【交流の証】 大比叡社(倶利伽羅石動)と石動神社(比叡・坂本)。末裔が明かす教科書に書かれていない、もうひとつの細川家と明智一族。
初版 2019/03/03 22:00
改訂 2023/08/09 15:10
【大比叡社/富山県小矢部市】
倶利伽羅峠の富山県小矢部市宮須の大比叡社。幕末、火災の後、石川県津幡町からこの付近に高祖母の家族(細川家)は、引っ越してきた。細川御殿と呼ばれ、この地区の盟主として、地区を治めたそう。
この付近に、加賀藩初代藩主、前田利家の末弟・秀継の菩提寺「高徳寺」があり、明治時代はじめまで、前田家の縁戚であることから、高祖母の家族が、管理と墓守をしていたと聞く。
この付近は、「宮島地区」で、神社は、「宮中」、「宮須(🔸宮須姫、大和武尊の妻。草薙の剣の象徴?)」という地名に建つ。
武家の象徴「剣」で、熱田神宮&織田信長ということでないだろうか?地名は、後から付いたのだろうが、後世、比叡山と宮中(御所)に関係された人々が関係したのかもしれない。
この付近一帯は、足利一族や細川家に縁の地名が、 散らばっている。
森屋(筒井順慶)、彦五郎(明智光秀)、清原(公家、細川家と前田家、吉田神社と姻戚)、菅原(前田家)、松永(洛中洛中図の松永家、織田信長に反旗)、稲葉(徳川家、斎藤家、織田家、明智家、細川家などと姻戚。または、稲葉の白兎。)、興津(細川家)、久利須(たぶん、キリシタン?)など。
俊寛僧徒(源氏一族)は、島流しされず、ここで、一族に匿われていたという伝えもある。 一帯は、前田家の土地の以前は、 足利一族の菩提寺・相国寺(京都)の寄進地や 二条家の荘園だった時期もあり、 藤原北家の公家達が、応仁の乱後に、丹波地方から 移住したという伝えもある。
また、八条院の荘園という伝えもあり、俊寛僧徒の母親が、 八条院の乳母らしい。近衛家や二条家とも姻戚。 🔹八条院(鳥羽天皇と藤原北家の皇女)↘️ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/暲子内親王
【高徳寺跡(前田秀継・正室・嫡男の利秀の墓碑)】
※永傳寺(現:菩提寺)の記録では、前田秀継の正室は、織田信長の3男・信孝(神戸家第8代当主)の娘とされている。
一方、比叡山の麓には、石動神社(滋賀県坂本)がある。坂本城は、明智光秀、細川典厩家が城主だった。近くの西行寺は、明智光秀、前田利家の6女・菊姫(豊臣秀吉の養女)の菩提寺。細川典厩家の末裔は、三浦姓を名乗り、金沢市長町の武家屋敷に屋敷を構えた。近くには、野村家(明智光秀の家臣)や進士家(明智光秀の兄弟の系譜)、前田千世(前田利家の7女・細川ガラシャの義娘)の再嫁した村井家があった。また、坂本で、当家先祖一族、上原賢家・上原元秀(室町幕府管領・細川家重臣)の親子が没した記録もある。
倶利伽羅と近江・坂本は、細川一族・明智一族、前田一族の拠点だったことを示しているのだろう。
【江戸時代の加賀藩・長家。金沢市長町の武家屋敷】
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Makoto Panteleimon
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