #annabubnova #小野洋子 #yokoono #週刊新潮
雑誌 新潮社 日本:古書店さんnine_o_nine
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FOCUS 1983(昭和58)年10月14日 号
今回は後年、少し慣れ親しみました時代に・・・とは申しましても前世紀、昭和58(1983)年のことですが^^; 所謂、写真週刊誌「FOCUS」に掲載されましたトピックを。 この2年前に『バッハ:無伴奏』で"カムバック"され、この年の9月28日に23年振り*のリサイタルを神楽坂の音楽の友ホールにて催されましたその模様(お写真)です。*撮影は堀田正実さん 冒頭にはパンフレットの事にも触れられていて…(ぜひみてみたいなぁ)そして翌年の、あの大島婦人と再会された茅ヶ崎市民会館での公演も決定している事も既にアナウンスされています。 しかし文面からも、この頃、既に幻の/神秘的/伝説の存在であられた事が伝わって参りますね? (深田さんの『美貌なれ昭和』は同年・同月このすぐ後に刊行される事になる!) "23年振り" 60年台初頭にコンサート活動を休止されたのは、一般にその23年前=1961年3月のN響との…と言われてますが、大変興味深い事に手元に一冊、それ以降の日付のリサイタルのプログラムがあります。 またそれも追って・・・ 【追記】 厳密にはその('60年代初頭)後、'76(昭和51)年 三越名人会ご出演を皮切りに各種団体・自治体招聘による演奏等々、それまで幾度かの単発公演が 記録されておりますことを付記します。ゆえに"ご自身名を冠された単独リサイタル…と言う意に於きまして"の「23年振り」であります事を捕捉させて戴きます<(_ _)> #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 新潮社 日本:古書店さんnine_o_nine
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科学グラフ 1949(昭和24)年 2月1日 發行 㐧17号
科学グラフ 特集「ラジオの話」 "眼でみる楽しい科学雑誌"と題された青少年向け雑誌。 …ではありますが、 その内容はと申しますと、当時の録音から放送の手順みたいなものがこと細かに解説されており少年少女向け雑誌と思しきもその内容は極めて本格的で実にマニアックで子供向けとは俄かに信じ難い程に濃くって驚きます。例えば楽器や肉声、ピアノ、ヴァイオリン等々其々の基音・倍音の話そしてその音を拾うマイク特性から始まって…と言う具合である。 大変貴重な、ラジオ放送時の模様(写真)が掲載されてます。 母や叔母の話を聞くと、諏訪根自子さんのラジオから流れる演奏は座して聴き入る… そんな感じだったそう。 先日、車中で伊集院光さんのパーソナリティで過去の放送のアーカイブからセレクトして放送する番組を聴きました。NHKに残る全盛期の生演奏を聴いてみたい・・・ リクエストしてみようかしら^^ #諏訪根自子 #nejikosuwa #NHK #放送音源
雑誌 自由出版株式会社 日本:古書店さんnine_o_nine