-
1949(昭和24)年 11月21日 / 22日 大阪 朝日會館 公演 プログラム/入場半券
上田仁さん指揮による東宝交響樂團の大阪 朝日會館での2日間公演のプログラムと入場半券です。 *メンデルスゾーン:序曲「眞夏の夜の夢」 *ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 ・アレグロ マ ノン トロッポ ・アダージョ ・アレグロ ヂオコーソ マ ノン トロッポ ヴィヴァーチェ *ロイ・ハリス:第三交響曲 ブラームスでのヴァイオリン協奏曲にて獨奏としてクレジット。 翌日は京都に移動しまして、京都の朝日會館での同公演でした。近府県、プログラムはラストがショスタコービッチに変わっております。 余談ではありますが、こちらのパンフレットは⬇︎のものとデザイン傾向・レイアウトが酷似しておりますので、きっと同じデザイナーの方のお仕事なのでしょう・・・ https://muuseo.com/nine_o_nine/items/24?theme_id=39620 その同年6月の京都 朝日會館のものにあしらわれたシュール且つ象形的な美貌ヴァイオリニストさんのフィギュアに対しまして、当、大阪公演のものは9月故でしょうか?落ち葉に見え隠れする美女の面影。 イラストレイターさんも同一の方なのでしょうか? 今回のものは恐らく裏焼で、"yoshi"のサインが見て取れますが・・・ #諏訪根自子 #nejikosuwa #大阪朝日會館
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
1947(昭和22)年10月17/18日 名古屋 名寶劇場 ソナタの夕べ プログラム
名寶=名古屋寶塚劇場 1935(昭和10)年11月3日 広小路通りに開業した5階建ての商業施設。屋上庭園や5Fのスケートリンク、2Fレストラン「名寶グリル」なども備えた。メインの同劇場(1,994人収容)は柿落としで宝塚少女歌劇星組による公演が挙行された。以降も宝塚歌劇の公演と映画上映の交互立興行が行われ 3年後には3階に「名宝会館」が開館、以降それぞれ名称を変えつつ存続し、1969(昭和44)年には大改築も行われ以降主に映画館として親しまれた。しかし2002(平成14)年12月1日閉館、翌年に取り壊され、広小路からその姿を消しその跡地には翌々年に名古屋東宝ビル/ホテル(リッチモンド)が竣工した。 当夜は、戦前、そしてパリ時代からの旧知の 原智恵子さんとの『ソナタの夕べ』2daysでした。 https://muuseo.com/nine_o_nine/diaries/9 なんとも贅沢な終戦直後の楽壇大スターお二人の共演を目の当たりに出来るとは! プログラム演目も贅沢です♪ (編集中) #諏訪根自子 #原智恵子 #名古屋寶塚劇場 #名寶劇場
プログラム 日本:その他 1947年nine_o_nine
-
SPOTLIGHT 1946(昭和21)年 11月 1日 第一巻 第五・六號
初めて知りました、大変珍しい戦後間もない頃の英字雑誌です。 「SPOTLIGHT the all English magagine」October-November とあります。 発行はスポットライト出版社。内地滞在進駐軍/外地籍の方々向けターゲットだったのでしょうか? 日本のニュースやトピックス、戦争犯罪人裁判の行方などの記事の中に 「NEJIKO SUWA the Girl and the Fiddle」 と題され、"それは午後五時のこと、トーキョーの帝国劇場の照明は暗転した…"となかなかに ドラマチックな書き出しで始まる藝術祭音楽會⬇︎の一環で執り行われた10月8/9両日公演の様子から 経歴紹介などが2㌻に渡って英文紹介されております。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/16?theme_id=39620 "当年26歳になる諏訪根自子は他の日本人ヴァイオリニストの追随を許さない繊細なる感性を持ち合わせた、 日本で最も偉大なる音楽家の一である"(カタイ翻訳ですね?^^;すみません) と評されているのが印象的。大田黒さんも「ヴァイオリンの女王」と評されておられましたし きっとそんな存在で、戦後楽壇にその佇まい通り凛!と君臨されていたのでしょう。 2㌻目の写真下はヴァイオリンの天才の引き合いとしてハイフェッツの記述(Coronet誌より)が転載されております。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 スポットライト出版社 日本:その他nine_o_nine
-
