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Valenciennes(フランス)
Braun & HogenbergRoku
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Sluys (オランダ)
Braun & HogenbergRoku
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Calais (フランス)
カレーはフランス最北部、ドーバー海峡に面した港町です。 この町は古来よりブリテン島への渡航地点として重要な位置を占めており、当時島だったこの地はシーザーのブリテン島侵攻の出帆地点でもありました。その島であった特性からヨーロッパ本土からの支配が難しく長らくイングランドの支配下にありましたが、堆砂により後背地が陸地化されるにつれ、グラーヴリーヌ、ダンケルクと共に陸地と繋がった町となりました。そのイングランドの支配を離れた後、997年にフランダース伯により、1224年にブローニュ伯により要塞化されました。しかし、百年戦争中の1347年にイングランドに再度占領され、1363年にイングランドの羊毛の指定市場がブルージュからカレーにいつされたことから羊毛、またそれ以外にもブリキ、鉛、布地の貿易拠点として大いに栄えることになりました。フランスとブルゴーニュの国境近くに立地した恩恵で、イングランドの統治は1558年まで続きますが、フランスと神聖ローマ帝国間で争われたイタリア戦争の中で、フランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. V(1598年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum V 銅版画 47.6cm × 38.1cm Braun & HogenbergRoku
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Cambrai (フランス)
カンブレはフランス北部、エスコー川沿いの町です。 4世紀中頃はローマ帝国ネルヴィイ属州の都市でしたが、北方からのフランク人の圧力が強まるにつれ要塞化され、戦略上の重要拠点となりましたが、430年にはフランク人の支配下となり、フランク王国の一部となります。メロヴィング朝時代に司教座が置かれたことや、毛織物やリネン等の繊維産業の勃興により町は成長しますが、870年にノルマン人の侵攻により町は破壊されます。その後、中部フランク王国時代を経て神聖ローマ帝国の一部となり、948年には司教領となりますが、地理的に大国の間にあることから度々領土争奪の係争地となり、1677年以降にフランス領となります。経済的には15世紀に北方のブルージュの北ヨーロッパ中心地としての地位が衰退するにつれカンブレも衰退を始めますが、文化的にはこの時代にブルゴーニュ音楽学校を中心として多くの音楽家を輩出しました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のドイツ語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 52.3cm × 38.5cm 1597Roku
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Kampen (オランダ)
カンペンはオランダ中部、北海に繋がるアイセル川が湖に変わる地点に位置する町です。 北海貿易の交流と共にライン川の支流に当たるアイセル川の重要性が増したことから栄え、1236年に都市権を獲得し、1441年にをハンザ同盟に加入します。しかし、15世紀中盤から、堆砂に伴い徐々に衰退していきます。その後、八十年戦争、仏蘭戦争を経てオランダが独立を達成していく中で、カンペンの力は更に大きく失われていきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 52.5cm × 39.0cm Braun & HogenbergRoku
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Hesdin (フランス)
エスダンはフランス北部の町です。 フランダース伯爵領下のアルトワ伯の領地でしたが、1180年にフランダール伯爵家の姪にあたるイザベラがフランス王フィリップ2世と婚姻した際に、当地は持参金としてフランス領となりました。その後、ブルゴーニュ伯領になったことから神聖ローマ帝国の一部となりましたが、1639年にフランスの侵攻を受け、以後フランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 54.5cm × 42.0cm 1588Roku
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Avignon (フランス)_2
アヴィニョンはフランス南部、ローヌ川沿いの町です。 町の起源は、紀元前6世紀半ばにギリシア人が交易の拠点として居住したことに始まります。その後ガリア人の国の首都となりますが、紀元前120年にローマの統治下に入り、紀元前43年にはローマのコロニーとしての地位を得、70年には司教座が置かれます。その後、ゲルマン人の攻撃、フランク王国による支配など目まぐるしく統治者が変わる中で町は衰退していき、1226年にフランス王ルイ八世に占領されます。1309年には、フランス王の後押しで教皇の地位に就いた教皇クレメンス五世が当地を教皇庁所在地とし1377年まで続きました。また、1348年に教皇庁はプロヴァンス伯から当地の譲渡を受け、フランス革命まで、フランス国内の教皇領の飛び地となっていました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 53.8cm × 40.9cm Braun & HogenbergRoku
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Mons (ベルギー)_2
モンスはベルギー中西部、フランス国境近くの町です。 シーザーが丘の上に要塞を築いたことが語源です。1515年この地方を支配していたエノー伯が神聖ローマ帝国に入り、この頃モンスは繁栄します。その後16世紀後半の宗教戦争で被害を被った後、南ネーデルラントの首都となります。その後、オランダ領、フランス領等の変遷を経て、1830年のベルギー独立の際にベルギー領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 53.3cm × 40.3cm 1581Roku
