ミニカーランド
ミニカーランド
ミニカーランド
翼を折りたたんだまま飛行できるのは世界中でこのクルセーダーだけだそうです(エリア88情報 笑) F-8は、アメリカ合衆国の航空機メーカー、チャンス・ヴォート(現ヴォート・エアクラフト・インダストリーズ)社が開発し、アメリカ海軍とアメリカ海兵隊を中心にフランス海軍とフィリピン空軍で使用された艦上戦闘機である。愛称はクルセイダー(Crusader、十字軍の戦士)。 開発当初の機種名はF8Uであるが、1962年の機種名整理で命名規則が変更されたため、F-8となった。
QuuMa-8
96陸攻は、96艦攻と並んで日本の航空技術が欧米と同等のレベルまで進んだことを示した最初の機体と言われています。当時としては高い航続性能を有し、日中戦争から太平洋戦争の初期まで第一線で活躍しました。また、海軍の命名法によって急降下爆撃ができない本器は爆撃機ではなく攻撃機と命名されています。連合軍のコードネームはネル。 特徴としては航続距離と低燃費を最優先で設計されたため、日本軍用機初の引込式主脚、葉巻型の細い胴体部、空気抵抗を大幅に低減する沈頭鋲があります。しかし、胴体をスリム化したために、爆撃機でありながら内部に爆弾倉を設けることができず、爆弾や魚雷は胴体下に吊り下げる事しかできず、火力の低下や懸架時の空気抵抗など問題が生じていました。 #ハセガワ #攻撃機 #日本軍
ちょこ大佐
FW190A(フォッケウルフ)は、ドイツのフォッケウルフ社が開発し、第二次大戦で活躍したドイツ空軍戦闘機です。愛称やヴェルガー(モズ)。設計者は第一次大戦に従軍経験のあるクルト・タンクで、戦争経験のある彼の設計は、余裕のある機体、パイロットに負荷をかけない操作性能、整備の容易さなど非常に実践向きであり、また実践においても優れた性能を発揮し、第二次大戦での最高の傑作機と呼ばれています。また、当時液冷式エンジンが主流だったドイツ戦闘機の中で、唯一空冷式エンジンを採用した単葉戦闘機です。 #アカデミー #戦闘機 #ドイツ軍
ちょこ大佐
Ju87(ユンカース)は、ドイツのユンカース社が開発し、第二次大戦中にドイツ空軍が運用した急降下爆撃機です。愛称のスツーカは、本来ドイツ語で急降下爆撃機を意味する言葉でしたが、Ju87がドイツ空軍において圧倒的な主力爆撃機だったため、そのまま愛称として定着しました。1935年に初飛行、終戦まで5700機余りが製造されました。特徴は、急降下に耐える頑丈な機体、逆ガル翼、固定式主脚、そして急降下時に機体から発せられるサイレンのような独特の振動音は、連合国側から悪魔のサイレンと呼ばれ恐れられていました。 #フジミ #爆撃機 #ドイツ軍
ちょこ大佐
D0335B6(ドルニエ)は、第二次大戦中ドイツのドルニエ社により製造された戦闘爆撃機です。2基のエンジンをコクピットを挟んで前後に配置するその独特の形状、垂直尾翼は上下に1枚ずつあり、そのシルエットからプファイル(矢)と呼ばれています。通常爆撃機は双発エンジンを両翼に1基ずつ配置しますが、前後に配置することによって旋回性能が抜群に向上し、またどちらかのエンジンが停止しても平気で飛行継続できる頑強さを持ち合わせていました。更にレシプロエンジン機としては世界最速の部類に入る770㎞をたたき出し、爆撃機でありながら敵戦闘機以上の速度で飛行でき、制空権の無い空域でも高速侵入して爆撃する戦法を可能いしていました。 #ドラゴン #爆撃機 #ドイツ軍
ちょこ大佐
Me262(メッサーシュミット)は、ドイツのメッサーシュミット社が開発し第二次大戦末期にドイツ空軍が運用した世界初の実戦配備されたジェット機です。愛称は、戦闘機型はシュヴァルベ(つばめ)、爆撃機型はシュトゥルムフォーゲル(みずなぎどり)と呼ばれました。最高速度869㎞にも達するその速度は圧倒的で、一撃離脱戦法を取るとプロペラ機の敵ではありませんでした。通常、速度が30㎞差があると空戦で圧倒的有利を取れるといわれていますが、当時のプロペラ機の最高速度700㎞程度と比べると正にうさぎとかめ状態でした。しかし、ジェット黎明期のためジェットエンジンの不安定さ、航続時間の短さ(30分~1時間)、一旦低速になると再び高速になるのが難しいなど、数々の欠点を抱えており、その速度を活かす戦場は数少なかったようです。 #ハセガワ #戦闘機 #爆撃機 #ドイツ軍
ちょこ大佐