1950(昭和25)年 9月6日 目白台 日本女子大學 講堂 学債募集 記念音樂會(提琴獨奏)プログラム
1950年9月16日 日本女子大學 講堂にての独奏會プログラムです。 とてもかわいい小さなミニミニ・サイズ^^ 3枚目のお写真は、比較的大きなA4版のプログラムとの比較です。 所有のもでは、同志社/榮光館ファウラーチャペル('48年3月1日)でのものと同じ大きさ=12.5cm x 8.5cm のカードサイズであります。 端っこが入場券の役も果たしていたのでしょうか?手切りで乱雑に千切られていますね。 当日のリストは2枚目のお写真ご参照・・・ (ピアノ伴奏は田村宏さん) 学債募集 記念音樂會 主催は同学、社會福祉學科 学債はこの当時は無利子が原則だったのですね(今は少ないながらも利息が反映されている様ですが…)? 音楽会の名目もプログラムに記載されている色々なものがあり大変興味深いです。 1901年、日本女子大學(校)は専門学校として創立、専門学校認可の後、戦後1948年 学制改革にて新制大学として発足。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #日本女子大學
プログラム 日本:その他 1950年nine_o_nine
-
女性線 1946(昭和21)年 5月1日 第一巻 第三號(5月号)
戦後創刊の雑誌『女性線』。 2㌻(実質1㌻半)に「新たなる視野」として短いながら実に印象的な音樂・藝術家らしい観点に立たれた文面=欧州での戦争体験の中、彼の地と日本の生活に根ざした音楽文化の違いとこれからの児童音楽教育/文化寄与貢献への決意・・・的な内容と相成っております。 根自子さんとは全然無関係ながら、この発行所(書房/印刷社)の関係者は後の"千葉銀行レインボー事件"という巨額不正融資/特別背任事件の渦中にあった。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #坂内ミノブ
雑誌 吉田書房 日本:その他nine_o_nine
-
渡歐案内 昭和六年 改訂新版
日本郵船株式會社『渡歐案内』昭和六年 改訂新版 欧州航路の92頁に及ぶ案内書です。 別に諏訪根自子さんの事が記載されている訳ではありませんが、この5年後の1936(昭和11)年1月に渡欧される際にもきっと同年版を手に取られたであろう、当時の日本郵船の欧州航路の携行レジュメ的冊子であります。 *日本から欧州への経路 *欧州航路使用船と寄港地 *乗船運賃 *渡欧船客一般心得 *渡欧船脚特典 *寄港地案内 *乗船ご注意 *手荷物積卸方 *埃及等の出入國税 *旅客手荷物保険 及 旅行傷害保険 *海外旅行中の用心 *欧州航路浬程表 一般心得項ではパスポートから乗船申し込み、内地港湾迄路線、携帯品、税関、船内案内、船内でのマナーや服装に至るまで詳しく、 また特に寄港地案内項は大変充実していて観光案内・歴史・通貨・税制・ホテル・注意点など、そして途上の海峡など大変詳細に、今で言う"地球の歩き方"みたいなガイドブック的内容で、この冊子の総ページ数の大凡半分が割かれており現代と比較しても大変興味深く、きっと根自子さんも其々の地で手に取られてつらつら眺めておられたのではないかな?と推測する次第です。 神戸から乗船された後、目的港である馬耳塞(マルセイユ)迄の寄港地は… 門司-上海-香港-新嘉坡-馬拉加-彼南-古倫母-亞丁-蘇士-坡西土-ナポリ- 馬耳塞(マルセイユ) 大凡一ヶ月強(35~40日)の船旅で、その概要を推し量れる一級の資料だと感じます。 本来であれば刊行時の1931(昭和6)年とすべきなのでしょうけど、便宜上渡欧された1936(昭和11)年1月のTLに掲載する事とさせて頂きます。 ・ 最後の一枚は、鹿島丸の乗船者サイン帳の根自子さん自署(*古書店さんの過去記事より)。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #鹿島丸
冊子 日本郵船株式會社 日本:その他nine_o_nine
-
ロマンサ・アンダルーサ / オリエンタル('35)
Columbia 28225 表題タイトルの投げ込み(歌詞カード)です。 裏面掲載全文は盤の方に記載しました。 表書きの今で言うアーティスト簡介みたいな文面には "日本楽壇の寶玉、世界的天才少女ヴァイオリニスト諏訪根自子も輝かしい十六の春を迎へました。 憧れの外遊の日も近く、小鳥のやうな根自子さんの海外への飛躍が約束されようとしていゐます。 音樂の都ウヰーンを、花の都パリを夢みつつ溢れるばかりの觀喜をヴァイオリンに託して 『渡歐の春』を奏でる傑作二曲です。" とあります。う〜ん、なんと希望に満ちた「美貌なる昭和」!? 蓄音機から流れる音を聴きつつ、ほぼ90年近く前の解説読みながら(楽曲的知識も有りません故…) リリース時のそんな空気感も味わいつつ珈琲でも・・・な時間はなかなかに佳きひとときであります^^♪ 下部に【納付済み】の印刷はなし。スタンプは表面です。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
