「心ときめく和の香り」稲坂良弘×小泉祐貴子 LIVE対談 〜再注目されるお香。1500年続く日本の香文化を紐解く〜

「心ときめく和の香り」稲坂良弘×小泉祐貴子 LIVE対談レポート 〜再注目されるお香。1500年続く日本の香文化を紐解く〜

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香りデザイナーの小泉祐貴子さんによるフレグランス連載【本物の香りを識るために】の特別企画・ 第2弾!2021年11月に開催したオンライン対談をレポートします。

創業440年の「香十」前社長であり、「青雲」「毎日香」などの歴史あるお線香ブランドを手がける日本香堂・特別顧問の稲坂良弘さんをお招きし、「心ときめく和の香り」をテーマにお話しいただきました。

1500年続く日本の香文化。何からはじまり、どのように広まっていったのか、そして今の生活とどのような関わりがあるのか。貴重な本物の伽羅香木や香の歴史と深い繋がりのある文献をご紹介いただきながら紐解きます。

対談は、銀座にある香十の香間「暁」にて、聞香の実演からスタート。当記事では、その後の対談模様をお届けします。

取材・文・写真/ミューゼオスクエア編集部
イラスト/shie
資料提供 香十

LIVE登壇者をご紹介

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日本香堂(香十前社長・香文化研究・劇作家) 稲坂良弘さん

早稲⽥⼤学演劇学科卒業。劇団⽂学座(文学座演劇研究所三期)。財団法人現代演劇協会を経て、舞台・テレビの劇作・脚本多数。CMディレクターとしても、300本企画制作。 1982年、「香道」が初めて世界へ向けて実演紹介されたニューヨーク・国連ホールで、舞台の構成・演出を担当。その後、コロンビア大学、UCLA等、米国各大学への「香道」巡演へ。 国内外で香文化発信への取材対応やラジオ番組等各種出演で、メディアから「香の伝道師」と呼ばれる。演劇的に語る各所での講演・講座は満席人気が続く。
440年の香司「香十」前代表。 著書 『香と日本人』(角川文庫)他

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香りデザイナー 小泉祐貴子さん

名立たるハイブランドの香水の制作で知られる香料会社フィルメニッヒで、十数年に渡り香りの開発やマーケティングの現場に携わる。独立後は香水のプロデュースや香りのコンサルティング、香りの空間づくりなど幅広く手掛けている。 2020年にパリを拠点とする本格的な香りのスクールの日本校「サンキエムソンス ジャポン」を創立。香りの仕事に携わる人や、香水・香りファンの育成にも力を入れる。

香木について 〜仏教伝来と聖徳太子〜

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小泉:今回の対談では、お香1500年の歴史をダイジェスト版のようにわかりやすく幅広く振り返っていきたいと思います。
まずは、先ほどから素晴らしい存在感を放っているこちらの香木。本物の伽羅(きゃら)香木でございます。手の大きさと比較していただいてもすごく大きいということがお分かりいただけると思います。本日、香十さんが特別にご用意して下さいました。こちらはどういった香木でしょうか。

稲坂:香木とは、基本的には沈香(じんこう)なんですね。沈香は自然界の偶然の結果でできあがるもの。東南アジアのある地帯のある木に傷がついて、樹内に真菌類が入りこみ、木はその傷を自ら出す樹脂のかたまり化で直そうとします。そうして50年、100年経つと、木の中で凝固物ができ、香りの物質化します。その後、木が倒れて地中に埋もれると、木自体は分解されて土に戻りますが、凝固物は土中に残ります。そして人間が作ることのできない香りの物質化したものが発見される。まさに香りの宝石のようなものですね。
その沈香木の中の最高のものを、伽羅といいます。ベトナムとラオスの国境寄りの山中、ある特定の地帯で発見される沈香の中の極一部。もし沈香木が1000本発見されたとしても、5〜6本しか発見されない。それが伽羅なんですね。

小泉:伽羅は最高級の香りなんですね。

稲坂:冒頭で行った「聞香」では、伽羅香木1グラムをさらに20分の1に切り分けたものを聞香していただきました。
この伽羅香木は売り物ではございませんが、値段をつけるとすれば……例えば、香道のお席で使う良き伽羅は、1グラムが10万円とお考え下さい。伽羅1グラムは小指の爪先くらい。一回の香席で使う聞香炉にのせるものが、3mm片くらいの大きさになります。

小泉:この大きさですと、外国の有名なスポーツカーが1台買えるくらいでしょうか(笑)。とても貴重なものですね。

稲坂:そうですね。320グラムほどありますので、かけ算していただければ(笑)。

小泉:先ほど香木の採れ方として、木に傷がついたとき、それを癒すために木から自然に出てきた液がかたまって芳香物質になっていくというお話がありました。聞香で聞かせていただいた香りもとても柔らかく、本当に癒されるような優しい香りでした。それがお話にあった、木が自分を癒そうとしたことと繋がるような気がいたします。

稲坂:これまで研究を重ねてきましたが、伽羅の本当のところまではいまだ解明しきれていません。採れる場所や木の種類、菌類も分析されてわかっている。やがて人の手で育成することができるのではないかという研究と実験は、もう20〜30年続けられていて、ある程度の見通しがついています。それでも今から100年以上待たないとここまで育たないんですね。

小泉:気の遠くなるお話ですが、楽しみですね。
さて、日本に初めて香木が漂着したのは推古天皇3年です。西暦でいうと595年で『日本書紀』の記録に残されております。この時代はどういった時代だったのでしょうか。

稲坂:『日本書紀』に明記されているのはその年代ですが、実際に香木が伝わったのはそれよりももっと前です。これは仏教が日本に伝わった時に、祈る行為の中に香が使われたことから証明できます。使われていた香とは、すなわち貴重な香木を刻んで焚くということだったんですね。日本には存在しない香木が仏教と共に入ってきました。
推古3年といいますと、日本で最初の女性の天皇である推古天皇が即位して3年目、若き摂政が傍らでサポートしていました。それが聖徳太子ですね。聖徳太子が活躍していた時代に、その前の時代に入ってきた仏教と香木を中心にする香の文化がしっかりと根付いていった時代だったということが言えます。

『日本書紀』にどう書かれているかを見てみましょう。

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「推古天皇三年四月条」とあり、「三年夏四月(うづき)ニ沈水(じむ)淡路嶋ニ漂レリ(よれり)其ノ大キサ一囲(ひといただき)嶋人沈水トイウコトヲ知ラズシテ薪ニ交(か)テテ竈ニ焼ク其ノ烟気(けぶり)遠ク薫ル則異ナリトシテ献ル」と書かれています。