零戦は太平洋戦争の全期間を通じて海軍の主力戦闘機として活躍、日本が生んだ世界的な傑作機のひとつに数えられています。いくつかのタイプがあり、最初の11型、その改良型の21型に続いて戦争の中頃に登場したのが32型です。エンジンを21型の栄12型からより大出力の栄21型に換装し、主翼を翼端で左右各50cmづつ切り詰めると共に翼端を角型にする変更を受け、最高速度は約540㎞と21型より10㎞程速くなるとともに加速、上昇力なども向上しました。また、翼端が角型の主翼を持つのは零戦の中でもkの32型だけで、連合軍のコードネームもジークではなくハンプ(HAMP)と呼ばれていました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
ちょこ大佐
零戦52型シリーズは総計10,370機も生産された零式ファミリーの実に60%を占めており、まさに日本海軍の主力戦闘機でした。昭和18年後半に登場した52型は、ソロモン航空戦、中部太平洋、フィリピン、沖縄、本土防空戦など戦争末期の日本海軍の主要航空戦に参加しましたが圧倒的なアメリカ陸海軍の戦力の前に苦戦を強いられ、多くの損害を出してしまいました。 #ハセガワ #戦闘機 #日本軍
ちょこ大佐
太平洋戦争の全期間を通して活躍し続けた零戦の中で大戦後期に登場したアメリカ軍の新鋭機に対抗するために開発されたのが零戦52型です。特に52丙型は零戦の最終型属し、重装甲、強武装で知られています。主翼は32型同様50㎝ずつ詰められた11mで翼端は丸く成形されました。エンジンは栄21型ですが、排気管を単排気管としてロケット推進機同様の効果を生み出し性能アップがなされ、最高速度は540㎞に向上しています。武装は強力な20㎜機関砲に加え13㎜機銃が左右1丁ずつ装備され、機首の13㎜機銃と合わせて5丁もの機銃が装備されました。正式採用は昭和19年10月、93機が三菱で生産され、中島でも生産されたと言われています。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
ちょこ大佐
昭和19年4月、キ84は4式戦闘機疾風(はやて)として正式採用され、終戦までに約3500機が中島飛行機で生産されました。2000馬力のハー45エンジンを搭載、624㎞と日本の量産制式戦闘機の中では最高の速度と20㎜機関砲2門、12.7㎜機銃2基の重武装は戦局が次第に悪化してきた当時、第一線の戦闘機部隊から大東亜決戦機として期待され、フィリピンのレイテ島決戦、沖縄戦、満州や日本本土防空戦に日本陸軍機の中心となってP51ムスタングやF6Fヘルキャットを相手に善戦しました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
ちょこ大佐
震電(しんでん)は、第二次大戦末期に日本海軍が試作した局地戦闘機です。前翼型の独特な機体形状を持ち、最高速度740㎞以上の高速戦闘機の計画で1945年6月に試作機が完成、同年8月に試験飛行が行われましたがそのまま終戦を迎えました。 当時の日本軍は多くのパイロットが隼やキ100などの自身の技量が発揮できる運動性の高い機体が好まれる傾向にありましたが、高硬度から飛来するB29を撃墜するため、既に大戦末期には米軍の新鋭機に性能的に後れを取っていた零戦の後継機として速度が最優先に求められました。その最高速度740㎞は、当時B29の護衛の主力だったP51Dの704㎞を凌駕し、十分に護衛機を振り切れる高速でした。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
ちょこ大佐
震電(しんでん)は、日本で最初の前翼式(エンテ式)戦闘機として開発されました。エンテ式とは、通常の飛行機とは逆にプロペラを胴体の最後尾に配置し、その前に主翼、更に前翼と呼ばれる、通常の飛行機では尾翼にあたる小翼を最前方に配置するという特異な形式の飛行機です。通常の飛行機ではエンジン、武装、座席などが前方に集中し、座席より後ろは単なる空間になってしまうのに対し、前翼式飛行機は武装は前方、座席は中央、エンジンは後方と機体の空間を無駄なく利用でき、通常の飛行機より小型化、軽量化が可能という理論がありました。 また、震電は後退角のついた主翼、双尾式の垂直尾翼、6枚羽根のプロペラなど、数々の特徴を備えていました。 #ハセガワ #戦闘機 #日本軍
ちょこ大佐
送信中 ...
新規会員登録
E-mail,SNSアカウントでログイン