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Leeuwarden & Franeker (オランダ)_2
レーワルデンはオランダ北部の町です。元々は海に面した港湾都市でしたが13世紀に始まる干拓により内陸都市となりました。港湾都市であったときは海上交易で栄え、1435年に都市権を得ます。17世紀前半にはユダヤ人コミュニティが形成され、金銀細工が盛んになります。 フラネケルもオランダ北部の町で、8世紀後半のカロリング朝フランク王国の時代に造られた要塞が起源です。1374年に都市権を得ますが、徐々にレーワルデンに繁栄を奪われていきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 52cm × 34.5cm 1581Roku
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Neuss (ドイツ)
ノイスはドイツ西部、ライン川を挟んでデュッセルドルフの対岸に位置する町です。 紀元前16年にローマがケルト人に対する要塞を築いたのが町の起源で、その後要塞の周りに町が発展しました。中世に入るとライン川の渡河地点として発達し、1138年には都市としての記載が見られます。しかし、1586年の大火事で町の3分の2が焼失し、さらにフランスのルイ14世の侵攻や渡河地点としての重要性が薄れたことから衰退します。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅲ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 46.8cm × 35.7cm 1588Roku
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Enkhuizen (オランダ)_2
エンクホイゼンはオランダ西部、北海つながる内海であるエイセル湖に面した港町です。 1355年に都市権を獲得し、17世紀にホールンやアムステルダムと共にオランダ東インド会社の拠点港として東インドとの交易で栄え、最盛期を迎えます。しかしシルトの堆積などにより衰退していきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅲ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 47.4cm × 37.6cm 1575Roku
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Sneek, Dokkum, Ijlst & Sloten (オランダ)
スネーク、ドックム、エイルスト、スローテンはいずれもオランダ北部の町です。 スネークは10世紀頃に土砂の堆積によりできた半島に水路を掘り、その堤防沿いに町が造られました。1456年に公式に都市権を獲得し、そのころから約100年間貿易により栄えました。 ドックムは1298年に都市権を獲得しました。オランダ独立戦争中は独立側についたため1572年にスペイン・ハプスブルク家に占領されました。1597年に独立軍側のフリースランド艦隊の本部が置かれましたが、1645年に本部はハルリンゲンに移転してしまいました。 エイルスト1268年に都市権を獲得しました。その立地から地域の交易拠点及び造船業で栄えましたが、運河の堆砂により交易拠点としての魅力は失われ、造船業の町となりました。 スローテンは13世紀にスローテン家が設置した要塞が起源です。1426年に都市権を獲得しました。この町は内陸部とハンザ都市を結ぶ水路とドイツまで繋がる陸路の結節点であったため、その通行料収入などで栄えました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 53.6cm × 40.6cm 1588Roku
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Penig
ペニヒはドイツ東部の町で、ツウィッカウアー・ムルデ川沿いの町です。 古くは、ライプチッヒ・ハレとプラハを結ぶ街道の渡河地点として成立し、特に塩が重要な交易品でした。また芸術性の高い陶器産業も盛んで各地に輸出されました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. VI(1617年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum VI 銅版画 54.0 cm × 42.0 cm 1617Roku
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Saint Omer (フランス)_2
サントメールはフランス最北部に位置する街です。サン・ベルタン修道院の門前町として発展し、中世初期は織物産業、また当時はアー川の河口に位置する交易拠点として栄えましたが干拓により内陸部に立地するようになると、カレー、ダンケルク、グラヴリーヌまで運河が掘削されました。 932年にフランドル伯領となりましたが、1212年にアルトワ伯領となって以降フランス化が進み、その後何度かの変遷を経て、1678年にフランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 52.4cm × 38.0cm 1588Roku
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Leeuwarden & Franeker (オランダ)
レーワルデンはオランダ北部の町です。元々は海に面した港湾都市でしたが13世紀に始まる干拓により内陸都市となりました。港湾都市であったときは海上交易で栄え、1435年に都市権を得ます。17世紀前半にはユダヤ人コミュニティが形成され、金銀細工が盛んになります。 フラネケルもオランダ北部の町で、8世紀後半のカロリング朝フランク王国の時代に造られた要塞が起源です。1374年に都市権を得ますが、徐々にレーワルデンに繁栄を奪われていきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 54.8cm × 40.1cm 1588Roku