流木だと思って竈に入れて薪にしたら神秘の香りが立ち上り、島人はびっくりして朝廷に届けた。それを受けたのが推古女帝と聖徳太子だったということです。聖徳太子はこれは奇跡の出来事であって、流木だと思っていたものは沈香木であると見抜きました。
なぜ聖徳太子が見抜いたかというと、聖徳太子の祖父が欽明天皇なんです。この時に百済(くだら)の国から正式に仏教が伝わったため、聖徳太子は仏教と香の世界の中で生まれてきたと考えられます。

小泉:庶民が淡路島にたどり着いた流木であった木を焚いてみたら、大変いい香りだった。だから朝廷にもっていこうと考えたところも面白いなと思います。

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稲坂:そうですね。当然、当時の多くの庶民たちは香木が何たるかを知らないわけですね。でも、これは人の力を超える何かなんだということは知識がなくても分かったので、朝廷に真っすぐ届けたんですね。
聖徳太子の業績が後々『聖徳太子伝暦』という本などによって広まりますが、その中でこの出来事は実に細かく書かれています。聖徳太子は香木を見て、天竺の国の南岸から生ずるものは仏の導きで奇跡のようにこの島に来たという当時、最先端の外来の知識を披歴しているんですね。飛鳥天平の時代は、日本に仏教文化が広まるとともに、香の文化が加速して広まっていった時代だったということが言えると思います。

小泉:香は、仏教においては祈りと共に捧げる存在だったわけですね。今、日本の香のあり方のお話がありましたが、実は祈りを捧げる時に香を用いるのは人類共通の行いでもあります。例えば、古代エジプトでも香を焚いて煙と共に祈りを捧げるということを行っていました。洋の東西を問わず、人間が本能的に持っている厳かで神聖な祈りの気持ちを、香が煙と共に天に昇っていくようすに重ねることは人類共通に自然に生まれた振る舞いです。神なるものに繋がるものが香りであったと捉えることができますね。

稲坂:そうですね。

小泉:香水の語源とされるラテン語のPer Fumum(ペルフュマム)は、「煙を通して」という意味を持っています。この言葉からも香りがそもそもどのように使われていたのかが窺えますね。
さて、話を日本に戻しまして、香十さんのお店に伺いますと色々な形のお香が置いてありますが、当時はどんな形のものが使われていたのでしょうか。

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稲坂:とても分かりやすい形を2つご紹介いたします。まず、貴重なこの香木を刻みます。香炉の灰の上に炭火をのせて、その上に刻んだ香をパラパラとまいて焚きます。香木2種類を刻み合わせるものを二種香といいます。漢方生薬も香の原料でもあり、丁子(ちょうじ)、桂皮(けいひ)、甘松(かんしょう)、大茴香(だいういきょう)等を刻み合わせます。三種混ぜれば三種香、五種混ぜれば五種香、七種混ぜれば七種香といいます。この形は、実は現代でも1500年前と同じように使われています。
葬儀や法要で「どうぞご焼香を」と言われた時に、指でつまんでパラパラとまいて焚いて手を合わせますね。あのお焼香こそが1500年前に仏教とともに入ってきた香の形です。シンプルに原材料の香原料を刻み合わせて焚くということです。

2つ目は、刻んだものを微粉末にする形です。漢方薬の薬剤を粉末にするときに薬研(やげん)、『源氏物語』では鉄臼(かなうす)といいますが、それで数百回も突くと微粉末になります。お茶を粉末にすると抹茶といいますね。香を粉末にしますので抹香(まっこう)といいます。これはそのまま焚くこともできますが、実は指でつまんで手に刷り込みます。首筋などにも刷り込むんです。これを塗香(ずこう)といいます。小泉さんもぜひお使いになってみてください。

小泉:ありがとうございます。(実際に手に塗ってみる)

稲坂:仏教の教えの中で、私たちの生きている現世というのは穢れている。だから、現世の中で生きている私たちは身も心も穢れてしまうんですね。そうすると仏様の前に出て、祈りを届け捧げるためには、まず穢れた体を清めなければいけません。抹香を手や首に刷り込むことによって、穢れを取り去ってくれる。要するに香は浄化でもあったんです。

先ほど煙のパフュームのお話が出ましたが、日本語では香の煙と書いて香煙(こうえん)といいます。中国でも同じ意味で捉えられています。現世で焚いた香の煙は天上に昇って仏に届く。仏と現世の私たちをつなぐ回路だったんですね。
塗香は、今もお寺で使われています。ご住職が法要でお経を広げる時に必ず塗られています。お焼香も塗香も、1500年間形は一切変わっていない。しっかりと受け継がれた文化ということになるわけです。

小泉:お祈りで手を合わせたときに塗香の香りがふわっと広がるんですね。そういう意味でもすごく敬虔な気持ちにさせてくれるような香りだと思います。

稲坂:これ自体がヒーリング効果、癒しの効果をもたらしているといえると思います。

平安貴族とお香 〜香りから読み解く『源氏物語』〜

小泉:仏教伝来から300〜400年という時を経て、やがて香は貴族の生活の中に取り込まれていきます。同じ材料を使っても異なる香りを作れるようになり、その使い方も変化していきます。それまで仏教の傘の中にあった香という存在が、一気に生活文化の中に移行していく時代に入っていきます。
ここからは平安に時代を移してお話を進めていきたいと思います。宮中で香りが使われている様子を描いたものとして『枕草子』に記述がありますよね。

稲坂:そうですね。香りは既に仏の世界で大事に使われていたもので、心静かになる、あるいは気が沈んでいるときに心を浮き立たせてくれる力がある。そういった思いから「じゃあこれを生活空間にもっていき、ルームフレグランスのように使ったらどうか」「この素敵な香りを衣服に纏ったらどうか」「髪の毛に移してみたらどうか」という風に考えていきました。
それを生活文化にしっかりと完成させたのが平安貴族たちなんですね。当時の女流文学や貴族たちが日々書いている日記や歌など、文献として残されたものの中に、当たり前のこととして香の文化がいっぱい記述されて今日に伝わっています。

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清少納言の『枕草子』から、とても分かりやすいところをご紹介します。

