都をどり 昭和12年 風流阿國歌舞伎

0

第70回都をどりパンフレット
1937年(昭和12年)

歌舞會発行

※以下、「近代歌舞伎年表京都篇」第10巻に記載の新聞記事

本年の「都踊」は我が国歌舞伎の始祖、出雲の阿国に因んだ名所図絵を四季に分けたもので、名も“風流阿国歌舞伎”と題し、猪熊浅麿氏の手で作詞中であつたが、この程出来上り、振付は百寿の片山春子師匠で近く出演の稽古がはじまることとなつた。(中略)“伏見城の歌舞伎”これが中挿みになつてをり、桃山御殿の舞台、大猿若、小猿若、出雲の阿国の三人が登場して比田踊や業平踊を見せるが、これには祇甲の代表美妓がそれぞれ三人に扮することとなつてゐる(「京都日出新聞」3・1)

「都踊がきのふ華やかに幕を開けた。回を重ねること正に七十、年々歳々凝らす新らしい趣向に全国はもとより海外にまで名声を博してゐるが(中略)中挿みには前代未聞の出囃子をセリ出さうとする新らしい試みなどが人気を呼んでか、すばらしい景気、それにことしは久方ぶりに“習礼”を復活して、一日午後三時半から廊内の関係者を招いて一の組の試演を行ひ、午後五時から予定通り本興行に移り四回開演したが、外人達も多数来館し、相変らぬ巧緻を極めた舞台装置と、踊子の井上流の床しい舞ひぶり、地方、囃子連の練磨のほどに陶酔し、毎回すばらしい盛況であつた。なほ習礼は四日まで、毎日午後三時半からその日の出番で行ひ、午後五時から平常通り開演する(「京都日出新聞4・2)

#京都 #都をどり #都踊 #歴史  #祇園 #祇園甲部  #パンフレット #プログラム

Default