1949(昭和24)年 4月14/15日 帝国劇場 第四回 提琴独奏會 プログラム

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昭和24年 4月の帝国劇場公演のプログラムです。

この一冊の魅力は何と言いましても、'39年パリの寫眞館撮影の美麗ポートレイトが(内㌻)一面にあしらわれている事でしょう。

数カット存在する内、最もまろやかなご表情をされている一枚(私見で恐縮ですが、これが一番お気に入り!)が採用されていて目を惹きます^^
(また、東寶豪華パンフレット= https://muuseo.com/nine_o_nine/items/79?theme_id=39620 にも掲載されていた中村琢二氏のイラストも曲目紹介欄に…)

そして何よりバッハ無伴奏バイオリン・ソナタで幕開けする当夜のプログラムもなかなか魅力的♪

バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第3番
グリーク:バイオリン・ソナタ ハ短調(作品45)
<休憩>
サンサーンス:ハヴァネーズ
フォーレ:子守唄
モシュコフスキー(サラサーテ編):ギターレ
ラヴェル:ツィガーヌ

とりわけ、'49年この年のパンフレットは殊の外多く現存し=公演の多さは根自子さんのご多忙ぶりを物語り、それはあの『音楽之友』誌(前年'48年のもの)での松田さんのインタビュー( https://muuseo.com/nine_o_nine/items/111?theme_id=39653 )総括に結びつくのでしょう。

ピアノ伴奏は井口秋子さん

#諏訪根自子 #nejikosuwa #帝国劇場 #井口秋子

1947(昭和22)年 12月28日 帝國劇場 公演プログラム
'47(昭和22)年 5月3日の記念すべき行事に於けるご演奏から続く一連の公演で配布されたプログラム/冊子と推測されます。年末もおし迫った12月28日 帝國劇場での夜の部公演の入場半券です。 諏訪根自子さん関連のプログラムでは間違いなく最も内容充実した、東宝の気合を感じる22㌻にも及ぶ冊子となっております。 ・グラビア ・諏訪根自子さん紹介 ・戦前そして渡欧中のトピック ・国内/海外における批評 ・野村さん大田黒さん方、国内評論家さんの文 ・演奏會記録 ・演奏曲目解説 の内容で、これ迄のご活躍の総括から帰国後初期ご活動の資料としましても第一級のもの。また曲目解説も非常に詳細に多きに渡っていて充実している事も特筆されます。 戦前より雑誌やムックでの散見される特集こそありますものの、此処まで仔細に一冊に纏まったものはありませんでした。逆に其れらの単発の記事、貴重な記録を丁寧にこのボリュームで綴ったと言う意味に於きましても他のプログラムとは一線を画した大変重要なアイテムと言えましょう。 挿繪イラストは洋画家の中村琢二さん、表紙口繪デザインは熊田五郎(グラフィックデザイナーとして著名な熊田千佳慕)さん。 この入場半券は非売券であります事から、株主さんか?招待客さんだったのでしょうか? ・ ★ご来場15,000記念展示^^ありがとうございます。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #帝国劇場
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/79
音樂之友 1948(昭和23)年 7月號 7月1日 發行 㐧6巻㐧7號
婦人公論等でご活躍された松田ふみ子さんによる、ある意味「突撃インタビュー」の模様が記されております。 そのシチュエーションは大変珍しいもので、当時の根自子さんの繁忙ぶりが偲ばれます。と、申しますかこれは貴重な演奏旅行の様子を捉え今に伝えるドキュメントと言ってもよいものと云えましょう。 場所は東京驛。 時間は午前7時前、 ぎりぎりで荷物を自ら抱えホームに上がってこられる・・・。 同行はお母様のみ。 なんとか汽車に滑り込むも2等客室は満席で座れないから、よっこいしょっとトランクのはしに腰かけられる。 5時に家を出るつもりが起床したのが5時(笑)^^ 曰く・・・ 「私お寝坊でしょ、早起きが一番苦手だわ」 しかも新宿で千葉行きに乗ってしまって秋葉原まで連れてゆかれて大失敗!遅い上に遠廻り…と^^; 聲をたてて笑いあう ・・・ バイオリンケースが2つ・・・WHY? 面白いエピソード。 ゴリ押し売りに来た名古屋の70過ぎのおじいさんの"あの"お騒がせなバイオリン、二十萬圓!(新聞にガセで二百萬圓と掲載されてしまい泥棒に入られ一度盗まれるが戻る。)もうこりごりなので途中名古屋でお返しする…との顛末。 幼少期のこととか、諏訪家のルール、東宝との契約、実質的マネージャーたるお母様のことなどなど4㌻に渡って好意的に、根自子さんのご表情とともに綴られております。 ・・・ 松田さんの 「私共、根自子さんの藝術を愛するものは、東寶の資本力から彼女がはなれる日を待つている。このような満員電車に乗って立ちん坊で、方々へ演奏旅行に連れ出して、徒に彼女をして疲れさせることを惜しむからである」 という締めの言葉が印象的。 …確かに、新幹線もない時代。会社のマネージャー/付き人さんもなく2等列車で・・・はかくも過酷な、しかも無防備にもあのバイオリンを素で自ら携えて…とは?でありますよね^^; (因みに最後の一枚は、前々年(昭和21年)の同じく大阪へと向かわれる移動時を捉えた1枚です) 取材は、東京〜大船間 列車内で執り行われた様です。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #松田ふみ子
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/111

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