「心ときめきするもの よき薫物たきて一人臥したる頭洗ひ化粧じて香ばしう染めたる衣など着たる ことに見る人なきところにても心のうちはいとをかし」とさらさらと書かれています。
一を知って十動く才女、清少納言が一条天皇の中宮定子のもとで宮仕えをしていますと色々ストレスもたまりますね。「今日は中宮様、ご機嫌悪かったかな」なんて思うこともあったでしょう。そんな時に「よき薫物」つまり私の大好きな香り、現代のルームフレグランスである薫物を焚きます。その香りの中でイライラをすっと沈めて「元気になってまた頑張るぞ」となるんですね。

「一人臥したる」というのは、楽な格好で横になり香りの中でひとときを過ごすことによって、すっかりリフレッシュしてしまうこと。「頭洗い化粧じて」というのは、あの長い平安女性たちの髪を洗う際のことです。髪が乾くまでに時間がかかる。その間に半乾きの髪のそばで香を焚いていますと、その香りが髪に移るんです。湯上りに着る着物にも香が焚かれていて、衣にも着物にもしっかりと香が移っています。
「頭洗ひ化粧じて香ばしう染めたる」香りを焚き染めた衣などを着ると、リフレッシュして元気になる。「見る人なきところにても」は、誰かが見ているから気張ってやっているのではなく、「心のうちはいとをかし」私一人がこうやって満足して、元気になってまた宮中に出ていきますよ。このような一節です。

1000年の時空を超えて、現代の第一線でお仕事をされている皆さんどうでしょう。仕事で嫌なことがあっても、寝る前に香を焚いて「ああ、もう忘れよう。明日は元気だ」と。時空を超えた共通項があるんじゃないでしょうか。

小泉:そうですね。現代の女性たちのスタイルをそのまま表現してくれているようです。香りに期待することは今も昔も変わらないんですね。

稲坂:平安王朝は、現代と同じように女性たちがとても活躍していました。文学においても、これほど女性たちが歴史に残した時代は他にないんですね。その後、700年以上も武家政権、軍事政権国家の日本の支配体勢になり男性社会になったので、明治になるまで女性たちが表に出ることはありませんでした。そういった意味でも平安王朝と現代には共通項があると思います。

小泉:平安時代は香のお話をするにあたって鍵になる時代です。平安時代の王朝文学でもう一つ有名なものに『源氏物語』がございますね。光源氏を中心とした、恋愛物語の側面が強調されることが多いですが、実は貴族の生活文化の記録としても捉えられます。香の記述は百数十か所にのぼりますが、香を切り口に『源氏物語』を読み解くと、また別の面白さがあります。本日は稲坂さんに具体的な事例をご紹介いただきたいと思います。

稲坂:私は香の文化史、平安時代の香が貴族たちにとってどういう存在であったのかという研究から『源氏物語』の原文世界に入って年数を重ねてきました。
当時の平安貴族たちが何千種類の和歌を暗記しているのと同じように、香のあらゆる知識が満載でないと貴族の日々の暮らしができないんですね。宮中に行くことができないほど、香の知識が必要でした。物語の原文の中には「香」がキーワード、パスワードとして埋め込まれています。説明がなくても香が出てくることで、書いていないことが行間に秘められていると、当時の読者層である貴族たちはわかっていました。

例えば、光源氏が女君と出会うところと別れるところでは、必ず香が意味深に登場しています。もっとも有名なのは17歳の光の君が瘧病(わらわやみ)にかかって山里に加持祈祷に行き、そこで10歳のかわいい女の子、つまり若紫と出会う場面。これが長い物語の1つの筋の発端になります。その時に3つの香が登場するのですが、それだけで読者はこれから起きることの予告だとわかります。

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行数でいうとこれしかないんですね。読んでみます。

「空薫物こころにくくかをりいで 名香の香など匂ひみちたるに 君の御追風いと殊なれば うちの人々も心づかいすべかめり」

「何これ?」と思いますが、これだけで実はものすごい情報が満載されています。空薫物はルームフレグランスのことだと思ってください。「宮中や貴族の大臣の屋敷で焚かれるような空薫物の香りが、なんでこんな山里の粗末な垣の中でするんだろう」と源氏が小柴垣の隙間から覗き込むんですね。そこで、色々な出会いがあるわけです。もうそこにすでに仕掛けがありますね。

そして2番目の香が出てくる。名香(みょうごう)です。これは今のお焼香。
「おや、ルームフレグランスだけじゃなくて、どなたかが、今一生懸命仏に祈っている最中なんだ」と見えない人物が浮かんでくるんです。これが、若紫の祖母ということになります。

次に「君の御追風」で、カメラアングルが変わるんです。今までは、小柴垣の割れ目から覗いている源氏の後ろ側からカメラが状況を捉えていたとすると、今度はカメラが家の中から見ているんです。家の中から「小柴垣の外にどなたかがいるのではないか」と思うんです。なぜなら山里の風が、なんとも高貴な香りを家の中に運んでくるからです。源氏は源氏の君ならではの素晴らしい香りを衣や髪に纏っています。

さあ、これが出会いです。3つの香りがぽんぽんぽんと登場するだけで、背景と物語と物語の伏線が全部盛り込まれている。このような仕掛けが随所にあります。説明されていないところを読み手が自分で作っていく。
そのまま現代文にしますとどんどん行数が増えるので、はっきりと申し上げて現代文にした『源氏物語』では、掘り下げた本当の説明は書かれていません。『源氏物語』の原文を香のテキストであると考えると、たくさんのことが見えてくるんです。

小泉:「薫物」というお香が、当時使われていたというお話しが出てきました。薫物には、例えば、今のルームフレグランスのような使い方をされる空薫物ですとか、柔軟剤のように着ているものに焚きしめて香らせる薫衣香ですとか、それから衣類の防虫剤として香りを使う衣被香といわれるものがあります。現代に繋がるような活用法が当時から行われていたのです。薫物について少しご説明いただけますでしょうか。

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稲坂:先ほどご紹介した粉末のお香、つまり抹香は、手に塗るから塗香なのですが、焚くにしろ何にしろ、粉末状態ですと使うときに絶えずそのことをやっていなければいけない。常時香らせておくためには、この粉末を丸薬状態にして、燃やさずに香炉の中に炭火を埋めて灰で熱を調節して、温めるだけで香りを緩やかに立ち上るようにします。

