59回目の日記 深澤弘氏逝去

初版 2021/09/11 20:23

改訂 2021/09/11 20:23

 このところ、残念な訃報が続きました。二瓶正也、ジャン=ポール・ベルモンド。彼らについても触れたいのですが、前者はすでに他の館長が採り上げていますし、後者は今後触れる機会もあるでしょうから、ここは申し訳ないですがスルーさせて戴き、今回はタイトルに掲げた深澤氏とその周辺の思い出について触れてみたいと思います。9月8日逝去、享年85。

 「深澤弘」と言われても「何者?」と思われる方もおられるかもしれませんが、元ニッポン放送のスポーツアナウンサー、というよりもプロ野球実況のアナウンサーと言い切った方が座りがいい感じがします。70年代から90年代にかけてのニッポン放送のプロ野球実況中継の看板アナウンサーであり、「ミスターショウアップナイター」と呼ばれていたそうです。私も随分と実況放送を聴きました。

 で、この訃報を知ったのはネット記事でしたが、その中に江本孟紀氏がラジオ番組でコメントしていた、という旨の記載がありましたので、ラジコのタイムフリーで聴きました。昭和56年阪神タイガースに在籍中に舌禍事件を起こして引退を余儀なくされ、失職した江本氏をプロ野球解説者に導いたのが深澤氏であり、その恩人についてコメントしている際に感極まった場面があったのが印象的でした。

 と、簡単に紹介してみたものの、私自身、深澤アナを諸手を挙げて「名実況アナウンサーだった」とは言い切れない気分です。これは、プロ野球実況を聴くならば、TBSラジオか、ニッポン放送か、という事情も絡んで、一筋縄ではいかないのですが、要は深澤氏の実況中継での語り口が何かたどたどしく聞こえ、私個人としては聞き辛いものであったということに収斂されます。もちろん深澤氏の取材力、情報取得能力が卓越していたことは、放送中のコメントを聴けば明らかでしたし、オフシーズンにかつてのプロ野球について触れる番組を担当されたことがあったのですが、そこでの語り口はとても聴き易いものでした。ですので、私見になりますが、深澤アナは実況よりはスタジオでパーソナリティを務めた方がよかったような気もしました。ただ、プロ野球興盛のための尽力には多大な功績がありましたので、やはり実況アナウンサーでよかったのでしょう。

 そしてここからはこじつけ話をブッ込むのですが、プロ野球実況中継のニッポン放送の看板アナが深澤氏ならばTBSは誰かというと、深澤氏の大学(早稲田大学)の5年先輩の「渡辺謙太郎」アナウンサーということになるでしょう。まさに「ミスターエキサイトナイター」でした。もちろん、取材力等も深澤氏には引けを取らないのに加えて、実況中継での語り口は極めて流暢で聴き易く、「謙太郎節」と言わしめるものでした。もっとも、年末大晦日の日本レコード大賞のラジオでの実況中継までやってしまったのには、「どうなのだろう?」と思うこともありましたが…。

 まあ、プロ野球、それもラジオの実況中継にはさまざまな思い出があり、とても語り切れるものではありません。そして、私自身、プロ野球に関するアイテムを殆ど所有しておらず、したがってこのミューゼオの場で語れる類いのものではないのですが、今回は無理やりきっかけを作って、少しだけ語らせて戴きました。最後に、昔むさぼるように読んだ渡辺氏の著書の画像を掲げることとします。何せ、深澤氏に関するアイテムを持っていないので。あと、いい機会ですからこの渡辺氏の著書も、そのうち展示・登録させて戴きますかね。

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 映画音楽とクラシック音楽をこよなく愛するwoodstein(ウッドスタイン)という者です。それ故、必然的にCD、レコードコレクターであり、他人にその保有数を告げると、殆どの場合、引かれてしまうという困り者です。自分でもコレクションを把握できていないという体たらくでして、この場を通じて、実情を解き明かしていこうと目論んでいます。

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