権力の象徴、狩野派の「雲龍」~加賀に生きるもうひとりの細川家・明智一族の末裔が明かす

初版 2019/03/23 00:34

改訂 2019/03/23 00:51

コレクションルームに展示した数々の加賀藩前田家の伝来品。大名の権力の象徴のひとつに、狩野派や琳派など売れっ子の絵師集団に、城内や屋敷、寺院に、絵を描いてもらうことがありました。石川県出身の長谷川等伯や岸駒の絵も城内を飾りました。琳派の俵屋宗達も加賀藩に居住しました。

金沢城にも、狩野永徳を始めとする狩野派、俵屋宗達など琳派の絵師による絢爛豪華な絵が描かれていました。兼六園の金澤霊沢(金沢の名前の発祥の井戸)の櫓の天井の絵も、幕末までは、狩野永徳による昇龍の絵が描かれていました。

 さて、過去のモノ日記で述べた江戸時代の加賀藩古地図の空白地帯の隣接部分に、2代関白・豊臣秀次の家臣の屋敷がありました。このすぐ近くの玄門寺(金沢市東山)の天井に下の写真の様な絵が描かれています。

狩野派の「雲龍」です。絵師は、狩野派の中では、それほど、有名では、ありませんが、この迫力です。地元の金沢の人達も、意外と、この絵の存在を知りません。公には、公開していないからです。

 この玄門寺の近くには、太閤記や信長公記で有名な小瀬甫庵(織田家、池田家の旧家臣で、最後は、前田家に仕える)の五輪塔があります。

更に、この雲龍が描かれた玄門寺の傍には、虎図で有名な絵師・岸駒が住んでいました。郊外の外れた小さな寺に、この様な立派な雲龍の絵が残っていることに、加賀122万石の権力の名残を感じることが出来ます。


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