小泉:燃やさない用法というのが大きな特徴ですね。

稲坂:そうです。現代では練香(ねりこう)という名前になります。丸薬状態のお香を作るためには、まず調香プランを作ります。沈香を中心にして何種類もの漢方生薬を組み合わせて、微粉末にします。それを練り固めるにはどうするか。水を加えると乾いた時にばらばらになってしまいますから、水は一滴も加えません。乾かないもの、崩れないもの、それははちみつです。はちみつを加え、ゆっくり練って粘土状態にする。それを手の上でころころと転がすと丸薬状態になります。

小泉:見た目は正露丸のような丸薬状なのですよね。

稲坂:貴族たちは独自の素晴らしい香りを作ろうと、競い合って作り上げていくんですね。壺に入れて、密封して地中に数日間埋めて熟成させます。そうしてできた練香を香炉で温めます。それがルームフレグランスになります。その上に伏せ籠(ふせご)という籠をかぶせてから着物をかぶせておく。夜用意しておけば朝起きたときには、しっかりと着物に香りが移っているわけですね。

小泉:当時、香は貴族のアイデンティティを示すような存在でした。身分の高い方たちしか知らない処方があり、どんなお香を作れるかということが貴族の身分や社会的な立場までも言葉を介さずに伝えてしまうような存在であったわけです。

稲坂:誰も作ったことのない素敵な薫物を作ってみるには知識がなければいけない。また、香原料は非常に高価なものですから財力も必要です。そして香りは感性で作り上げますので、感性が豊かでなければいけない。素晴らしい香りを作るということは、財力、身分、知性、感性を全て持ち合わせているという証になります。そのスーパーマンこそが、紫式部が作り上げた光源氏ということになるわけですね。

小泉:光源氏は素晴らしい香りを身につけていたことでも有名ですので、そういう世界を含めて当時の方たちにすごくワクワクさせるようなメッセージがあったと思います。
当時の貴族たちはオリジナルの処方を組んで自分の薫物の香りを調合したり、いいものを真似したりしながら香りを作っていくことが嗜みでした。『源氏物語』にも香を競い合う有名なシーンがあります。「梅枝(うめがえ)」も有名ですね。

稲坂:第三十二帖の梅枝は、源氏のただ1人の姫、明石の姫が12歳になって御裳着の日、つまり女性の成人式の場面です。源氏の姫君ですから、姫は皇太子妃になるので東宮に入内します。2月に御裳着成人式、3月に入内となります。
さあ、このお祝いの日のために用意しなければいけない大事なものこそが香です。そこで源氏は1月31日の晦日に、愛する女君4人の方に香づくりを競わせるんです。その期間は、たった10日しかありません。調香を考え、材料を吟味して実際に作業をし、作り上げて届けるまでには必死の10日間であったことは間違いありません。しかし女君1人ずつが作った香の説明がないんですね。誰が何を作ったかというのが1、2行しか書かれていない。それでも読者たちが深い物語を読み取って感動する仕組みになっているんですね。

小泉:そうですね。これだけで1つの講演ができるくらい色んな情報が入っている箇所ですね。

稲坂:当時、男性はプランニングプロデュースをする立場で、自ら手を動かして香をこねることはしないんです。
女性しか作らない香を、源氏はわが姫のために1人籠って作っている。一体何で?というところに実は深い意味があります。原文には、源氏が作ったのは「侍従(じじゅう)」だと、一言だけ出てくる。しかし、ここに伏線があります。2年前の物語である第二十三帖初音の中で侍従が思いもかけないところに出てきて、源氏の心にぐさっと突き刺さっているんです。その突き刺さった侍従が、愛の物語のここでドンっと表に出てくるという仕掛けができている。賢明なる読者は、そのことに気づいたら本当に感動しちゃうんですね。

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小泉:「侍従」というのは、六種の薫物(むくさのたきもの)という四季を表したお香のなかの一つの香りのお題のようなものですね。

稲坂:はい。貴族たちは自分が作った香りは作品ですから、題名をつけるんですね。何十万種類と作られる中で、いいものは評判になってみんなが真似したがる。そのため平安時代の終わりに代表的な名前が集約されて、六種類が平安の薫物文化を代表する香であると言われ今日に伝わりました。また、六種の薫物が『源氏物語』の中では、女君たちの心の真実を表すものとして実に見事に使われています。

小泉:梅枝の中には四季に対応したお香が出てきますね。作るお香のタイトルがお題として与えられるのですが、『源氏物語』の中にはお香の話だけでなく、庭園の植栽、お庭や街の中に植えられている植物の香りも登場するんです。
実は、私は博士課程にいたときの研究の1つとして、そうした植栽の香りがどんな風に捉えられていたのかということを調査いたしました。『源氏物語』には植物の香りに対する記述はたくさんあることがわかったのですが、それを分類していきますと、白梅と紅梅、橘と藤の香りというのがよく出てきます。

皆さん、白梅の香りと紅梅の香りが違うということに気づいたことはありますか。当時の人たちは白梅のことは「梅」と呼んで、紅梅とは違うということを明確に認識しています。その上、その香りの違いがあるから色の優劣にも繋がるということが共通認識としてあったことが記されています。当時の人たちの香りの感覚は本当に繊細ですが、それを紫式部が『源氏物語』に書き残してくれたことで、私たちは今知ることができるのです。とても有難く嬉しいことですね。
私たちの中にもおそらくそうした香りに対する繊細な感覚は残っていると思いますので、皆さんもその意識を持って自分の香りの感覚を信じて過ごしていただけたらなと思います。

武家社会とお香 〜日本人の美的価値観を象徴する「香道」のはじまり〜

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小泉:さて、貴族を中心とする公家の社会のお話をして参りましたが、次にやってきたのが武士を中心とする武家の社会です。公家の支配から武家の社会へと時代が移り変わるにつれて、香のスタイルも変わっていきます。平安時代、手のかかる香を作り薫物を楽しむという時代から、今度は香木を鑑賞する時代へと移り、やがて香道が成立していきます。1つの香木をじっくりと鑑賞するスタイルはとてもシンプルで、香木のコレクターになる楽しみもあったようですね。

稲坂:そうですね。400年繁栄した平安王朝が衰退した時に、王朝貴族に雇われ、武力をもって生業とする武家という階層は次第に力をもって天下を取るようになりました。鎌倉時代から明治維新まで形は変化しますが、基本的には武士階層が武力で国家を統治する軍事政権国家のような形が800年近く続くんですね。武家は特権階級であった平安王朝の貴族の最も大事な香の文化を全て受け継ぎます。でも、貴族だから大事にしていたものが武家の生業の中で一致しなかったり、武家には武家の生きざまとか、価値観とか、武家の美意識があったり、香の文化も軸足が変化しました。