SPレコード 日本コロンビア 日本:その他nine_o_nine
-
ロマンサ・アンダルーサ / オリエンタル('35)
Columbia 28225 『サールダンア・サンマロ』 作テーサラサ 139722 『ルタンエリオ』 作ーイク 239721 左←右表記です。 ピアノ伴奏:マダム・ロイヒテンブルグ 1934年12月20日 録音 1935年3月の発売。 前作とカタログナンバーが40違い、毎月リリースが続きます。 投げ込み(歌詞カード)の解説によりますと・・・ ロマンサ・アンダルーサ 作曲者パブロ・サラサーテは西班牙のパムペルーナに生れた近代屈指の大ヴァイオリニストです。 十歳の時イサベラ女王陛下の御前で演奏し、御秘蔵の名器ストラディヴァリウスを拝領した程の 天才であります。「ツィゴイネルワイゼン」「ホタ・アラゴネーサ」及び四冊になつてゐる 「スペイン舞曲」等は彼の作品の中でも最も著名なものであると同時に。現存ヴァイオリン獨奏曲中 最も麗はしいものであります。 オリエンタル 作品五十番の「五色眼鏡」(カライドスコープ)と構する組曲の第九番であります。 現代の組曲は往時のそれの様に舞踏曲集でなく標題音樂に属して居り一般に寫眞的な表題が興へられて おります。 一つの組曲の各樂部はそれぞれ色彩を異にして各々その内容を表示する表題が附されてゐます。 併し各樂部は同一基音の上に書かれて、一つの組曲内にあることを示してゐるのであります。 この「五色眼鏡」も以上説明した現代の組曲形式に従つて作られてゐます。「オリエンタル」は東洋的な 旋律と律動とに依つて書かれた舞曲で、夢見る様なその旋律は組曲とは離れて單獨に有名となるに至りました。 *スペイン舞曲集 第2集 作品22 - 第3曲: ロマンサ・アンダルーサ(アンダルシアのロマンス ) https://www.youtube.com/watch?v=KSSfsix6BQ4 2024年1月23日 諏訪根自子さんの生誕日に。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
SPレコード 日本コロンビア 日本:その他nine_o_nine
-
1949(昭和24)年 6月27日 駒場 東京大學教養學部(第一高等學校)演奏會プログラム
6月27日(月曜日)との表記だけで年が記載されておりません。 表紙には『新制東京大學発足記念』 とあります。 月/日/曜日から可能性あるのは、'49年 '55年 '60年。 東京大学の沿革に"1949(昭和 24)年 5 月 31 日には学校教育法に基づく新制東京大学が誕生します。" とありますから、此方は同年1949年の翌月6月であったと特定出来ます。 本郷の方での演奏会は複数回確認出来ますがこちらは駒場キャンパスの方にての開催。 (倫理講堂=900番教室だったのかな?・・・推測ですが。後年、あの三島由紀夫氏で有名な) 第一高等學校。いわゆる旧制一高ですね?この時はまだ名称残っており翌年3月24日を以って その名称/歴史に幕を下ろす事となりました・・・。 *バッハ:シャコンヌ *メンデルスゾーン:協奏曲 ホ短調 作品No.64 -休憩- *a)バッハ:アリオソ b)モーツァルト:ロンド c)ラヴェル:ハヴァネラ d)パガニーニ(クライスラー編):鐘 この年のピアノ伴奏は井口秋子さん、直前の5月が井口基成さん、再び井口秋子さんに戻り秋頃から田中園子さん。 主催は第一高等學校共済部。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #東京大学
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
1954(昭和29)年 1月19/20日 日比谷公会堂 N響 第353回定期公演 プログラム
昭和29年 1月19、20日 両日、日比谷公会堂にて行われた N響 第353回定期公演 のプログラムです。 指揮は'51〜'54年迄、当時首席指揮者であられたクルト・ヴェス氏、 ソリストとして根自子さんが登壇されていらっしゃいます。 N響の演奏は記録されていると思います故、いつの日か陽の目を見る事が叶えばいいな…と思います。 このパンフレットを手に取って最初ページを捲って目に飛び込んできた根自子さんのポートレイトには サインが記されており、ドキッ!としましたが残念ながら印刷でした^^; この年のコンサートは極めて少なく、この辺りもまた追って・・・ #諏訪根自子 #nejikosuwa #kurtwöss #nhk #NHK交響楽団
