褐鉄鉱 (limonite) 倶知安鉱山 第一鉱床 #0195

0

鉱泉水が沈殿して生成した鉱床から得られた多孔質の褐鉄鉱石です。

倶知安鉱山の発見は1898年(明治31年)に遡りますが、本格的な開坑は1916年(大正5年)、三井鉱山によるものです。第一次世界大戦により国内で鉄鉱石需要が高まるなか、1919年(大正8年)に鉱石運搬専用軌道として倶知安・京極間(13.4㎞)、翌1920年(大正9年)に京極・脇方間(7.5㎞)に国鉄胆振線が布設されました。第一次世界大戦後の経済恐慌下1921(大正10)年に一時休山しましたが、1925(大正14)年に操業を再開、昭和に入ると軍需向けに増産が要請され、1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)の3年間は、毎年採掘量が50万トンを超える等、鉱山は全盛時代を迎えました。それまで脇方鉱山と呼ばれていた本鉱山はこの頃日鉄鉱業(株)北海道鉱業所倶知安鉱山と改称され、当時脇方には従業員と家族をあわせて約4,000名が居住していたといいます。しかし終戦後の1946年(昭和21年)には生産高が年間1万トンにまで激減、1948年( 昭和23年)には脇方市街で発生した大火により倶知安鉱山も大きな被害を受けました。朝鮮戦争による特需を背景に1951年(昭和26年)に年間7万トンまで生産高が回復しましたが、鉱量枯渇により1969(昭和44)年に閉山、脇方駅も1970(昭和45)年11月1日に廃止となりました。

Default