それは平安貴族たちが、最高の香りを作ろうとブレンドして手ごねして作ったものよりも、人間が作ることのできない天の恵みの香木の香りこそ、最高の価値だと言う風に1つの視点が定まっていきます。
武家が出陣するときには、必ず香を焚いて心を静め、調えます。兜に香を焚き染め出陣することも、男の生きざまであり武家の美学と言われています。万一、首を討ち取られて兜を敵にとられたときに「さすがは新田義貞公。あの蘭奢待を焚き染めていたとは」と後々語り継がれる。そういうことが美学として武家の常識となっていきました。

後の関ヶ原もそうでしたが、大阪城の落城の時までこれが実際にあったんですね。木村長門守という若武者が討ち死にした時も、敵方である徳川家康が兜に焚かれた見事な香に涙したという話が伝わりました。つまり、武家は「香木こそ価値である」といって香木コレクターになる。戦いに勝って財力を得たら、まず真っ先に香木を入手しました。だから、鎌倉時代から南北朝期の日宋貿易では、香木の輸入量が増えたんです。これは武家が競って求めていたからなのです。

小泉:その後、名香として残っていく香木もその時代に入ってきたんですね。

稲坂:その時代に多く入ってきていますね。

小泉:当時、香木は大変貴重でした。海外から輸入された日本では採取できない香木は、時の権力者の富と力の象徴にもなるものでした。成功した武家の頭領たちが、それを喜んで集め、コレクションしていくことがあったようです。足利尊氏や織田信長が、蘭奢待という香木を切り取ったというお話もあります。この時代の武士たちは香木にまつわるすごく豪快なエピソードも残していますが、ここでひとつ佐々木道誉のエピソードをご紹介いただけますでしょうか。

稲坂:「馬尾蚊足(ばびぶんそく)」という四字熟語があります。貴重な香木というのは、馬のしっぽのように細くすっと切っただけでも素晴らしい香りが立つ。蚊の足を一本折ったぐらいでも素晴らしい香りが立つ。それほど貴重であり、それほど微量であっても価値あるものだという例えで、大事に使ったということなんですね。
そういうことが常識だった室町前期、南北朝の時代で、婆沙羅大名の代表として、当時の歴史書『太平記』に色々なエピソードを書き残されたのが京極道誉という大名で、佐々木道誉ともいいます。

あるとき、京のはずれの大原野で花見の宴を催したのですが、ライバルが都で同じく花見の宴でたくさんの人を集めてしまいました。そこで「自分の方に全て人を引っ張ってしまえ」と、大原野の野原でかがり火を焚いて、その中にひと抱えの香木をどんと投げ入れて全部燃やしたのです。するとこの世のものとは思えない香りがぶわっと立ち上ったのですが、風がふっと吹いて香りは消えていきました。

今の価格で考えても、少なくとも1億円以上のものをいきなり火の中にくべて「どうだ!こんなことをできるのは自分しかいないだろう」と人々を驚嘆させた話が記録されます。

小泉:ものすごいアピールですね。

稲坂:現代的に考えれば、かなり戦略家でもあります。単に武力を持っていただけではなく頭の良い人ですから。

小泉:マーケティング戦略に近いですね。

稲坂:1億円の広告費を使って、歴史に名を残してしまいました。永遠に語り継がれることを1億円の広告費=香木を燃やすという行為でやったということですね。非常に面白い。これは後に香木から芸道の世界、精神の世界を辿ることとは対局のこととして語り継がれますね。

小泉:繊細な香の世界というよりも、豪快な世界。面白いエピソードですね。
やがて室町中期、東山文化の頃になりますと、香道が成立していきます。現代へと一貫して受け継がれている2つの流派があるのですが、1つは御家流(おいえりゅう)。もう1つは志野流です。その成立にまつわる秘話をお伺いします。

稲坂:伝統芸能は皆そうですが、香道は特にはっきり言えます。最初から何か創始者がいて、家元を名乗って作法を決めて「こういう芸道です」と出発した芸道はないんですね。代を重ねて、形が整っていき自然と流派の形が定まってきてから遡る。あの時代のあの方から始まったとして、その方が宗家あるいは家元であり、自分は完成した時代の当事者だけれども、三代目であるというようなことがあります。

小泉:お茶の世界でもそうですよね。

稲坂:文化の必然でつぼみが花開いていく、花が実になっていく。実になった段階でつぼみを語るものが芸道心でありますね。茶道、華道、香道を日本の伝統三大芸道といいます。俗にいうと東山文化の時代、室町後期にほぼ一斉に同じ時代背景で同じ人たちがそれを作り上げていきました。

応仁の乱で京都が焼け野原になったとき、将軍は八代 足利義政。応仁の乱の後、将軍職を引退し東山に籠りました。それは後の慈照寺である東山山荘。今の銀閣寺です。その中に弄清亭という部屋があります。将軍は鎌倉時代、南北朝時代、あるいは佐々木道誉の歴史に残る膨大な香木コレクションを受け継いでいるんです。政治から逃れた義政は、それらを1木ずつ吟味しながら聞き分けて分類をしはじめた。その時に教えを乞う必要がありました。

最も歴史の中の香の文化を継承している御家は、平安王朝からの名家であり、藤原一族の主流の藤原北家の中にあります、三條家の分家、三條西家でした。『源氏物語』の家、香の家、歌の家でもあると言われています。三條西家の当時の当主が、内大臣の三條西実隆公です。実隆内大臣から、平安時代からの香の文化の教えを受けながら、この香りはどうだろうか、歌だと何の歌がふさわしいか、とやりとりをする。そのときにそばにもう一人いたのが義政配下の武家であります志野宗信でした。

小泉:3人集まっていらしたんですね。

稲坂:はい、割と手狭な部屋に元将軍と当時の宮廷文化人の頂点と言われた三條西実隆公と志野宗信。膝を突き合わせて、たくさんの香木を分類しながら聞き分けました。

小泉:楽しそうに聞こえますね(笑)。

稲坂:何日もかけながら整理していきました。それが後の時代に色んな形で残っていく。まず、六十一種類の名香木が揃えられて、全て名が整えられて位置づけられた。これが六十一種名香です。そして、聞き分けていくうちにこのように香木を切って、このように焚いたらこう感じるというように、三者が香を聞き分けていく聞香という形が整う。これが香道のはじまりと言われています。