プログラム 日本:その他 1954年nine_o_nine
-
少女俱樂部 1936(昭和11)年 3月1日 第十四巻 第三號(3月號)
『少女倶楽部』誌(昭和十一年三月號)。洋行する諏訪根自子さん なにより興味深いのは渡航準備中と思しきお写真の根自子さんのお姿ですね? https://muuseo.com/nine_o_nine/items/22?theme_id=39653 ⬆︎有名かつ美麗なる安河内さん撮影のこの一枚のフォトセッション等、出発当日までインタビューだの撮影だのが執り行われました事は、幾つもの雑誌等々で紹介されております。 後方の行李(スーツケース)、そして愛機。 これから10年、家をそして日本を離れられる前の大変稀少なショットだと思います。 「日本の少女として、恥づかしくないやうにしていきたいと思ひます。」 と固い決意も語られております。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 大日本雄瓣會 講談社 日本:その他nine_o_nine
-
婦女界 1935(昭和10)年 5月1日 第五十一巻 第五號(5月號)
戦後にもお母様のインタビューはありますが、此方は戦前=昭和10年春のもの。 『近く渡欧する天才ヴァイオリニスト 諏訪根自子さんのお母様を訪ねて』 と題された6㌻に渡る記事です。 新宿から乗り換えてから5つ目、代々幡上原驛で下車して狭い横丁にある"詫び住まい"は、これが天才少女の家か?と怪しまれる質素な住居。 「このつつましい生活の中で精魂の限り音楽に精進する根自子さんを思ふと何かしら浄らかな感じにうたれる」 と印象を綴られている。ご自宅でのインタビューですね? ・家出騒動の顛末、自らは語らずこたえは根自子の成長で…。 ・天才?まだ未完どうかつけあがらせないでください。 ・二転三転するので渡欧の時期は明言せず。 幼少の頃、音楽を始めたキッカケ、ご自宅での様子とか、よく拝見する出来事のインサイドストーリー等が語られており興味深いです。 しかし、戦前のインタビューアーの方の見識というか文学的レベルの高さと言うか?私見も含めよく感嘆する。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 婦女界出版社 日本:その他nine_o_nine
-
1952(昭和27)年11月 7日 本郷 東京大学法文経2号館 31番教室 演奏會プログラム
昭和27年11月の東大での演奏會プログラムです。 法文経2号館 31番教室。主に此方の教室が会場となっていたのですね。(後年の演奏會でも此方) このプログラム中で目を引きましたのは主催「東大新人會」の文字。 浅い知識ながら、この新人会という団体は戦前の社会主義思想啓蒙活動学生団体ではなかったでしょうか? 知っているのはそれくらいで、改めて検索しますとこの名称での活動は1929(昭和4)年迄、「日本共産青年同盟」と発展的解消宣言後、解散したあります。戦後も学内で同名称の侭、存在したのでしょうか?・・・これより少し後の'60年代の学生運動を鑑みれば大変興味深い事です。 因みにその後年の1958(昭和33)年のプログラムには主催:東京大學セツルメントとあります。 モーツァルト:ソナタ第10番 ラロ:スペイン交響曲21番 -休憩- ドビュッシー:牧師の午後への前奏曲 ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女 ファリア:スペイン舞曲 バッツィー二:妖精のロンド 藝胎長養の期間の3ヶ月ブランク/ハリウッドボウル/ハワイ公演もあって、少なかった前年1951(昭和26)年でありましたが、この年のラッシュな公演日程にも驚かされます。 ピアノ伴奏は田中立江さん #諏訪根自子 #nejikosuwa #東京大学
プログラム 日本:その他 1952年nine_o_nine
-
婦女界 1938(昭和13)年 第五十八巻 第五號 十一月號
