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ノベルティコップ「倉片牧場」
埼玉県所沢市に存在した陸軍所沢飛行場の近く、曽根の坂にあった倉片牧場のノベルティコップ。
前面に「陸軍御用 倉片牧場 電所澤一六〇番」裏面に「衛生 全乳」とエナメル刷りされた、大ぶりのコップである。
陸軍御用とある点や特設電話番号が表記されている点から、所沢飛行場建設及び特設電話の開始が明治44年であり、昭和10年頃の国土地理院地図では、倉片牧場の場所は市街地の表記になっているため、推測ではあるが明治末から大正にかけてのものと考えられる。
倉片牧場は所沢に縁のある女流歌人「三ケ島葭子(本名:倉片よし)」の夫、寛一の実家である。結婚後、長女みなみを儲けるも次々と病が襲い、病気を移さぬようまだ幼い娘を倉片牧場へと預けた。その後、東京に移り住んだ葭子の生活は、病苦と夫との齟齬もあり苦しいものであった。しばしば所沢の倉片牧場に通った葭子は愛娘とのひと時にどんなにか心休まる思いがしたであろうか。
目覚むればわが子はすでに牛舎にゆき祖父と語れりその声聞こゆ 葭子
大正13年、脳溢血で倒れてから体調復さず、昭和2年3月26日永眠。
所沢実蔵院の倉片家墓地に葬られた。