小泉:これはなかなか聞けないお話だと思います。

稲坂:三條西実隆公を祖として、お公家流の形で香を捉えて、1つずつに歌を定めていくということをする。すると後の時代に3、4代経ち、公家の御家流香道という流れができてくるんです。公家の流儀の美意識で形が整えられていくんですね。今日、御家流香道は第二十三世宗家、三條西堯水さんなんですね。まさに香祖といわれる実隆公の直系です。先代の第二十二世 三條西堯雲宗家は上皇陛下のお従妹ですね。ということは、今の宗家は今の天皇のはとこになる。このように公家の文化は天皇家と身近な所でずっと存在しながら、しっかりと平安王朝以来流れている。これが希有なる文化ということです。

小泉:日本にもそういう文化がしっかり残っているんですね。

稲坂:同時に将軍のそばにいました志野宗信を祖としてだんだん形が整えられ、武家流の形で完成していくのが志野流です。志野流は、三代目の志野省巴まで志野家で継がれます。しかし戦国時代になり、志野省巴から戦国の将、蜂谷家の当主が武を離れ香道の世界を受け継ぎました。志野流は以後、蜂谷家の一子相伝の家元制度ということで江戸時代にしっかりと大きな流れを作り上げて、今日に伝わります。

小泉:今のお家元も、蜂谷宗玄さんという方ですね。

稲坂:はい、そして長男の若宗匠 蜂谷宗苾さんは次期家元と。生まれたときからそういうことで、受け継がれるのが一子相伝の形ということですね。

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小泉:もう1つご紹介したいのは、その3名が集まって香を聞いて、銘をうったものを整理したその時のお部屋を7割のサイズで再現したのがこちらの銀座の香間なのだそうです。

稲坂:この香間は「暁」といいまして、香の文化史にこだわりました。香道がまだ流派を名乗る前にどういう間取りの中でそれが行われたかというと、先ほど申し上げた今の銀閣寺の弄清亭です。銀座4丁目のビルの中のワンフロアをそのまま香間にして、フローリングの板の間を立礼席にしています。

小泉:とても心地良い空間で、この場所で「香会」「体験会」「講座」を常時なさっているそうです。

江戸町人とお香 〜遊びや嗜みとして、お香が広く浸透していった〜

小泉:少しまとめをしますと、『源氏物語』の時代は公家の社会で、特に姫君がお香の処方を考えるシーンが象徴的に描かれていました。平安時代のお香は女性的な文化であったと言えると思います。それに対して、室町時代に入って武家社会の中で成立した香道という香の文化は男性的な文化であった。この対比がすごく特徴的だと思います。
やがて江戸時代になると、戦乱の世も落ち着き、富裕な商人階級が育っていきます。同時に香を楽しむ人々も特権階級だけではなく、広がりを見せていくわけですね。ここで、当時の香の遊びの一つ、組香というものをご紹介いただきたいと思います。

稲坂:江戸文化を作り上げて推進したのは町人階層です。一般庶民ではなく、富裕な商人たちが中心になって作り上げた文化でありました。江戸時代は戦争のない時代ですから、武家と公家は身分は高くても、実際には何か新しいものを生み出すとか、新しい時代を作ることがなくなって、公家や武家が握っていた文化が富裕な商人たちのところに降りていきました。富裕な商人から何千両かのお金を工面してもらうときに香木を渡すこともありました。商人たちは、奥座敷の中でただ飾って置くだけではなくて、実際に香木を使ってみたくなるわけです。

小泉:香で遊ぶということですね。

稲坂:香の遊びですね。江戸時代の浮世絵の中にたくさん香の遊びが描かれています。正式な香道のお席ではなく、奥座敷で女性たちがリラックスして楽な形で、聞香遊びをしています。江戸時代に、香の研究家がいっぱい現れて香の手引書や研究書をたくさん書きました。それらを読んでみんなが学んだので、知識はどんどん広がっていきました。
そうすると香のお席では、単に精神の道を求めるというよりも楽しく香り当てをしましょう、となりました。
季節のテーマで歌をいくつかの香りに当てはめながら、1つの歌をテーマにした組香という香り当てゲームが広まって行きました。

小泉:素敵な遊びですね。その代表とも言えるのが源氏香でしょう。

稲坂:『源氏物語』と香の遊びは、切っても切れません。まさに三條西家が関わったことから『源氏物語』と香道は深い関係を持ちます。『源氏物語』は最初から一巻ずつをテーマにした組香ができるんです。つまり帚木香があり、空蝉香があり、夕顔香があり、若紫香があります。一つずつの物語に即して組香ができます。
そこでもう一つ組香の命題が出ました。どのように香木を組み合わせれば、その答えが『源氏物語』の五十四帖のどれかの巻に間違いなくたどり着くのか。解けない数学の公式を求めるような課題がありました。そこで、香道人だけではなく、色々な人が加わってプロジェクトができたと思います。江戸時代に日本の数学和算術が発展し、和算で構築しました。香木を5種類選んで1木から5つずつ切って、25の香木片を並べます。それを混ぜ合わせるとどれがどの香木から切ったのか分かりません。そこから20を抜いて、残り5片を5つの香炉で無作為の順で焚いて出した順番は組み合わせでいうと52パターンのどれかに必ずなります。

小泉:数学的に作られたというと難しそうに聞こえますね。

稲坂:江戸時代の香席遊びのためにそのような研究がなされていました。

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小泉:こちらが「源氏香の図」という図になります。それぞれの記号が全て5本の線から成り立っている図なんです。5つの香を聞き分けるゲームです。

稲坂:この5本の線は何かというと、それぞれの線が5つの香炉を表しています。同じ香りだと思うものは、線の上をつなぐ。違う香りだと思うものは離しておきます。手元で聞きながら図を作っていくと、この52パターンの図のどれかができるんです。この図一つひとつが『源氏物語』の各巻のシンボルパターンになっているので答えを出すことができます。これを世界に紹介すると仰天されるんですね。今から300年以上も前に、日本では数学者や絵師、香道家、歌人が加わり、1つの遊びのために知の限りを尽くしてプロジェクトを組みゲームを創作した。それがこの源氏香という遊びです。

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小泉:こちらのお席に広げた源氏香の図帖もぜひ皆さまにご覧いただきたいです。すごく完成されたデザインで、一つひとつの形に対して帖の名前が組になっています。

