【閲覧 640人】天璋院篤姫の所持品? 現存3つの切子の櫛・笄・簪に迫る。
初版 2019/04/20 09:17
改訂 2021/05/16 21:39
コレクションルームに展示した「薩摩切子」の特徴を全て含んでいる櫛、笄、簪のセット。加賀藩前田家縁の薬問屋が江戸時代から所持していた品。図書の記録などを見ると、松平不昧などの徳川家縁の品々を所持していた。詳細は、コレクションルームの説明を読んでください。
日本国内の主な美術館・博物館に問い合わせましたが、江戸時代の切子櫛は、現存は、当家所蔵、神戸市博物館、瓶泥舎びーどろ・ぎやまん・ガラス美術館(愛媛県松山市)の3つだけでした。
【加賀藩前田家縁の薬問屋が所持していた切子櫛】
下の櫛は、存在する3つのうちのひとつ、神戸市博物館が所蔵する櫛。調査、研究のために、写真をお借りしました。上の写真と比較したところ、形状全てが一致しました。
【神戸市博物館所蔵の切子櫛】
【瓶泥舎びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館(愛媛県松山市)所蔵】
神戸市博物館の説明では、作り方から、江戸時代の切子櫛で、薩摩系(島津家)、または、萩系(長州・毛利家)のコレクションの一部の様で、現在の学会では、産地の特定は、出来ないということでした。この他、簪・笄も調べましたが、簪の一番下の切込みの長さが2㎜程度、異なるだけで、後は、全て一致しました。
【当家所蔵の切子簪(かんざし)】
【神戸市博物館所蔵の切子簪(かんざし)】
瓶泥舎びーどろ・ぎやまん・ガラス美術館のある愛媛県松山市は、薩摩藩で、薩摩切子の製造に乗り出した島津斉彬の時代、松山藩の藩主は、松平勝善(島津斉彬の叔父)でした。形状や文様は、電話で尋ねたところ、当家所蔵品と一致しました。
多方面の博物館、美術館に問い合わせましたが、現存は、3つだけでした。加賀前田家の財産を管理する前田育徳会、および、徳川美術館、薩摩切子の収集で有名なサントリー美術館にも問い合わせましたが、記録はありませんでした。
徳川記念財団に、天璋院篤姫(薩摩藩主・島津斉彬の養女)の無色透明の香水瓶があり、切子の文様が同じでした。
【天璋院篤姫の香水瓶】
【薩摩藩主・島津斉彬の4女・典姫の薩摩切子】
一方、TV番組の「なんでも鑑定団」で、薩摩藩主・島津斉彬の4女・典姫の薩摩切子の鉢が出品されました。来歴が、箱書きに書かれていたので、2,000万円という高値が付きました。この鉢にも、同じく、「麻の葉小紋」と「魚子紋」の文様が刻まれています。
現在、国立公文書館で教えて頂いた天璋院篤姫の婚礼の記録、「篤姫御方御待請并御婚礼御用留)」を読み返していますが、化粧箱の中に、櫛や笄の文字はありますが、切子やガラスの櫛とは、書かれていません。
【篤姫御方御待請并御婚礼御用留(国立公文書館所蔵)】
江戸城の開放の際、篤姫は、騙されて、一橋徳川家に出かけた間に、明治政府が入って来た様です。ですから、篤姫ゆかりの品々は、江戸城に、たくさんあった訳です。現在、篤姫所用の品と確認されたのは、ほんの僅か。ほとんどは、散財しました。
地元の博物館の話では、切子を収めていた箱がない状態で見つかっているので、証拠を隠すために、捨てた可能性も否めないということでした。
篤姫の婚礼の際の品は、膨大な量で、西郷隆盛が、厳選して、薩摩切子や京都で着物を選んだという記述があります。
コレクションルームの説明を読んで頂ければ分かりますが、「京鹿の子の裂」で、この切子の櫛・笄・簪は、包まれていました。
今後も、ボチボチと研究は進めていきますが、もし、ご興味のある有識者がおられましたら、連絡をお待ちしています。
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Makoto Panteleimon
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