婦女界 1938(昭和13)年 11月號。巴里の追憶 -フランスより歸りて- 根自子さんの特集ではありませんが、同時期にパリに滞在されていたピアニストでご友人の原智恵子さんの一時ご帰国時の手記です。 ご本人のご活動や生活、あの伝説のショパンコンテストの事など興味深い事項は勿論の事、開戦後間もない時期のパリそしてヨーロッパの生々しいご時世、そんな日々にあって志を同じくする音楽・芸術家仲間であり同年、ベルギー・ブリュッセルより移ったばかりの友人の根自子さんの事が丸々2ページ強にて綴られております。 ご友人の眼・言葉を通じパリでの生活の一端を窺い知る事の出来る非常に興味深い内容になっております。 ★お友達・根自子さん *少ない在パリ日本人の中でも特別仲良くしていた。 *週に一度は訪ねあう仲。 *根自子さんは師であるカメンスキー先生宅に寄宿し子供の居ないご夫妻に寵愛され、幸せな日々を送っていた。 *先生宅では當然、右を向いても左を向いてもフランス式の生活。 *智恵子さん宅(屋根裏部屋)の懐かしい江戸の香り=味噌・醤油・海苔・お米で質素な料理をこさえ郷愁の食卓を囲み、おいしいおいしいと何度もおかわりをする。 *時折り、セッションをしたり将来、二人で世界演奏旅行をしようとか、遠い未来の望みに胸をふくらませた *深い哀愁を湛えた大きな眼。音楽の話になると物に憑かれた様に輝き出す。 などなど・・・ 希望に満ちた、海外に学ぶ若き音楽家。芸事は解せませんが、体験から海外生活の不自由さは有る程度理解出来ます。しかしながらそれも1930年代の話となれば、EMSで数日で荷物が届き、日本料理店・食材があってクオリティ云々を問わずばまがりなりにも身近にあって…そんな近年とは根本的に異なるわけで、稀少な祖国の食材での手作りの味とはどれだけありがたく嬉しかった事か?想像するに余ります。 研鑽と覚悟、そして報国の念。これらは戦後の過酷な程、密なスケジュールの演奏會を見れば明らかな事。 藝術に生涯を捧げる。書けば簡単ですが、その覚悟は・・・原智恵子さん、そして根自子さんの当時の手記・インタビューに触れる度にその志、芯の強き女性の姿に感銘をおぼえます。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/36?theme_id=39620 原さんとは、前年パリ万博のソワレ(夜会)⬆︎でご共演、戦後も度々演奏會ご一緒されていらっしゃいます。それ以前にも遡り1932年刊の「音楽世界」誌で"天才と天才"としてご一緒に演奏されてる写真があります(*それもまた別の機会に…)ので旧知の仲、きっと同じレベルでしか感じ得ない、見ることの出来ない世界を共有されていたんだと察します。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #原智恵子
雑誌 婦女界出版社 日本:その他nine_o_nine
-
1960(昭和35)年 1月20日/21日/22日 広島 広島市公会堂 公演プログラム
一旦の公演活動のご休止ブランク前、後期1960年の広島(広島市公会堂)でのリサイタルそのプログラムです。 この年の初演であった事が「あけましておめでとうございます」ではじまる年始のご挨拶からわかります、 3days!3日連続公演はA/Bふたつのプログラム・リストが用意されていたのですね。 A 1,モーツァルト:ヴァイオリン奏鳴曲 No.8 ハ長調 K296 2,ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21 3,ブーランク:ヴァイオリン奏鳴曲(ガルシア・ランカに捧ぐ) 4,a)フォーレ:アンダンテ b)バルトーク:第一狂詩曲 c)ハチャトゥリアン:詩歌 d)ストラヴィンスキー:ロシア舞曲(ペトルーシュカより) B 1,ベートーヴェン:ヴァイオリン奏鳴曲 No.5 ヘ長調 「春」作品24 2,メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 3,a)スヴェンヤン:ロマンス b)クライスラー:美しきローズ・マリン c)チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ d)ファリア:スペイン舞曲 No.1 イ短調 e)パガニーニ:カプリース No.24 両日ともに豪華なプログラムです。中でも根自子さんのバルトークなど個人的には物凄く興味があります・・・ 1928年作のラプソディはシゲティに献呈されたとのこと、民族/民謡的旋律を基調に実に多彩な展開をみせる。 なにもこの曲に限った事ではないが、譜面上だけでないそういった根ざした土着・スピリチュアル的な部分は どの様なご表現であったのか?尽きません^^ 懐かしいSP盤時代からのレパートリーもあったり… ピアノ伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #nejikosuwa #広島 https://www.youtube.com/watch?v=VuMTISOHRKg
プログラム 日本:その他 1960年nine_o_nine