稲坂:それぞれ最もその帖の物語を表す絵が1つずつ入っていて、巻を象徴するものです。それを見ながら香りの違いを当てると必ず『源氏物語』のどれかにたどり着くという、すごい仕組みです。かなり知的で優美に遊んでいたんですね。

小泉:優美さは香道に欠かせないものですね。

稲坂:そうなんです。知的な世界というものが表側の雅に見える裏側にしっかりと作られている。ある種の学術的な背景があるということなんですね。

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小泉:ここでもう1つご紹介します。組香は香の遊びの仕方で色々なルールがあります。源氏香も組香の1つということでご紹介しました。こちらには馬に乗っている平安武人の人形が2体あります。これは競馬香(くらべうまこう・けいまこう)といいます。この競馬香も組香の遊びの一つで、お題として与えられる香りをいくつか嗅いで、どれとどれが同じかを当てるものです。答えが正解だった場合にはこの馬のコマを1つ進め、早くゴールした方が勝ちという雅な遊びですね。

稲坂:これは盤物といいまして、平安朝の姿を江戸時代の遊びとして立体化したんですね。香りという目には見えないものをビジュアル化したり、立体化したりすることによって見える形に置き換えながら遊びました。

小泉:ゲームを楽しくするための演出として多種多様なものがあるのですが、実物を皆さまにご覧いただけることが今回とても嬉しいですね。

稲坂:これはかなり精巧に作られたものなんです。これも『源氏物語』の時代である平安王朝の加茂の神社の赤駒、黒駒の競馬を、江戸時代の香の席の遊びの世界に再現したものです。ビジュアルも元ネタも原点は、全て平安時代にあるんですね。

小泉:江戸時代は、このように色々な遊びが裕福な商人階級を中心に一般にも広がりはじめるという時代でした。江戸時代の武士の作法書に『葉隠』というものがあります。そこには男性の香りの身だしなみについても書かれているんです。例えば、毎朝行水を行い、髪形を整えて髪に香をつけて、手足の爪を切って軽石でこすり身だしなみを整えて、武具にも錆がないように手入れをしましょうということが書かれています。今で言うメンズグルーミングの走りとも言えるのではないでしょうか。そういった伝統を知ると、香りに興味を持つ方が増えるでしょうし、これからも香りを楽しんでいただければ嬉しく思います。

まとめますと、江戸の町人階級というのは香りのある暮らしを男女問わず楽しんでいて、それが粋であった時代です。けれども、どうも庶民はお香の知識はあっても本物は知らなかったようなのです。伽羅の油のお話がありますね。

稲坂:江戸時代のヒット商品に伽羅油というものがあります。伽羅油とは、まげをゆってぴしっと整えるびん付け油です。今のびん付け油は、相撲取りしか手に触れないかもしれませんが、当時は日常で使うものでありました。それが伽羅の香りのする伽羅の油で作ったびん付け油だというので、売れに売れたんです。皆、本物を知りませんから、これは伽羅じゃないよとは言わないんですね。実際には、平安貴族たちが大事にしていた漢薬系の香料の1つ「丁子」が使われていました。伽羅の香りに対する憧れがあったんですね。

小泉:そうですね。実際の香りは知らなくても、伽羅が素晴らしいんだということは知っていた。伽羅油の香りは丁子の香りで、本物の伽羅とは全く違う香りですけれども、それを伽羅だと思って素晴らしい香りだからありがたいぞと受け止める、そういう気風が育っていった時代でもありますね。

稲坂:「香れるは伽羅の油か花の露」とか「袖触れしどこの伽羅様梅の春」とかが江戸人の言葉として今日残っています。

文明開化の明治・大正時代のお香 〜西洋と東洋の香りの交わり〜

小泉:幕末から明治に移っていきますと茶道や華道と同様に香道も一時沈静化しますが、やがて婦女子の教育に用いられるようになりました。当時、文明開化でアルコール香水つまり、西洋の香りが入ってきます。それによりお香は、どう変わったのでしょうか。

稲坂:古代文明から西と東に分かれて香の文化が発展していきました。簡単に言うと西に発展していったものは、香の油という液体化された状態。古代エジプトの最後の女王、クレオパトラが使ったのは香油でした。それから中世になり、蒸留の技術によってエッセンシャルオイル、つまり精油の発展形から、アロマテラピーなどが生まれ、香水文化が生まれました。西は液体なんですね。
東の方では、固形のものを刻んで燃やし焚き、くゆらせました。固形のものを焚く香の文化において東で頂点になったのは日本なんです。西はフランスの香水がシンボリックなイメ―ジとして代表になりました。その2つがなんと明治の文明開化の日本で劇的に出会った。

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日本は200年以上鎖国していたので、香水文化の発展と同時代には香水が入ってきませんでした。文明開化で一気に入ってきたんです。そのもっとも劇的な出会いが、東京日比谷にある日本最初の迎賓館。ジョサイア・コンドルというお雇い英国建築家が作った鹿鳴館です。鹿鳴館では、夜な夜な夜会が開かれます。舞踏の場です。海外代表の夫妻たちが馬車でやってくるのを迎えたのは、日本の新しい時代の伯爵夫妻、侯爵夫妻です。

その夜会の輪の中で日本の貴婦人たちの着ている夜会服は、元の生地は素晴らしい絹織物の着物なんです。上流階級の人々の着物は、虫よけのために伽羅の香木を刻んで絹の袋に入れたものと一緒に畳んでしまっていました。だから防虫効果があると同時に、素晴らしい伽羅の香りが着物に染み込むんですね。それが西洋の姿の夜会服に仕立てられた。その夜会服から伽羅の香りが漂う。一方で、西洋の婦人たちは香水をつけている。
舞踏会は、伽羅の香りと香水の香りとが1つの輪の中で出会い、混じっていきました。これは文明史でいえば、4000年目の劇的な西と東の香りの再会ということではないかと思うんですね。

小泉:文化が集まったところ、東洋と西洋の文化が融合した象徴である鹿鳴館で、香りの文化も融合していくというのはすごく面白い象徴的なエピソードであると思います。

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稲坂:その中で一人の若者が、「花の花、香水香」の世界に気づいたのです。

小泉:そうですね。香りのタイプも西洋のアルコールで作る香水と、お香として作るものとでは違うものが多いんです。お香の世界に西洋のものが入ってきたことをきっかけに、西洋の華やかなフローラルと言われるお花の香りをお香でもチャレンジするということが起こっていきます。

