灰礬柘榴石・磁鉄鉱・緑簾石 (grossular/magnetite/epidote) 釜石鉱山 新山鉱床 #0416

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本標本は釜石鉱山新山鉱床の露頭が自然崩壊し、谷底に転がり落ちたものです。新山鉱床は単斜輝石スカルンと柘榴石スカルンからなり、前者には銅鉱体、後者の中には銅鉄および鉄鉱体が胚胎しています。本標本は後者に属し、多量の灰礬柘榴石と磁鉄鉱で構成される鉱石塊の所々に白色方解石に充填されたガマが発達し、その壁面に灰礬柘榴石、磁鉄鉱結晶(青色の矢先)、緑簾石(緑色の矢先)等の結晶が見られます。

釜石鉱山は、本邦における代表的なスカルン鉱床の一つです。釜石地域では砂鉄や河川から採取される餅鉄などを用いて古くからタタラ製鉄が行われていましたが、鉱山としての歴史は1727年(享保12年) に磁鉄鉱が発見されたことに始まりました。幕末になると釜石地方に産する磁鉄鉱が製鉄材料として注目されるようになり、大島高任の指導のもと西洋式高炉が建設され、1857年(安政4年 )に日本で初めて鉄鉱石精錬による連続出銑操業が行われました。1874年(明治7年 )には官営製鉄所の建設が開始され,1880年(明治13年)に操業を開始しました。1885 年(明治18年) に田中長兵衛が官営製鉄所の払い下げを受け、釜石鉱山田中製鉄所として操業、1914年(大正3年)には釜石鉱山株式会社に社名変更し、以後釜石鉱山は長く日本の近代化を支え続けました。
1934年(昭和9年)に戦時体制下で発足した旧日本製鐵傘下となり、戦後1950年(昭和25年)に財閥解体により旧日本製鐵が富士製鐵と八幡製鐵に分割され、釜石製鉄所は富士製鐵釜石製鉄所となりました。同年,新山坑において国内最大級の銅鉱床が発見され、以後鉄・銅の併産体制が確立されました。1970年(昭和45年)には富士製鐵と八幡製鐵が新日本製鐵株式会社となり、操業を続けましたが、1989年(平成元年)、合理化のため釜石製鐵所の高炉が停止され、これに引き続き釜石鉱山では1992年(平成4年)に銅鉱石の、1993年(平成5年)には鉄鉱石の採掘を終了し、釜石鉱山は鉄・銅鉱山としての役目を終えました。釜石鉱山は終掘までに粗鉱量約7,000万トン、鉄1,400万トン、銅19万トンを産したとされています。

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