輝コバルト鉱 (cobaltite) 長登鉱山 #0221

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かすかにピンク色を帯びた銀白色の鉱物が輝コバルト鉱です。(1枚目は背景をソフトウエア処理しています。)

長登鉱山は秋吉台の東南に位置しており、7世紀末ないし8世紀初頭に銅山として操業が始まったと考えられています。律令制下で長門国直営の鉱山として稼行され、産出された銅や鉛は和同開珎など皇朝十二銭の鋳造や東大寺の大仏といった、国家的事業に用いられたと考えられており、「奈良上り」が「長登」の地名の由来だとされています。長登鉱山は12世紀に一旦稼動が休止され、14世紀後半に再開したと考えられており、中世期の銅の製錬遺構が見つかっています。江戸時代初期には長州藩直営の鉱山として栄えましたが、坑内からの出水などにより銅の採掘が困難になったため、江戸時代後半には再び休止状態になりました。但し、岩絵具の材料として緑青の採掘が続けられ、滝ノ下緑青として全国的に知られました。明治時代から昭和時代にかけて長登鉱山は再稼動し、銅に加えて日本では珍しいコバルトが採掘されました。明治後期から大正時代にかけての精錬所である花の山精錬所は日本独自の吹床精錬法の精錬所で、遺構の保存状況も良く、貴重な近代鉱業遺跡になっています。

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