稲坂:明治に一人の若者が登場いたします。名前は鬼頭勇治郎といいます。彼は西洋の香水の香りを嗅いで、自分が作っているお線香やお香とは全く違う香りだとびっくりしたんですね。そこで西洋の香水のような香りに火をつけて煙をくゆらせたら、お香として広げることができるかということに挑戦したんです。何度も失敗するのですが、ついにたどり着いたある方法で作り上げました。そして「香水香」「花の花」と名付けたんですね。以後、大正ロマンの流れの中でヒット商品となって、現代も全く絶えることなく存在しています。

液体の調香を、火をつけて煙をくゆらせるお香にする技術は、今では難なくできてしまいますが、私たちは彼の技術を受け継いだから手の中にあるんです。世界のブランドから私たちにこの調香でお香にしたい、インセンスにしたいというオーダーがいっぱいあるのですが、その技術のおかげでそれに応えられているんです。

昭和から現代のお香 〜お香が再び注目を集める時代へ〜

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小泉:今、私たちが楽しめる香りの幅は、西洋のアルコールタイプの香水やルームフレグランス、そしてお香を含めてすごく広がってきています。
その時代、その場所の人々の考え方や価値観を香りでも表現できるというのが、香りの世界の1つの大きな魅力であると思います。
戦後、高度経済成長期になると日本でも生活様式が一変し、お香はだんだんと私たちの日々の暮らしからは疎遠になってしまいます。代わりにシュッと一吹きするだけで、気軽に幅広い香りを楽しめるアルコールの香水というものが主流になっていくわけですね。香水でもお香でもそうですが、その時代だから好まれる香りがあり、時代の感性を反映したような香りのトレンドが作り出されていきます。

現在、コロナによって在宅で自分の時間を過ごすことが増え、香りによる癒しを求める方が確実に増えてきていらっしゃいます。同時に和の香りへの関心も高まっているのですが、なぜ今、和の香りなのかを最後に少し考えてみたいと思います。私が事前の打ち合わせで稲坂様とお話をさせていただいた際に、お香は「安らぎ」と「ときめき」を与えてくれる伺いました。すごく日本らしい素敵な表現だなと思います。

稲坂:「安らぎ」「ときめき」は、私が勝手に対比させストレートにまとめた言葉です。
辿っていくと聖徳太子の時代、1400年前まで遡ることができます。人々は香から心安らぐ何かを得ていたんですね。それからもう1つは、気持ちが沈んでいるときは心をふっと生き生きとさせてくれる。物性で捉えると、香の香りが脳に与える情報で脳内が鎮静状態になっているということです。

香の香りは、私たちの心に安らぎをもたらしてくれるもの。「どんなにイライラしたり、雑事に追われていたりしても、ふっと心安らぐのがこの香なんだね」と言って大事にしてきて、1500年後の今日に持ってきてくれた。あるいは本当に気分が沈んでいるときに、心を慰めて自分をシャキッとさせてくれることを「ときめき」と捉えました。今の鬱々と過ごす日々の中で、私たちには香が身近にあり、ときめきや安らぎを気楽に手近なところで手に入れられる。そのことに気づいていただければと思います。

和の香りの魅力とは?

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小泉:お香をお家で楽しもうとすると、スプレーでシュシュっとするのとは違い、少し準備が必要だと思うのですが。

稲坂:今のお香は直接火を付けてから炎はふっと消しまして、ゆっくりと煙をくゆらせます。お香は短くても7分くらい燃焼しています。たった7分じゃないんです。燃えている間が最高の香りではありません。最初にふっと200度くらいの熱で香りが空間に広がっていきます。香水でいうとトップノートですね。400度でミドルノート、700度で最終的に燃焼します。そのときにボトムノートが出てくる。その3つの香りの要素が、空間で入り混じるのが燃え尽きた後です。

そして残り香というのが香の命です。燃え尽きた後、煙もなくなったときに、目に見えない香りだけがここに存在していて、部屋の雰囲気も気分も変えるその中にいる私たちの心のあり様までふっと変化させることができるんです。香を立て火をつけるためのものは小皿でも何でもいいんです。お好きな香りと出会ったら、お宅のカップが香炉になるかもしれませんね。

小泉:手軽に始められるのは良いですね。今日のお話を聞いてくださった方の中にはきっと和の香りを本格的にお家で試してみたいなという方もいらっしゃると思います。そういう方は、何から始めるのがよろしいでしょうか。

稲坂:まず情報を得ていただく。できる限りネット等々で検索をしてもらって、それから行きやすいお店を見つけていただきたいです。一度お店を覗いていただくと、そこにいっぱい並んでいます。格式のあるものもありますし、非常にカジュアルなものもあります。1000円くらいでトライアルできて、でもしっかり作られているお香の種類というのは実に多いんです。高価だから自分にとっていいということではありません。価格に関係なく、この香りが素敵だなと思うものがきっとあるはずです。

小泉:そうですね。まずは好きな香りに出会っていただきたいというのが私たち共通の願いでもあります。それは和の香りであっても、洋の香りであっても構わないと思うんですね。香りに対して「私はこれが好き」というものを、和と洋の垣根を飛び越えて見つけていただきたいなと思います。特に和の香り、お香というスタイルは時間と向き合う、時間を通して自分と向き合うという感覚を味わうことができると思います。これは現代に生きる私たちにとっても必要なことではないでしょうか。これを機会に見直して、皆様にもチャレンジしてみていただければと思います。
本日は、日本に香が伝来してからの1500年の長い歴史を駆け抜けて参りました(笑)。

稲坂:そうですね、90分で走りましたのでちょっと息切れしております(笑)。本日は1500年総集編、ハイライト編ということでしたが、各論がいっぱいあります。それはまたじっくりと色々な情報を得ていただければと思います。

小泉:これからの時代、自分自身のリズムを作ったり、気持ちをリフトアップしたり、最近の言葉ですとチルしたり、そういったことにも香りは活用できると思います。香りに対して期待することがこれからどんどん増えていく時代になると思います。遠く先祖たちから受け継いできた香りから何かを感じ取る感性が、今を生きる私たちの中にもきちんとあることを信じて、まずは身の回りに気に入った香りを取り入れることから始めていただければ嬉しく思います。
本日はご視聴くださいましてありがとうございました。

稲坂:ありがとうございました。

ーおわりー

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