前田家伝来の五月人形は、「桶狭間の合戦」の前田利家の甲冑がモデル
初版 2019/04/16 21:25
改訂 2021/02/15 21:36
コレクションルームで紹介した前田家伝来の五月人形について、少し、推測も兼ねて記す。下の写真の甲冑は、偶然、インターネットから拾った大名家の甲冑。作者は、加州住勝家という。
調べたところ、加州住勝家は、加州住藤原勝家と言い、室町時代から南北朝時代の刀工であり、甲冑師。加賀藩前田利家に召され、明治時代まで加賀藩主前田家に召し抱えられた陀羅尼派という刀工グループの祖となる人物だそうだ。
下は、コレクションルームで展示した江戸時代(天保10年、1839年)に製作された前田家伝来の五月人形。似ているのである。上の甲冑に。
コレクションルームに展示した前田家伝来の掛軸と同タイプで、歴代の加賀藩主を祀った尾山神社(石川県金沢市)が所蔵している「高徳公(前田利家)桶狭間の合戦図」の絵を見ると、甲冑が緑色なのである。桶狭間の戦いは、織田信長にシカトされた前田利家が、信長に内緒で戦いに参戦し、軍功をあげ、信長に「お主は、可愛い奴よのう。」と、見直された戦い。
前田利家の甲冑のイメージは、下の様に、黄金のイメージですが、実際は、黄金の甲冑以外にもたくさんの種類があった。
もしかすると、インターネットで見つけた加州住藤原勝家の具足は、前田利家の桶狭間の戦いの際の甲冑かもしれない。この甲冑は、実際に、数年前まで、委託販売されていて、どなたかが、購入された様。歴史的な価値のあった甲冑だったかもしれない。
ということで、コレクションルームに展示した五月人形は、恐らく、桶狭間の戦いのイメージの強かった前田利家の甲冑を模した前田家伝来の五月人形だったのだろう。前田家宗家だから、伝統を重んじた手抜きの許されない精巧な人形のはずである。
また、下の具足は、幕末、上の五月人形と、ほぼ同時期と見られる加賀前田家の分家の具足です。全体の雰囲気が似ています。
【加賀藩の支藩、大聖寺藩主の具足】
【加賀藩の支藩、七日市藩(前田家)の具足】
【富山藩9代藩主・前田利幹(大聖寺藩・前田家からの養子)の甲冑】
五月人形は、幕末に、前田家の加賀藩、富山藩、大聖寺藩、七日市藩の藩主が着用した甲冑に酷似している。恐らく、五月人形は、前田家の藩主の家族用と推測される。有識者の方からのご意見をお聞かせ頂けたら幸いです。
【加賀藩前田家伝来の五月人形】
天保10年(1838年)は、加賀藩12代藩主、前田斉泰の時代です。コレクションルームやモノ日記記載した様に、加賀藩12代藩主・前田斉泰と溶姫(江戸幕府11代将軍、徳川家斉の姫)の輿入れの徳川家の大名行列が、当家の先祖(細川家)に立ち寄った時代です。
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Makoto Panteleimon
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