- 909 Museum
- 4F 諏訪根自子さん展:媒体掲載
- 婦女界 1938(昭和13)年 第五十八巻 第五號 十一月號
婦女界 1938(昭和13)年 第五十八巻 第五號 十一月號
婦女界 1938(昭和13)年 11月號。巴里の追憶 -フランスより歸りて-
根自子さんの特集ではありませんが、同時期にパリに滞在されていたピアニストでご友人の原智恵子さんの一時ご帰国時の手記です。
ご本人のご活動や生活、あの伝説のショパンコンテストの事など興味深い事項は勿論の事、開戦後間もない時期のパリそしてヨーロッパの生々しいご時世、そんな日々にあって志を同じくする音楽・芸術家仲間であり同年、ベルギー・ブリュッセルより移ったばかりの友人の根自子さんの事が丸々2ページ強にて綴られております。
ご友人の眼・言葉を通じパリでの生活の一端を窺い知る事の出来る非常に興味深い内容になっております。
★お友達・根自子さん
*少ない在パリ日本人の中でも特別仲良くしていた。
*週に一度は訪ねあう仲。
*根自子さんは師であるカメンスキー先生宅に寄宿し子供の居ないご夫妻に寵愛され、幸せな日々を送っていた。
*先生宅では當然、右を向いても左を向いてもフランス式の生活。
*智恵子さん宅(屋根裏部屋)の懐かしい江戸の香り=味噌・醤油・海苔・お米で質素な料理をこさえ郷愁の食卓を囲み、おいしいおいしいと何度もおかわりをする。
*時折り、セッションをしたり将来、二人で世界演奏旅行をしようとか、遠い未来の望みに胸をふくらませた
*深い哀愁を湛えた大きな眼。音楽の話になると物に憑かれた様に輝き出す。
などなど・・・
希望に満ちた、海外に学ぶ若き音楽家。芸事は解せませんが、体験から海外生活の不自由さは有る程度理解出来ます。しかしながらそれも1930年代の話となれば、EMSで数日で荷物が届き、日本料理店・食材があってクオリティ云々を問わずばまがりなりにも身近にあって…そんな近年とは根本的に異なるわけで、稀少な祖国の食材での手作りの味とはどれだけありがたく嬉しかった事か?想像するに余ります。
研鑽と覚悟、そして報国の念。これらは戦後の過酷な程、密なスケジュールの演奏會を見れば明らかな事。
藝術に生涯を捧げる。書けば簡単ですが、その覚悟は・・・原智恵子さん、そして根自子さんの当時の手記・インタビューに触れる度にその志、芯の強き女性の姿に感銘をおぼえます。
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/36?theme_id=39620
原さんとは、前年パリ万博のソワレ(夜会)⬆︎でご共演、戦後も度々演奏會ご一緒されていらっしゃいます。それ以前にも遡り1932年刊の「音楽世界」誌で"天才と天才"としてご一緒に演奏されてる写真があります(*それもまた別の機会に…)ので旧知の仲、きっと同じレベルでしか感じ得ない、見ることの出来ない世界を共有されていたんだと察します。
#諏訪根自子 #nejikosuwa #原智恵子